縁ありて花開き 恩ありて実を結ぶ

200627_1100~01

少年は会わない間に逞しく成長していた。十数年ぶりに再会した時に少年は自分にこう言った。

「世界で一番好きな乗り物は奥村先輩の肩車です!」

極真現役時代の話である。

老いぼれ師範が若かりし頃の・・・

ただただ極真空手がやりたくて上京し、全日本大会を目指して目をギンギラ銀に輝かして稽古に励んでいた19歳、20歳の頃に少年部の指導員を任されていたことがあった。緑帯から茶帯になり、ある意味では純粋で一番輝いていた時期かもしれない。その頃にあるひとりの可愛い少年がお兄ちゃんと一緒に入門して来た。(母曰く)弟は泣き虫で気が弱く、空手道を習わせて少しでも強くなって貰いたいとの母の切なる願いでからあった。今、当時を振り返っても稽古の事は何も思い出せない。悲しいかな!少年との写真は一枚もない。でも少年の事は今でもはっきりと覚えている。少年は人一倍ひと懐っこくいつも自分のそばに寄って来た。そんな時、いつも決まって少年を肩車した。肩車して遊んだ記憶しか残っていない。喧嘩空手と呼ばれていた時代、師範から指名されて行う組手は決闘に近かった。負けた人は大抵やめて行った。弱い人は指名すらされなかった。自分も必死だった。殺伐とした雰囲気だったからこそ、真逆の少年部クラスに心洗われた。心和むひと時があった。今は空手歴40年近くで五段、世界大会など修羅場も色々くぐって来た。

正直に言うと、今も少年部の指導をしているが昔の方が上手かったかもしれない(内緒)。

少年は黄色帯の時に広島に引っ越した。引っ越しても少年との関係が途切れることはなかった。毎年、年賀状が届いた。勿論小さな少年がひとりでそうした訳ではない。其処には少年と同じ思いの母が、父がいたからこそである。時々、近況報告の手紙も来た。自分が千葉県大会で手を骨折した時、お見舞いの手紙と一緒に快気を願う兜の色紙が届いた。その兜の色紙は、世界大会に出場し現役を引退するまでの間怪我の連続だった自分をどんなに励ましてくれたか図り知れない。生涯の宝物である。

その少年は男の3人兄弟。奥村家は反対に3人の姫君。結婚した時に、男の子が生まれたらその少年の名前を付けようと思っていた。神様も、かみさまも承諾!しかし、その夢は叶うことはなかった(笑)。40年近くも途切れず毎年届く年賀状。去年の年賀状は、結婚披露宴で奥様とケーキカットをする仲睦まじい写真だった。前々から秋頃にはと聞いていた披露宴の招待状が来た時はひっくり返りそうになった。全日本大会と重なってしまった。出席を断ったら、先輩にはどうしても出席して貰いたいからと、披露宴の日取りを・・・な、な、何と!変えてしまった。天下の帝国ホテルの日程を自分のためにだけで変えてしまった。

恐るべし初代桃太郎!!

世界チャンピオン3名を連れて行き、最高のお祝いをした。ふたりの門出に際し乾杯の発声まで頼まれた。披露宴を終えて数日経ち、もう道場生の披露宴は出ることないだろうなあ!大智を最後にしようと思った。

そして、今年届いた年賀状・・・

先ず最初に目に飛び込んだのが、手書きのイラストだった。ヘルメットをかぶり50CCバイクにまたがる姿。泣き虫だった少年が逞しく成長した姿であった。イラストの下にはこう記されていた。

 「創業当初の姿 初心を忘れず!一人立つ」

大学進学の時に東京に戻った。大学時代に貯めたお金で卒業後に念願の起業をした。起業と言っても最初は木造アパートの4畳半の部屋からスタート。意気を感じ会社の方針に共鳴し入社したひとり目の従業員の給料を払うために会社業務の後、夜の建築現場でアルバイトをしたそうである。社員が何人になっても、会社が大発展しても当時の苦労を忘れまいとするその思いに心打たれた。今現在、海外を含め数社を擁する大グループ企業に発展しても尚謙虚であろうとする姿に会社発展の要諦を見たような気がした。

結婚披露宴後の二次会は、会社創立20周年の祝賀会で二千人規模のの大祝宴で盛り上がった。其処では大鳥の挨拶を仰せつかった。披露宴での挨拶と言い、少年の自分を思う心に触れ感無量の想いであった。少年が大学を卒業して起業し4畳半の部屋からスタートした時、自分は丁度公民館で数人の仲間と空手同好会の形で一度はやめた空手を始めた時でもあった。まだ組織には認められていなっかった。第7回世界大会は一観客だった。一観客が4年後、日本選手団に入った(笑)。

大袈裟に言えば、紆余曲折はあったが千葉の地でひとり立った自分と少年も同じ状況にいたのである。この不思議な偶然も二人を強く結び付けた。

コロナで道場休館の間、為す術もない自分の無力さを痛感し途方に暮れる中、少年から届いた今年の年賀状の言葉に救われた。自筆でこうも書かれてあった・・・

 “縁ありて花開き 恩ありて実を結ぶ!”

