使命!出会いは奇跡を起こす

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啓治と二人揃っての道着姿は2013年の総本部鏡開き会が最後だった。その年も決戦の年だった。第5回カラテワールドカップ(リトアニア)の年だった。啓治が病に倒れてから6年、記憶が正しければ7年振りに中国上海の地に兄弟で立った。

ある人が言った。人の力で一番強い力は・・・“信じる力!”である。

病院での限りの治療を終え、温泉で有名な大分県湯布院の施設にいる時にお見舞いに行った。倒れてから初めて見る啓治の姿は生きる屍(しかばね)だった。空手どころか半身不随で歩くことも会話すらも出来ない。トイレも垂れ流し。生きる希望もない中で激痛のリハビリに耐えるだけの毎日。命よりも大事な空手が出来ない。啓治の初期の頃の闘病生活は真っ暗闇の地獄絵にさえ見えた。

そんな出口の見えない暗闇の中に一筋の光明が射した。緑代表が心閉ざした真っ暗闇の啓治の心に光を当てたのである。地元の後輩に命令して啓治を福岡県大会に呼んだのである。

病院と自宅以外で初めて会う啓治の姿は生き生きとしていた。大会会場で紺色の審判シャツと白ブレザーを着た啓治の姿は、間違いなく新極真会支部長の姿だった。杖をつき会話は出来ずとも、間違いなく新極真会の五段の師範の姿だった。それからである。啓治は積極的に人前に出るようになった。会話もするようになった。生来の負けん気に火が付いた。左手で書や絵を描くようになった。エスカレートして毎年福岡に行く度に、プレゼントの龍画が大きくなっていった(笑)。

第17回全日本大会を最後に空手から遠ざかった。野垂れ死に寸前に暗黒街から啓治を救い、師範代にまで任命してくれた緑代表。病に倒れ人生のどん底にいる啓治をまたもや救ってくれたのは、またもや緑代表だった。右も左も分からぬ福岡の地に支部長に任命され、師範代の啓治と二人三脚で日本一の支部に育て上げて行った。だからこそそんな二人の絆が奇跡を起こした。

緑代表こそ、啓治の奇跡の復活を一番信じて待っていてくれたのである。それは偶然でも奇跡でもなく、緑代表にとっては必然の事だったのである。

緑代表の与えた“使命!”が啓治を蘇らせたのである。

遠征初日、現地で軽い昼食を取ってホテルで休憩しながら啓治の到着を待った。福岡からの飛行機が遅れ、1時間オーバーで合流した。疲れただろうと気を遣い、夜の稽古は自分と陽孝だけで行くからと啓治に言うと。

「道場!道場!」と左手で拳を突き出した。

啓治はホテルで道着に着替えた。休む間もなく道場生達の待つ中国支部上海本部道場に向かった。

道場正面には、「死力達成!中国上海奥村道場」の旗が掲げらていた。自分が以前孫師範代にあげた「この道より・・・」の書がわざわざ額縁に入れられてあった。

『五段 師範 奥村幸一 奥村啓治』

二人の名札が並んであった。二人の支部長がいるのは世界広しと言えども、中国支部だけである。孫師範代の思いを知ると心で泣いた。福岡支部時代も今も永遠の師範代として緑代表を慕う啓治の心と重なり泣けた。

自分が挨拶する間も準備運動する間も、啓治は用意した椅子には座らなかった。啓治の気合いは誰よりも大きかった。啓治の左中段突きは誰よりも力強かった(涙)。稽古の後、自分と陽孝に続いて啓治が最後に挨拶した。兄弟で7年振りに道着を着て中国上海の地に立った直後の挨拶であった。

“上海 押忍!”

たったひと言。世界一の気合いで挨拶した。涙している道場生もいた。また心で泣けた。

啓治が自分と孫師範代と陽孝3人のために、この日のために魂で描いてくれた龍画をプレゼントされた。龍画を見て驚いた。ぶっ倒れそうになった。龍画は、色紙や掛け軸などでもう何枚何十枚と貰い見ているのでそうそう驚かないが。今回だけは正直びっくりした。いつもは1匹だけの龍が今回だけは3匹いたから。3匹の交わる龍の下には、日本と中国の2つの国旗が友好を示すかのように交わっていた。そして、もっと驚いたのは龍画に描かれている或る絵だった。それは2枚の花札だった。

