昨日の敵は今日の友!

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大阪で開催された第1回フルコンタクト大会。4年前に始まった日本のフルコンタクト空手界300以上の流派・団体が大同団結して空手日本一の覇を争う大会、今年は外国人強豪選手が多数参加し初の国際大会となった。2020年には、同じ大阪で全世界フルコンタクト選手権大会が開催される予定である。今年の大会はあくまでもその前哨戦に過ぎない。

全日本大会初出場の翔太はその洗礼をもろに受けた。国際大会が故に、初戦でロシアナショナルチームの強豪選手と対戦した。初めての一本負けを喫した。しかし、今までのどんな大会、道場稽古でも味わった事のない貴重な経験をした。これを生かすも殺すも翔太自身である。

その大阪の大会で感動の出来事があった。大会初日、会場である人と二十数年振りの再会を果たしたのである。

大会初日、審判控え席でくつろいでいる時の事である。180㎝近くあるスキンヘッドの大男が自分の所へ突然やって来た。年格好は自分より少し上位であろうか?でも若々しさと風格を感じた。同じ全日本フルコンタクト連盟のブレザーを着ていた。

“奥村さん、お久しぶりー!”

正直、最初は誰だか全く分からなかった。暫く経って・・・やっと分かった。

“押忍!水口さんですか?”

髪の毛が無かったので分からなかった(秘)。固い握手を交わし、久しぶりの再会を喜び合い、暫く空手談義に花を咲かせた。大山総裁が亡くなって組織が大分裂し別々の道を歩んだ。少なくとも23年以上の久しぶりの再会だった。

極真会館水口道場の水口敏夫師範。自分より2歳か3歳上。この人もまた白石先輩と同じように、現役時代の自分に多大な影響を与えた選手のひとりだった。初めて出場した第15回全日本大会。子供の頃から夢にまで見た極真の全日本。その4回戦で対戦したのが水口師範だった。

21歳 1級 2年4ヵ月 172㎝ 85㎏ 福岡

23歳 二段 6年 177㎝ 77㎏ 島根

二日目のBEST32に残り、試割りも初めて経験した。オール3枚で12枚割った。無我夢中で戦った。無我夢中!その言葉がぴったりの大会だった。その年の千葉の支部内の全日本選抜戦で準優勝し、念願の全日本大会の切符を手にした。全日本大会は、実は3回目の大会経験だった。千葉の大会は道場で行っていた。1回目は緑帯の時出場した。2回戦で負けた。初出場の全日本大会で、初めて広い体育館で戦った。だから無我夢中だった(笑)。その15回大会は第3回世界大会の日本代表選手の選抜戦でもあった。その大会でまさかの4回戦まで行ったので師範も、道場の先輩も驚いた。本人が一番びっくりした。勝ってたら21歳で世界大会日本代表だった。延長戦で中断逆突きで一本負けした。今も鮮明に覚ええている。腹は効いていなかった。気持ちで負けた。膝を付いて技あり!となった。立てなかった。水口師範は前年の大会で準優勝した選手だった。前回の世界チャンピオンを破り快進撃を続ける南米ブラジルのアデミール・コスタ選手に勝ち、続いて後年には第4回世界チャンピオンになる選手を破っての準優勝だった。だから延長戦に入った時、ここまで戦ったからもういいやという気持ちがあった。情けなかった。世界大会が弱い自分を奮い立たせた。全日本の対戦相手が日の丸を背負い闘ってる姿を見て、極真魂に火が着いた。

19歳青帯の時に初めて全日本大会を会場で見た。いつの日か必ずあの全日本の舞台に立ちたいと思った。誓った!そして2年後、21歳茶帯の時全日本の舞台に立った。偶然にも世界大会の選抜戦だった。4回戦で負けたが、“本気で稽古したら自分でもチャンスはあるんじゃないか!”と思った。全日本を初めて見た青帯の時のように、翌年2月に日本武道館で開催された世界大会を見て、本気で自分も世界大会に出たいと思った。

世界大会が終わり大会会場で水口師範と会った時、開口一番こう言われた。

“燃えた~?”

空手母国の威信に掛けて戦う日本選手団の姿を見て、奥村さん燃えたかい?と。それから何人かの代表選手の先輩方と握手を交わし記念写真を撮った。そして水口師範にこう言われた。

“次は奥村さん達の番だよ。頼むねー!”

