絆! 日中友好の懸け橋

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3年半振りの中国鄭州遠征。来年11月に開催される第12回世界大会の中国代表選手を選考する全中国大会と昇段審査のために。記憶が正しければ13回目の中国訪問となった。いつもながら感動感動の4日間だった。今回は「親書」も預かって帰国した。

前回は上海で1泊して新幹線で8時間掛けて行ったが、今回は直行便が出来て4時間。帰りは朝5時起きだったが楽になった。中国支部の発展はこの4日間だけでも随所に見られたが、一番の驚きは何んと言っても大会会場だった。鄭州市の中心街の大通りに位置する有名大型百貨店の1階玄関ホールが会場だった。正面玄関から大勢の買い物客が走り寄せる中央ホールでの大会開催。丁度開会式と重なった10時開店の様は圧巻だった。孫師範代に案内されて会場内に入った時、自分の姿を見るや否や一番最初に挨拶に来たのは、あの北京道場の7人の小さな侍だった。この夏、千葉に出稽古に来た北京道場の7人の桃太郎達であった。相変わら無口な金先生も勿論一緒だった。いきなりくしゃみで倒してやった(笑)。何も事情を知らない人はびっくりした違いない。日本から来た奥村師範が会場で大きなくしゃみをしたら、選手として出場する少年部が吹っ飛んだのだから。福岡で再会はあったものの、たった一度の出稽古で固い絆が出来た。何故だか?あの7人は他人の気がしないのである。こんな感情は初めてかもしれない。これまで何度も中国に行った。何十人、何百人と出会いがあった。中国の道場生は勿論全員が自分の弟子である。ただ、あの7人だけは、千葉の道場生のように思えてならない。それは千葉で一緒に稽古をしたからだけではない。彼らの千葉での、福岡での、そして鄭州での振る舞いがそう自分に思わせるのである。

自分に何故だか寄って来るのである(笑)。

自分には持論がある。一度目の出会いを生かすか殺すか?次に繋げられるか?固い絆に成り得るか?・・・それは二度目の出会いで決まるような気がする。

日本でも大会や合宿など色々ある。同じ事が毎年ある。そうし中で出会った道場生は数知れず。繋がって“絆!”になって行くかどうかは?二度目の出会いの時の挨拶が大きく左右するような気がする。あの世界チャンピオンの弟子の少年部もそうだった。中学生になっても相変わらず喧嘩ばかりしているようである。ユース合宿で初めて知ったあのボ-イッシュな少女もそうだった。女子高生となり一般になって、もう結果を出したから凄い。今ではFB友達である(笑)。二人とも大会が終わって帰り際になると、いつもぽつんとひとりで寄って来る。

実は、挨拶こそ空手道一番の武器!かもしれない。

36年前に20歳で茶帯の奥村師範が指導した、いや一緒に遊んだ初代桃太郎も全く同じだった。いつも自分のそばに寄って来た。今思えばお互い引き合うものがあったのかもしれない。20歳と6歳!絆に年齢は関係ない。あの6歳の頃の大智を思わせるような道場生が、実はこの鄭州にもいたのである。今は20歳の青年ではない。56歳のおじさんと。2015年3月に初めて行った時は青帯だった。名前も年齢も知らない。セミナーの後に自然と自分のそばに寄って来た。幼稚園位だっただろうか?人懐っこくて可愛らしい少女だった。たった1枚の写真しか残っていないが、記憶から消えることはなかった。驚いたのは、1年後に上海に行った時の事である。偶然にも大会会場に向かう地下鉄の中でその少女に会ったのである。びっくりした。不思議な縁を感じた。

開会式前に再会した。空手はやめていなかった。3年半経って黄色帯になっていた。遅い!あまり強くないのかな(内緒)?昼食後の休憩の時である。ひとりで本部席でくつろいでいると、あの少女がひとりでやって来た。特に言葉を交わした訳ではない。たった数分の出来事である。また新しい絆が出来た。全日本大会に譬えれば、厳粛な大会会場の正面来賓席にいる緑代表の所へ色帯の少年部が行くようなものである(笑)。度胸と言うか!凄い!「変わらぬ絆に感謝!」のシールをあげたらにっこり笑ってた。

遠征2週間前の日曜日、披露宴出席の挨拶を兼ねて出稽古に来てくれた大智を思い出した。同じ黄色帯だったことが、その思いを掻き立てた。今年もあと3か月余りとなってしまったが、今年のラッキーカラーは絶対黄色だったと思う。

常設道場を出して1年が経った頃、道場開拓第1弾としてルネサンス幕張に交渉に行った。支配人の理解も得られ空手教室開催の運びとなった。15年前の事である。そのルネサンス幕張で、極真時代の後輩がジムのインストラクターのアルバイトをしていた。彼は高校チャンピオンにもなって、結構可愛がっていた後輩だった。高校生ながらも自分の寮に泊まりに来たこともあった。偶然にもルネサンスで十数年振りに再会し、それからは会う度に会話をするようになった。或る時、その後輩がこう言った。

『先輩に貰った黄色帯を今でも大事に持ってます。』

現役当時、後輩達に“帯下さい!”と言われてあげていた。青帯以外はないから、あげたんだろう。人にあげたものを返して貰うなんて恥ずかしいとも思わず、可愛がっていた後輩だったので遠慮せず返して貰った(笑)。

『道場開いてるから、記念にもなるし・・・今度持って来て!』

かくし黄色帯が手元に戻った。

やはり点と点は繋がっていた。線で、歴史は繋がっていた。

あの時、帯をあげた後輩と再会しなかったら・・・ルネサンスで空手教室を開かなかったら・・・黄色帯を締めた大智との三十数年振りの稽古は実現しなかった。あの黄色帯はこの時の日のために、空手の神様がきっと授けてくれたに違いない。大智と同じように可愛がっていた後輩に託して。

何十年経っても現役修行時代の事を忘れることはない。特にお世話になった先輩や一緒に汗を流した後輩達の事を。何段になっても色帯時代の事を忘れることなない。黒帯になるまでの2年半、この色帯時代があったからこその黒帯である。黒帯を目指している色帯の、その時こそが一番輝いている時かもしれない。黒帯になると人が変わる人もいる(秘)。

今、手元にある二本の色帯!自分にとっては筋金入りの黒帯以上の生涯の宝物である。黒帯は金筋が増えて何本も増えて行くが、色帯はそれ一本だけである。黒帯を目指すが故に、色帯時代の本当の大切さをあまり知らないように見受けられる。上の帯ばかりに目が向いてしまっているような気がする。今締めている色帯にこそ“誇り!”を持って欲しい。その色帯が黒帯に繋がっているのだから。

悲しいかな!中国では中学生になると日本以上に空手をやめてしまう。

数年後には、北京の桃太郎達や鄭州の黄帯の少女の姿を見かけない時が来るだろう。正直寂しい。いや千葉でも同じである。しかし、たとえ空手をやめても、あの36年前に教えた初代桃太郎のように逞しく成長して欲しいといつも願っている。先輩桃太郎のように世界に翔たいて欲しいとた願うばかりである。

空手道とは本来それが目的である。世界大会ですら、その目的(道)の半ばなのである。

“日中友好の懸け橋!”

感動のドラマは永遠に続く!