地上最強のカラテ!

62205666_2279408135511839_6557531294161436672_n

突然飛び込んで来た悲しい知らせ!

“熊殺し!”の異名で空手界は勿論のこと格闘技界でその名を轟かせた元極真会館アメリカ支部のウィリー・ウィリアムスさんが亡くなられた。

国は違えど、決戦の年に同じ世界の舞台で戦った世界戦士の先輩の突然の訃報に驚いた。偶然にも世界大会の年に・・・。過去11回を数える世界大会で、「最強の外国人選手は誰ですか?」と尋ねられたらこう答える。

第4回のアデミール・ダ・コスタ選手か、第2回大会のウィリー・ウィリアムス選手ですと。ウィリー選手はそれ位強かった。第2回大会では強豪日本選手が多数入る中で3位入賞を果たした。一度は引退したが、第3回大会にも出場した。広島支部の田原敬三選手と死闘を演じて惜しくも敗れた。初出場を果たした第15回全日本大会の翌年、初めて見る日本武道館での世界大会だった。自分の運命を変えた大会だった。ウィリー選手に勝った田原選手は7位入賞したが、鎖骨骨折でドクターストップとなった。試合後、控室か何処か場所は忘れてしまったが?田原選手にお疲れ様でしたと声を掛けたら、「白石さんはお元気ですか?」と逆に声を掛けられた。実は後年になって分かった事であるが、大智が広島に転居した時、広島で入門した道場の先生が田原さんだったのである。事情あって田原選手が極真会館を去り、独自で流派を立ち上げた時、大智は師である田原選手と共に同じ道を選んだ。そして高校卒業まで空手を続け黒帯を取った。

ウィリー選手の訃報を聞いて驚いたのにはもう一つ訳があった。決戦の年の幕開けを控え、年末から正月にかけて聞いた大山総裁のレコード(カセットテープ)にウィリー選手が登場していたからだった。元全日本チャンピオンでさえも倒し、快進撃を進めるウィリー選手は日本選手団にとって一番の脅威だった。即ち、第2回世界大会の優勝候補筆頭で一番の台風がウィリー選手だったのである。

日本代表選手団強化合宿を間近に控えて、ウィリー選手の戦いの模様をCDで何度聞いたことか。だからこのタイミングの訃報にただただ驚くばかりであった。

極真会館の発展の一番の要因は、世界大会の成功があってこそのことである。海外勢の脅威、日本選手団と海外強豪選手との死闘。優勝を脅かすほど強い海外強豪選手の存在が皮肉にも世界大会を成功させ、組織を発展させてきた。その歴史ある世界大会で、日本選手団の最強のライバルとして一時代を築いたウィリー選手のご冥福を心からお祈りするばかりである。

3月の日本代表(候補)合宿のバスの中で選手達に聞かせた大山総裁の声(CD)。

大山総裁は語る。

喉の乾いた牛を小川へ連れて行くのは人間の役目。しかし、牛が水を飲むか飲まないかは牛自身の問題である。別に極真空手に来たからといって強くなるとは限らない。極真空手に来なくても強くなれる。強くなるかならないかは本人の努力である。』

悲しいかな!それが現実となった。5月大阪のJFKO大会で要の男子重量級で負けた。無差別の世界大会の頂点に一番近い重量級のチャンピオンを、初めて他流派が獲った。日本選手団の中に男子で初めて他流派選手が入った。

勝った選手をほめるべきであるが・・・もう言葉にならない(悔)。

結果が全てである。

全ては11月勝つだけである。

令和新時代となり、今回で節目の12回目となる世界大会。第1回大会の開催にあたって、大山総裁はこう言われた。

『もし日本が負けるようなことがあったら私は腹を斬る!』

 第2回目の時は

『チャンピオンの座を海外に持って行かれるようなことがあったら、選手諸君、君たちが腹を斬れ!』

と言われた。

厳しい勝負の世界にあって、これほど厳しい言葉は他にない。また、逆に師が弟子を信頼しているからこその言葉でもある(自分はそう思う)。十数年間、この言葉を肝に銘じて日本選手団に身を置いて来たつもりである。

こうして始まった世界大会だった。日本選手団にとって優勝が絶対の世界大会であった。第3回大会までは総本部全盛時代であった。代表選手のほとんどが大山総裁の直弟子であった。だから監督もコーチもいらなかった(と自分はそう思う)。第4回大会は代表選手15名の内、12名が初出場だった。総本部出身の選手は二人だけだった。ましてや海外選手の台頭・・・大山総裁が大号令を掛けた。初めて代表選手全員を集めての強化合宿が行われることとなった。選手団に初めて監督とコーチが出来た。

かくして32年前の夏、日本代表選手全員が集結し大山総裁の陣頭指揮の5泊6日の強化合宿が挙行された。

師から弟子への“直伝!”であった。

それから延々と続く日本選手団の戦いの歴史と伝統。男子は一度も王座を海外に渡したことはない。女子は第10回大会以来の王座奪還である。第4回大会での大山総裁が日本選手団の優勝のためにされたことと同じように、我が組織も数々の策を講じて来た。最初に打った手こそ選手強化委員会の設立だった。今やユースジャパンは15期目を数え、選手は400名を超える規模にまで大発展した。U-22を初めとするU-制度は日本代表選手への登竜門となった。選手団コーチは今では7人いる。全員世界戦士である。女子専属コーチさえいる。組織は選手育成にも最も力を注いで来たのある。

日本選手団に身を置いて16年が経った。厳しい戦いばかりであった。負けたこともあった。しかし、どんな試練をも日本選手団は乗り越えて来た。

伝統継承!!

11月、必ず勝つ!

南国鹿児島での強化合宿。これまでの合宿で最も厳しい合宿になるであろう。全ては11月の大勝利のために。戦いは支度で決まる。選手団の団結こそが大勝利へ道である。

 王座死守!王座奪還!

空手母国日本の威信に懸けて何としてでも成し遂げてみせる。

日本選手団は地上最強である。