その世界大会の年、筋金色の黒帯を締めることを許された。その年の4月、道場で行っていた大会が、千葉県総合運動内にある千葉県武道館で千葉県大会として初めて大々的に開催された。黒帯にもなり、全日本選手として戦う初めての大会となった。優勝した。緑帯の時から日曜日の選手特別稽古で一度も勝てなかった分支部の先輩に初めて勝つことが出来た。

全日本の舞台と大きな経験が、自分を変えてくれた。たった一度上がった全日本の大舞台、初めて見た世界大会、このふたつが魂の髄の髄まで響き渡った。世界大会に本気で出たいとの思いが・・・

大きな目標が自分を変えた。壁を越えられた。

黒帯となり、二回目の挑戦となった、第16回全日本大会。運命のいたずらか?またもや3回戦で水口師範と当たった(笑)。最終延長戦まで行ったが決着が着かず、試割りの枚数で負けた。自分は12枚だった。これが悪夢の始まりだった。師範が怒った(笑)。二年連続で同じ選手に負けたこと。自分より体重の軽い人に負けたことに激怒した。試割り強化のため、千葉県大会で試割りをすることになった。自分が原因だった(内緒)。千葉県大会で二連覇を達成した。試割りで右手拳の甲の骨折した。次の年から千葉県大会で試割りはなくなった。自分が原因だった(内緒)。

第16回全日本大会で弟啓治(師範)と念願の兄弟W出場を果たした。啓治は茶帯で4回戦まで進み「新人賞!」を受賞した。“奥村兄弟!”が全国区デビューした。水口師範はその大会で引退し、当時では最年少の支部長になった。

自分が大会で拳を骨折した時、少年部指導員時代に教えていた少年部のお母さんからお見舞いの手紙と兜の折り紙を頂いた。その少年こそ、広島に引っ越してからもずっと年賀状などのやり取りが続いた初代桃太郎の大智少年だったのである。

試練はまだまだ続いた。3回目の出場となった第17回全日本大会。初出場した年の準優勝の日本代表でも選手と2回戦で対戦し、勝った。次の日の試割りでまた骨折した。またもや4回戦で負けた。思い起こせば世界大会も4回戦で負けた。

4回戦は鬼門となった。

悲しいかな大山総裁が亡くなり組織は幾つもの派閥に分裂した。今あるフルコンタクト空手の流派・道場の源流は大山総裁が創った極真空手である。その大山総裁でさえ成し得なかった空手界の大同団結、4年前全日本フルコンタクト連盟が結成された。この組織がなかったら水口師範との再会はなかった。2度も負けはしたが、ライバルがいたからこそ自分も世界の舞台に立つことが出来た。今振り返れば、一時代人生を掛けて世界大会を目指したように思う。大阪の国際大会で女子軽量級の5連覇を阻んだ新チャンピオンが勝因を尋ねられてこう答えていた。

“執念です!”

自分も同じだった。31年前の大阪決戦、最後の最後で世界大会日本代表の座を掴むことが出来た。

『・・・昨年の18回全日本にあたって、奥村はそれまでの大会とは違う意気込みを持って臨んだ。かつてない「執念」と「野望」に燃えていた。ベスト8入賞という執念と世界大会出場という野望である。その執念は実を結び6位入賞、曲折はあったにしても世界大会代表の野望も実現した。・・・』

夢などという綺麗いごとの言葉ではない。“身のほど知らず!”という言葉があるが、田舎から出て来た19歳の青年は、しかも青帯が、初めて見る全日本大会の時あの舞台に立ちたいと思った。全日本の夢を叶えたが、今度は世界大会を見て世界大会に出たいと思った。怖いもの知らずと言うか、まさしく身のほどを越えた大きな望みを抱いたのである。そして、それを何としてでも成し遂げようとの恐ろしいまでの執拗な思いである(笑)。

 執念と野望

このふたつがあったからこそ自分は世界大会に出場することが出来た。厳しい修行に耐え抜くことが出来た。

それは現役時代も今も何ら変わらない。今はもっと大きな山を登っている。目指すは、その頂きである。

“王座死守!全階級制覇!”

全日本の舞台で世界の切符を懸けしのぎを削るライバル達。戦い終われば最高の仲間となる。それが日本代表選手団である。大阪は厳しい戦いとなった。アスタナで日本選手団は7階級制覇したが、大阪で4人の世界チャンピオンが負けた。しかし、宿命とも言えるライバル達との激闘を見ていて、もっと強い日本選手団が生まれることを確信した。

昨日の敵は今日の友!

最強の日本代表選手団を結成して世界大会に臨む。