道場はパワーの源

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19歳の時上京して、初めて住んだ場所が船橋市の行田だった。たった3カ月間の研修所生活だったが、この間職場の研修以外にも数えきれない位の人生経験をした。

生まれて初めて(歌舞伎町の)ディスコに行った。連休中には日光に行った。鎌倉にも行った。回転寿司や焼き肉食べ放題によく行った。元禄寿司、肉のハナマサだ。50皿食べたこともあった。研修所近くのスナックにボトルをキープした。高校を卒業して直ぐに全寮制の職場(研修所)に入り、規則規則の牢屋暮らし。1年後、花の東京へ。此処でも全寮制の生活ではあったが、親元から離れての東京生活は地獄であり天国でもあった。これら全てが初めての経験だらけだった。悲しいかな!女性だけには縁はなかったが(笑)。その中でも一番の思い出はやはり、池袋の極真会館総本部の見学だろう。

同期の仲間3人で行った。道場稽古の見学は許可されなかったが、ロビーの見学は許された。雑誌やテレビで見たことのある全日本選手が何人もいた。いわゆる内弟子の皆さんである。サングラスをしていたら外すよう注意された。

『サングラスを外しなさい!』

今度は腰に手を当てて写真を見ていたら、また注意された。

『腰に手を当てない!』 少し強い口調だった。

自分の記憶が正しければ、花柄模様(牡丹か薔薇)の入った黒のオープンシャツを着ていた。不良っぽかった。今思えば、ぶっ飛ばされなくて良かったと冷や汗ものである。注意2で良かった(笑)。

あれから30年以上が経った。縁あって空手の師範になった。縁あって、花の東京生活のスタートと同じ場所の行田で空手を教えている。船橋道場は自分にとってはただの道場でではない。船橋道場は週に1回だけである。ここだけの稽古では世界大会は無理である。全日本大会だって無理である。黒帯になるには10年でも無理かもしれない。

船橋道場1期生の子が10年経って大学生になった。地元の少年部時代の仲間がやめても彼だけはやめなかった。彼は大会に一度も出場したことがない。学校の先生になりたいそうである。嬉しい限りである。栃木から大学進学で移籍して来た黒帯がいた。卒業後、就職して千葉に残ったが退会した。1年経って道場に戻って来た。アパートと職場の往復の毎日。週に1回だけでも汗をかきたくなったと。嬉しい限りである。お父さんの転勤で北海道から移籍してきた幼稚園の白帯がいた。少年部一人だけの時もあった。最初は1時間稽古が出来なかった。お母さんの所へ行っては泣いていた。2年生になった時、地元の1年生が二人入門した。後輩ができて、すっかり先輩らしくなった。後輩二人とも空手が大好き。自分が極真時代、船橋市内にあった道場で教えたことのある人の息子さんが入門した。親子二代の縁、不思議なものである。中学生の彼は入門以来、稽古皆勤賞である。凄い。いつからか本部道場から藍野親子が稽古に来るようになった。道場が明るくなった。紫穏が間違いなく船橋道場の雰囲気を変えた。極めつけは、12年前に新潟から移籍してきた親子がいた。船橋道場で入門したが、本部道場の所属にもなった。東京から10年以上週5日か6日通って来る。親子で黒帯になった。親子でドリーム出場と入賞を果たした。息子は全日本選手にまで育った。

小さな道場だけど、その道場でひとりひとりが空手に何かを求めている。空手道が彼らの成長の糧に間違いなくなっているような気がする。小さな道場だけど毎日ドラマがある。ルネサンスとて全く同じである。黒帯を目指す訳ではない。世界大会を目指す訳ではない。空手が大好きなだけである。ルネサンスは自分にとってオアシスである。パワースポットである。

だからこそ彼らを守るためにも頂点に立つものは最強を目指さなければならない。やはり強さがあってこその空手であり、組織である。

北海道から来た少年が旅立つことになった。大成長の3年間だった。正直別れは辛い。しかし、彼には希望に満ちた新しい生活が待っている。新天地でも新極真会の道場に通うそうなので何も心配いらない。

「空手道は生きて行く上で最大の武器だから!」

“遼也、成長したね。空手続けて強い男になってお母さん助けるんだよ。外館師範と奥村師範のパワー貰ってるから何処へ行っても大丈夫!何があっても大丈夫!空手があるから大丈夫!”

今週は船橋道場とルネサンス道場で最高のパワーを貰いました。

いよいよ決戦の日まであと8日!