心次第

Miyamoto_Musashi_Self-Portrait

稽古が出来ない日々が一か月以上も続く。当たり前に出来ていたことが当たり前に出来なくなった。

先日、ライトハウスの松井さんから電話取材を受けた。

「奥村師範はオンライン道場や道場生に宿題など出したり何かしていますか?」

「オンライン道場のやり方も知りませんし、宿題も出していません。」

宿題など思いすらしなかった。電話の時は、“宿題かあ!出せばよかったかなあ。”と少し思ったが。今は全く思わない。ゆっくり休む人は休むだろうし、自主トレする人は言われなくてもするだろうし。ただひとつだけ思うことがある。皆さん立場は違うが、空手道を見つめ直す機会になればいいなと思っている。自身を。人生を。

極真空手が好きで好きで、やりたくてやりたくても田舎には道場がなかった。いつか入門する日を夢見て、弟啓治(師範)とふたり闘魂神社で真似事をして汗を流した日々。熊本の税大時代は、通信教育のカセットテープを聞きながら稽古をしたものである。五段の今の自分から見たら、ママゴト程度のものだった。しかし、闘魂神社の日々も税大時代の自主トレも、他人に言われてしたのではない。ただ自分が極真空手が好きで、極真空手入門の日を夢見て汗を流したものだった。あの入門する前に流した汗と熱い想いが入門後の原動力となった。どんな苦しい稽古も、極真空手ができるという喜びの方が大きく乗り越えることが出来た。今稽古がしたくてしたくてうずうずしている人は再開したらその分頑張ればいい。

どんなに夢があっても思いがあっても、厳しい現実問題もある。今振り返っても上京するという事は大変なことだった。就職先を東京にしたとしても世の中は甘くないから。子供の頃から憧れた極真空手、入門の決意を確固たるものにしたのは熊本時代の1年だった。研修生の身分だったが給料を貰うようになって、大山総裁の著書を買い漁った。そして、宮本武蔵に出会った。大山総裁の著書を読まなかったら本当に空手のためにだけ上京していたかどうか分からない。宮本武蔵の本を読まなかっら、地元に残っていたかもしれない。自分にとっては研修以上に人生の岐路とも言うべ1年でもあった。

大山総裁が師とも仰ぐ吉川英治先生の著書「宮本武蔵」で一番好きなシーンがある。宮本武蔵と言えば・・・巌流島の決闘!と言われる位に宿命のライバル佐々木小次郎との巌流島の決闘はあまりにも有名である。しかし違う。柳生石舟斎とのやり取りも大好きである。あの芍薬の花の木枝のシーンは剣の道に相応しい大感動の名場面である。

一番好きなシーンは・・・

暴れん坊の武蔵を改心させようと、生涯の師となる沢庵和尚は白鷺城の天守閣の開かずの間に幽閉を命じる。ここで人の道を学ぶよう諭す。3年の月日が経ち、いよいよ城を出る日がやって来る。士官の道を断り、故郷で平凡に暮らすことも望まず剣の道を志す。新免武蔵(しんめんたけぞう)から宮本武蔵に生まれ変わって修行の旅に出る。極真空手をに恋焦がれ上京を決心した自分に重ね合わせ、何度も何度も読み返したシーンである。

宮本武蔵『地の巻・花田橋』

この剣の道に生きようと決心したのも、あの天守閣でのこれまでの人生の自問自答の日々があったからである。それを導いた沢庵和尚という師の存在があった。お城には和書、漢書、禅書などあらゆる書物があった。人、書物、出会いなくして武蔵の心の成長はなかった。

幽閉を命じる時に沢庵和尚は諭した。

『書物はいくらでも見よ。古の名僧は、大蔵へ入って万巻を読み、そこを出るたびに、心の眼をひらいたという。おぬしもこの暗黒の一室を、母の胎内と思い、生まれ出る支度をしておくがよい。肉眼で見れば、ここはただの開かずの間だが、よくよく見よ、よく思え、ここは和漢のあらゆる聖賢が文化へささげた光明が詰まっている。ここを暗黒蔵として住むのも、光明蔵として暮らすのも、ただおぬしの心にある。

まだまだ稽古再開の目途は立っていない。事が起きたからこそ分かることもある。事が起きて試されることもある。かつて経験もしたこともない未曽有の国難とも言うべき事態ではあるが、何とか乗り越えて未来へのステップとしたいものである。稽古出来ない日々を暗黒蔵として過ごすか、光明蔵として過ごすか自分自身である。

平常心。不動心。40年経って未熟さを痛感しきりである。

現実は厳しいが、心の在り方を問われているのかもしれない。

上を向いて歩こう!!