菊と盃、ススキと月(通称:ボウズ)の花札の絵だった。

菊には“使命!”、ススキには“心魂!”と書かれてあった。花札が珍しくて驚いたのではない。使命と心魂に感動して驚いたのではない。実は今年になって探したい写真があったのでアルバムを見ていたら、2枚の花札の絵が出て来たのである。それが1枚はススキと月で、もう1枚は牡丹と蝶だった。書いた文字は“任侠と博奕!”と青少年育成にはほど遠いが、文字から見て自分が20歳の頃に描いたものだった。出発前にそんな事があったので驚いてしまった。見えない所で考える事もする事も一緒だなあと思った。双子だなあとつくづく思った。

大山総裁は仰せである。

「・・・心魂の空手をしなくてはいけない。心の魂。侍の魂だね、侍の魂を持って精進してもらいたい・・・」

自分が常々思っている事がある。『心・技・体!』の心のことで。

心には、闘争心・平常心・不動心!感謝の心など空手の稽古や試合に関する心だけでも色々ある。心技体が備わらないとチャンピオンにはなれない。自分の思う心とはこういう事である。

ズバリ!DNAである。

幼き頃から目にしたもの。幼き頃からの夢や想い。過ごした日々の出来事でさえ、全てが血となり肉体、そして魂となるのである。人も物体もその根源は、それを形成する一つ一つのDNAである。その根本のDNAが、魂が肉体を作り技を操るのである。そのDNAで、どんな魂を持って稽古をし戦うか!ということである。自分はそう思う。

闘魂神社で過ごした日々。大山総裁の著書・レコード(声)。世界大会を目指して修行した日々の血と汗。それらの原点がDNAとなって沁みついている。啓治の龍画の花札を見た時もそう思った。夢の山、世界の山を登る力の源。あのピラミッドを支える底辺の中心が原点であり、それがDNAだと思っている。まさしく戦国武将の城の石垣でもある。石垣がひとつでも壊れたら城も壊れる。小さな綻びが、やがては大きな綻びとなり崩壊に繋がるのである。

啓治が二日目の夜、責任者達との夕食会で唄った「武田節」。これにも偶然とはいえ驚いた。

 “♪・・・人は石垣 人は城・・・♪」

人間関係も同じである。要は絆の強さである。人の和である。

天の時を知り 地の利を生かし 人の和を重んじ・・・

啓治が16年前に蒔いた種が大きな花を咲かせ実らせた。中国全土から集いし責任者や道場生達との稽古は、奇しくも戦国の世に梁山泊に集いし英雄達の姿に思えてならなかった。啓治の作った魂の法被には「新極真会 水滸伝!」と刺繍がされている。

色々な事が繋がった意義ある遠征だった。啓治の為した偉大な足跡を再認識した遠征だった。言葉にならない。また、自身の使命をあらためて痛感した遠征でもあった。平坦な道は車椅子で行ける。しかし、それとて人の手を借りなければ一歩も歩けない。階段どころか、一段の段差があったら車椅子で進めない。その度に車椅子から降りて一歩一歩歩くのである。一段の階段を昇るたびに“よいしょ!よいしょ!”と掛け声をかけて登るのである。これまでの闘病生活の歩みのようでもあった。この日を信じ続けて、決して諦めることのない、小さな一歩は大きな大きな歩みだったのである。勿論、そこには同じく師の帰りを復帰を信じて待ち続けた中国支部道場生達の姿があった。孫師範代の存在なしに今の中国支部の存続と繁栄はなかった。孫師範代もまた中国の龍となった。

そんな啓治の姿を見てまざまざと教えられた。恵まれた環境に慣れず、満足せずに、しかし着実に、一歩づつ一歩づつ前に進む事を教えられた。一段づつでも上を見て、足元を確かめながら登ることを教えられた。夢を持って諦めずに死ぬ気でやれば夢は叶うことを教えられた。遠征直前の日本代表強化合宿の時、島本が書いた色紙の言葉が自然と脳裏に浮かんだ。

信は力なり!

“啓治、ありがとう!本当にありがとう!”

空手をやって良かった。兄弟で空手を続けて本当に良かった。

緑代表には感謝しかない。

仲間に感謝!組織に感謝!神謝!

空手 この道より 我を生かす道なし この道を歩く