旅立ちの時

200327_1940~01

ある少年部のお母さんから尋ねられた。道場訓7番目の修行と修業はどちらが正しいのですか?

道場HPのトピックスに内容は掲載したのでここでは詳細は書かないが、いい勉強の機会になった。大山総裁の著書には修業と書かれているし、会員手帳は修行とある。どちらも正しいと思う。最後は大山総裁に尋ねる以外にない。

長い休館期間に道場開設以来の大掃除と事務所の資料や本などの大整理整頓を行った。宝物殿から出るわ出るわ!懐かしい宝の山の数々。極真時代の懐かしい写真に始まり大会ポスターや空手雑誌。初代桃太郎のお母さんから贈られた兜の色紙。特に、久しぶりに目にする熊本研修時代に買った大山総裁の著書。大山総裁の言葉が心に沁みて響き渡る。思いもよらず空手の師範になった。空手に携わり、58歳になって、今だからこそわかる事が沢山ある。現役の頃はただ強さだけを求めていたから、目にも留まらなかったことも沢山あったと思う。

熊本で過ごしたあの研修時代の1年がなかったら今の自分はなかったかもしれない。大山総裁の著書を買い漁った。大山総裁の著書を読んだことで「宮本武蔵」に出会った。宮本武蔵が晩年を過ごし、あまりにも有名な「五輪書」を書いた熊本に自分は偶然にもいた。道場生達は誰も知らないだろう。稽古の後に唱和するあの道場訓!実は大山総裁に乞われて、宮本武蔵の作家である吉川英治先生が大山総裁の草稿を監修して出来上がったものであることを。

宝物殿から見つかったもののひとつに、80㎝ほどの筒があった。一見してポスターが入ってたものだとすぐ分かる。あて先は自分が1年間過ごした熊本の税務大学校研修所だった。大山総裁のポスターを通信販売で買った時のものである。入門前の18歳の時である。研修所時代も千葉に来てからも独身寮の6畳一間の部屋に貼って入門の日を夢見て稽古をしたものである。弟啓治が上京して来た時も必ず一緒に稽古した。6畳一間の奥村道場で。

その40年前のポスターが今は道場にある(笑)。

吉川英治先生の書かれた宮本武蔵の全巻を買い心躍らせながら読んだ。著書で知ったが、大山総裁が初めて宮本武蔵を呼んだのも二十歳前だった。山籠もりの修行の際には宮本武蔵の本を持参して厳しい修行に耐えたと書かれてあった。熊本時代に宮本武蔵の映画を見た。良すぎるほどのいいタイミングだった。萬屋錦之介さんが演じる宮本武蔵に憧れた。益々宮本武蔵が好きになった。それはイコール大山総裁であり、空手だった。極真空手を絶対やろうという決意だった。宮本武蔵の本の中で好きなシーンが幾つかある。生涯の師とも言える沢庵和尚との出会いと薫陶。柳生石舟斎との出会い。石楠花のシーン。一番好きなのは、武蔵を慕うお通を振り切って生涯を剣の道に進む決意をする場面である。暴れん坊だった武蔵は沢庵和尚にお城の牢屋だったか?開かずの間に幽閉させられた。そこでかつての悪事や夢に出てくる落ち武者や幽霊に悩まされる。煩悩との戦いである。仏法や沢庵の教えで武蔵は成長、3年の後お城から出て・・・その決意の場面が登場する。これこそ自分が東京行きを決心させたシーンでもある。このシーンの原文を書いた当時の税務大学校の原稿用紙が宝物殿から出て来た。ポスターの筒以上にビックリした。

孤剣!たのむはただこの一腰。武蔵は手をやった。「これに生きよう!これを魂と見て、常に磨き、どこまで自分を人間として高めうるかやってみよう!沢庵は、禅で行っている。自分は、剣を道とし、彼の上にまで越えねばならぬ」と、そう思った。青春、二十一、遅くはない。

大袈裟に真似して拳の道に進もうなどとはおこがましくて言えないが、極真空手を絶対やろうと思ったのは間違いない。一度きりの人生!後悔したくない。極真空手をやりたい。大山総裁に合いたい。との思いだけだった。

旅立ちの時!夢があれば怖いものはない。若さは夢と希望の原動力でもある。失敗を恐れるな。前を見よ。より高みを見よ。自分の人生は自分で拓け!!

人には必ず使命がある。

この道より我を生かす道なし この道を歩く!