7月4日に生まれて!

変わらぬ絆に感謝!

公務員時代、土曜日も午前中だけ仕事があった。俗に言う“半ドン!”である。この日が来ると、何年経っても忘れられない光景がまざまざと思い出される。だからこの日が来ると、ぼけてないか分かる日でもある。

熊本での1年間の研修を終えて花の都にやって来た。上京の目的はただ一つ極真空手をするためだった。昭和56年3月31日小倉駅から夜行列車に乗って江戸に来た。船橋市行田にある研修所に入った。

3ヵ月間の短期研修だったが、この3ヵ月は大きかった。色々な経験をした。研修生の身分ではあったが、少ないながらも給与を貰った。全く貯金が出来ない位使い果たした。大山総裁の本、旅行、映画・・・etc。池袋の極真会館総本部。新宿のディスコ。日光東照宮。鎌倉大仏。湘南海岸。スナックでボトルを入れた。回転寿司にはまった。

6月の或る日、辞令で配属先を聞いてぶっ倒れそうになった。船橋駅より下って行ったこともない千葉だった(笑)。都内、神奈川の順に希望していたから・・・第3希望の千葉だった(悲)。

当時、西千葉にあった独身寮に入った。職場でも寮でも、ほとんど毎日歓迎会があった。職場のしきたりや礼儀作法を教わった。1期違えば虫けらの時代だった。仕事と寮生活にも慣れ、ようやく自由な時間が取れる時期が来た。

あの日は土曜日だった。午前中の仕事を終え、寮は西千葉にあったが意を決して職場のある幕張から稲毛駅で途中下車した。駅前の公衆電話から道場に電話して「行き方」を教わった。道場に着いて入門手続きを済ませた。稽古は夜だったのでその日は稽古は出来なかったが、夜は道着を着て寝たことを覚えている。夢にまで見た極真会館の空手道着に袖を通したあの日の事は何十年経った今でも忘れることはない。ちなみに初稽古は7月7日である。自分の運命を変えたあの偉大な先輩と初めて会った。

今日、7月4日は入門記念日である。今日は37回目の空手の誕生日である。

記念すべき日にWKO/総本部事務局国際課から朗報が入った。かねてより申請していた孫師範代の中国支部長への昇格が決まったとの連絡が入ったのである。弟啓治師範が病に倒れてから多くの道場生が去って行ったのも事実である。孫師範代がいなければ、今日の中国支部の大発展はなかった。中国支部一番の功労者である。だから自信を持って支部長に推薦した。

同じ日。偶然にも高知から便りが届いた。

全日本大会史上伝説となっている三好副代表のギブス装着の上段回し蹴りの写真である。試合中に骨折し病院に救急搬送されたが、大会会場に戻りギブスを装着したままその後の試合に臨んだ。その伝説となっている写真である。

組織から三好副代表の下、選手強化副委員長を命ぜられた。同時に日本代表監督に命ぜられた。ユースジャパン発足にあたって、世界大会日本代表選手団に繋ぐ永遠に渡るテーマを考えた時、三好副代表の姿を伝えようと思った。大山総裁の直弟子として世界の舞台で命を懸けて戦ってきた世界戦士の大先輩の生き様と魂を伝えて行こうと思った。世界の舞台で一時代一緒に戦い世界の頂点に立った緑代表の姿を伝えようと思った。そして、それを受け継ぎ世界の頂点に立った塚本をはじめ歴代の世界大会日本代表選手の姿を時代を担うユースジャパン戦士達に伝えて行かなければと思った。そしてあの言葉が自然と生まれた。

 伝統継承!

7月4日はアメリカ合衆国独立記念日である。若き日、トム・クルーズ主演の映画を見た。

『7月4日に生まれて!』

7月4日に波乱万丈の空手人生が始まった。。

偶然は重なるものである。昼間、塚本から電話が来た。今年のユース合宿や世界大会の話で1時間盛り上がった。塚本は勿論、自分の入門記念日を知らない(笑)。

そして、まさしく今日、初代桃太郎から結婚披露宴の招待状が届いた。

幼少の頃の出会いの話を交え、乾杯の音頭を取って欲しいとのメッセージが入っていた。嬉しい限りである。

空手の神様が自分を千葉に導いた。空手の神様から使命を授かった。ユースジャパンという天職を授かった。それはイコール日本代表選手団でもある。

7月4日は、伝統継承の誓いの日である。全てはこの日から始まった。