千葉南支部奥村道場 応援団!

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全員が喜びに満ち溢れた顔をしている。突き上げた拳は間違いなく何か大きな事を成し遂げ、それを鼓舞しているかのようである。喜びを全員で分かち合っている。まさしく大歓喜の瞬間!である。これは、2年前の第11回世界大会、閉会式後に撮った写真である。悲願の男女W優勝こそ成し遂げられなかたっが、日本選手団は大勝利した。その世界大会に、30年前自分が茶帯で少年部の指導員をしていた頃に教えていた少年部が応援に来てくれた。社員50名を連れてお父さんと一緒に来てくれた。全員が「この道より・・・」の奥村道場の応援Tシャツを着ての応援だった。陽孝と日本選手団の応援にきてくれたのである。

いや30年前の少年部は、初代桃太郎はお互いがどんな立場になろうが肩書きなど関係なく、ただ“奥村先輩!”の応援に来てくれたのである。だから社長になろうが、師範になろうが、代表監督になろうが、今でも「大智」、「先輩」と呼び合う。

昭和56年の7月に入門した。翌年の6月に茶帯になった。その年の10月に少年部の指導員になった。入門時から3年間つけた『空手日記』にはこう記してあった。

〇57年10月16日

事務長さんより、少年部の責任者になってくれと頼まれる。うれしかった。押忍!がんばるぞ。

〇10月17日 実戦会

師範より「少年部の責任者になれ。」

腹筋44回、拳立て100回、スクワット100回、ランニング、片足ジャンプ、倒立腕立て100回、サンドバッグ2分×2回

帯研 移動稽古、型平安Ⅰ~Ⅴ表裏、観空。肉のハナマサ  押忍!

師範からはたった一言だけだった。稽古のあと焼肉に行った(笑)。あの時、師範に少年部の責任者になれと言われなければ、あの少年部との出会いはなかった。同じ道場だから出会いはあったとしても、稽古や指導を通してこのような深い絆は生まれなかった。もし、自分が仕事や自身の稽古の集中など理由を付けて断っていたら・・・やはり同じで、あの初代桃太郎とは出会うことはなかったのである。30年前の日記に少年部の責任者になるように言われて、自分が「嬉しかった!」と書いていたことが、嬉しかった(笑)。

どんな絆も最初の出会いから始まる。それが縁!である。出会っても終わる縁もある。出会いがどんな絆に変わるか?これが大事なのである。

入門して1年後茶帯になり、その3カ月後に少年部の責任者になった。その次の年の8月に本部道場で行われた全日本大会の選抜戦で準優勝し、夢にまで見た全日本大会の出場権を獲得した。当時は支部から2名しか出場出来なかった。だから全日本に出場したかったら結果を出すしかなかった。茶帯だったので、いつも指導してくれる黒帯の先輩に勝たなければ自分が全日本大会に出場出来なかった。今は師範が許可すれば誰でも出場出来る。128名いないから。道場の先輩に勝てなくても、道場で3番でも、4番目でも出場出来る。昨年は千葉南支部から6名出場した。小さな支部の6番が全日本の舞台で勝ち上がることが出来るだろうか?道場の先輩に勝てずして、師も弟子もない!親も兄弟関係な真剣勝負の舞台で勝てるだろうか?だから先輩より先に行って稽古するのである。先輩より後に帰るのである。一度も全日本に出場出来なかった林先生は羨ましいなあ!といつも言っている。師範が優しくて、奥村道場の選手は恵まれてますねと言っている(笑)。

その初出場した全日本直前の日記である。

〇昭和58年10月8日

『少年部』:少年部においては、強さのみではなく礼儀を特に教えたい。返事は大きく“押忍!”

“元気よく。子供らしく。”事務長さんより、さんまといわしを頂く。押忍 ありがとうございました。

昔から偉そうな事ばかり言っていた(ようである)。独身寮生活で栄養バランスを考えてか?魚を貰った(らしい)。自分が55才になって、空手歴36年が経ち、多少は色々な経験をしたから言える。当時のたった2年の空手歴の茶帯がろくな指導などしていなかったと思う。いい加減な自分自身のことだから尚分かる。はっきり覚えている指導?は肩車くらいである(笑)。ただこれだけははっきり言える。譬え経験がなくても、持ってる限りのもので本気で教えていた。自分なりに魂を込めて教えていた。魂で教えたら、相手の心に響くこともある。

“30年前、奥村先輩は少年部と本気で遊んでいた。自分が一番楽しんでいた(内緒)。”

道場を持つ身になり、子供の書初めがきっかけで書をたしなむようになった。玄関ロビーの受付に置いた少年部達へのメッセージがこれである。

   『大きな声であいさつ “押忍”』

経験積んでも世界の舞台で数々の修羅場を潜って来たつもりだったが、35年前の茶帯の頃と全く変わっていなかった。師範になっても成長していなかった。発想が同じだった(笑)。しかし、この板の指導のお陰で日曜日の朝練の時、寝坊しないで済んだ。9時過ぎ道場に一番に来た紫穏の大きな挨拶「押忍!」に何度か助けられた。桃太郎に起こされた(笑)。

昨日、総本部から届いた全日本大会のパンフレット。そこにカラー1ページで、あの第11回世界大会の時の、大歓喜の瞬間の写真があった。

『私たちは千葉南支部奥村道場を応援しています。がんばれ、岡﨑陽孝選手!!』

ダイチグループ代表 野田大智

9月、初めての上海遠征で双子の中学生の兄弟から手紙を貰った。夏には初代桃太郎から陽孝優勝と日本選手団大勝利のお祝いと共に大感動の手紙が届いた。今はIT時代、メール全盛時代である。そんな中での真心の手紙に人の温かさを感じたものである。

『・・・奥村先輩の自慢の愛弟子でもある岡﨑選手が世界チャンピオンとして晴れの大舞台の頂点に立たれました事、誠におめでとうございます。塚本徳臣師範と塚越孝行師範の元両世界王者が、世界最強のコーチ陣として奥村先輩と共に全日本を勝利に導かれたことに感動しております。そして、岡﨑選手を新世界王者に導いた奥村師範の指導者として、そして人としての偉大さに尊敬の念を抱くと共に、私の誇りの大先輩であることを心より感謝申し上げます。幼い頃から私に温かく激励をし、稽古をつけてくれ、社会人になった今も人としての温かさ、強さ、優しさを沢山与えて下さる大先輩が世界を舞台に大活躍され、人生をかけて多くの人材育成にも尽力して下さるお姿を私にしっかりと見せて下さる事に心から感謝しております。私自身先輩に続き、世界の戴きを目指し挑戦していく決意を新たにさせていただきました。・・・・』

何度も何度も涙して読んだ。30年前に肩車をして一緒に稽古した初代桃太郎が大成長し、今や青年実業家になって世界中を舞台に駆け巡り活躍している。いよいよ来週末に迫った15日の全日本大会にも社員を連れて応援に来てくれる。勿論、22日の優勝祝賀会にも馳せ参じてくれる。ただただ奥村先輩の一世一代の晴れ姿を見に、心からお祝いに駆け付けてくれるのである。

優勝祝賀会、大歓喜の瞬間が待っている。

“大智、いつも本当にありがとう。2年振りの再会楽しみにしてるよ!”