縁が縁を呼び、絆となる

無題

第12回世界大会で日本選手団は男女W優勝を成し遂げた。男子の島本雄二選手は二連覇を達成した。この春からは東京練馬で支部道場を開設し、支部長として指導者としての道を歩むこととなった。

世界チャンピオンの島本と比べるすべもないが、自分も32年前世界大会の後に実質引退し、当時の本部道場の師範代と新しく作られた選手クラスの責任者を任されることになった。緑帯になった時、全日本大会を目指す日曜日の選手クラス『小天狗実戦会』が復活した。当時は千葉県下に10以上分支部があったが、初期の頃は実戦会には黒帯しか参加していなかった。参加人数も10名を超えたことはなかった。組手の激しさからか茶帯すら参加しなかった時代に、自分は緑帯で師範から特別に参加を許された。今の少年部全盛の時代とは違い血気盛んな10代、20代の一般部全盛の時代だった。そんな時代でも全日本大会を目指し支部内合同の強化稽古を行っていたのである。その規模ややり方は違うが、今の日曜日の朝練のようなものである。ドリームの前やユース合宿の前に行う少年部も含めたあの特別稽古然りである。要は支部間の交流である。

ひとりでは限界がある。同じ目標を持つ者同士の切磋琢磨こそが真の強さを生むのである。

全日本大会を目指す茶帯黒帯の「小天狗実戦会」に出るほどのレベルではないが、先ずは千葉県大会出場を目指す大会志向の色帯の選手を千葉県下の分支部道場から集めた新しい選手クラスが世界大会が終わって発足した。自分が責任者となり、空手の象徴である拳と技を磨く意味で『拳技会』と名付けた。現役時代から今でも一番好きな補強は、拳立てである。

以前、選手団コーチを務める石原支部長から、岡山東支部に当時の千葉南支部の道場生がいて、その拳技会に参加して監督のことをよく知っている人がいることを聞いた事があった。1月の支部長会議の時にもその話が出て、つい先日その道場生の写真を送ってくれた次第である。多い時は20名位参加したので、はっきりとは顔は覚えていないが記憶はある。5月大阪で30数年振りの再会を今から楽しみにしている。

石原支部長との不思議な縁は続く・・・

やはり今年1月の支部長会議の時の出来事である。会議が始まる前に席が前後ろだったので雑談をしてた時の事。鏡開き稽古会での護国寺の講話の話になった。今年の“心の綺麗な人のところには心の綺麗な人が集まる!”・・・は、いい話だったなあ!一昨年の話も良かったなあ!忘れられないなあ!と何気に言うと。

石原支部長からどんな話でしたか?と訊ねられたので書道の神様と謳われた小野道風という人がいて・・・という例の「道風と蛙」の話をしたら。名前を知っているどころか。“地元の英雄です。実は自分も書道を習っていました。”ビックリ仰天!椅子からひっくり返りそうになった。石原支部長は愛知県春日井市出身で、小野道風の生まれ故郷が同じ春日井市である事も初めて知った。今年は初っ端から大収穫だった(笑)。

縁はまだまだ続く・・・

第3回カラテワールドカップの前の年?組織名が変わる前である。日本選手団に試練を与えるために緑代表が福岡支部主催で第1回国際大会を開催した。第7回世界大会準優勝のムザハ・バカックはじめ若き日のバレリーやローマン達海外勢と第8回の日本代表候補の選手達が勢揃いしたその大会で優勝したのが石原支部長だった。石原支部長は家族で遠征、自分も大会で地方に初めて家族で遠征した。大会翌日の帰り、博多駅近くのロッテリアで石原家族と遭遇した。偶然にも当時まだ1歳か2歳の凜々ちゃんと我が家の次女が同じ年だったので朝からその場で盛り上がったことをよく覚えている。我が家の次女は3回目で“もうやだ!”と言ってやめてしまったが、凜々ちゃんのその後の成長活躍ぶりは周知の通りである。そういう事もあったのでわが事(子)のように見守ってきた。

こうも縁が重なるのも珍しい。極め付きは、岡山と言えば・・・やはり桃太郎である。少年部選手クラスに桃太郎クラスと名付けたが、これも何かの縁かもしれない。

縁が縁を呼び、また縁が重なり。深い絆となる!

書道の本家本元の人に、何も知らないで拙い書を渡していたとは・・・・

“石原、今度は俺のために何か書いてくれよな。”

やっぱり昔からこんな仲だったとは(笑)!