少年が歩んだ今日に至るまでの人生を著すかのような的を得た言葉である。何と素晴らしい言葉だろうかと思う。縁とはズバリ出合いであろう。父と母でさえも。子として生まれし最初の縁である。縁とはチャンスでもある。小さな大会でさえも縁のひとつである。ある意味で運とも言う。縁だけで成功したのではない。努力!努力の上に仲間ひとりひとりを大切にする創業者、リーダーとしての姿があり、共に歩む仲間がいたからこその大発展であった。その振る舞いの根本は恩。報恩感謝に他ならない。まさしく縁なくして花は開くことはなく、恩なくして実を結ぶことはなかったのである。大山総裁の極真精神と同じではなかろうか。伝統継承も、実は自分が受けた空手道の恩を報いる感謝の行為なのである。自分はそう思っている。

あまりにも素晴らしい縁に気付いてない人が多過ぎる。いや気付いているとしてもあまりにもその縁を生かしていないような気がしてならない。空手道は趣味である。綺麗事だけを言うつもりはないが、道場は心と身体を鍛える修行の場である。厳しい人生を生き抜くひとつの術を磨ける場所だとも思う。だから趣味かどうかは全く関係ない。また立場の違いはあれど、空手道を修行することにおいて師範も道場生も全く関係ないと思っている。だから会費は頂いても、道場生をお客さんだと思ったことは一度もない。昔道場生時代、お客さんだと思って通ったことはない。

昨日、ある道場生に来年の昇段審査を挑戦するように言い渡した。今日、そのお母さんからお礼を言われた。「師範、ありがとうございます。」と。まだ受審許可しただけで黒帯を出した訳でもないのに。

自分はこう答えた。

「いつかはお父さん、お母さんの助けなしにひとりで生きて行かなければならない時が来ます。社会に出たらもうひとりです。そんな時に、空手をした事が必ず生きると思っています。10年空手を続けた自信があれば何でも乗り越えられると思います。」

「全日本大会や世界大会という大きな目標があれば誰でも頑張りますから。たとえ全日本や世界大会に出れなくても(目指している人と)同じように稽古に励む事の方が難しいと思いますよ。ひとり社会に出る時、自分は何もしてやれませんから。自分が出来る事はこれくらいの事ですから。」

本当は全日本選手の兄よりも、出れなくても毎日一緒に稽古する弟の方が凄いんじゃないかと最近思うようになった(秘)。父が、母が、毎日送迎するのは単にその日の稽古のために行っているのではない。将来、息子達が社会に独り立ちする時のためなのである。自分はそう思う。

「あと早目に言わないと、いつもの3人でダラダラ稽古しても無駄になりますので。他人より早く言い渡しました。」

社会に出たら道着を着ることはない。空手の技が喧嘩に役立つのか?本当は分からない。喧嘩をしたことがないから(笑)。しかし、道着を着ていなくても黒帯という修行の証は試練が立ちはだかった時、立ち向かう勇気を奮い起させてくれるに違いない。

空手とは、そういうものだと思う。大会のためだけではない。でも大会がある以上はそれを目指して欲しい。強さを求めて欲しい。もし喧嘩したら負けないで欲しい。空手をしている意味がない。時には己を殺し、そして時には己を活かす!それが空手道だと思う。

どんな黒帯になるかは自分次第である。

休館中、あらためて空手道の、何百年と続く武道の存在意義を肝に銘じた次第である。

空手に出会えて本当に良かった。

第三希望にも書いていなかったけれど、千葉に来て本当に良かった。

大智に出会えて本当に良かった。あの時、少年部の指導員を引き受けていなかったら大智に出会えていなかったかもしれない。指導員にしてくれた師範に感謝である。そして何より、お父さんとお母さんがいたからこそ大智との縁がこんなにも大きく育まれた。

お父さん、お母さん、必ず元気になって下さいね。今度、道場で鶏の水炊き御馳走しますからね。いつもいつも野田家の幸せを祈ってます。

大智、ありがとう!いつもいつも本当にありがとう!!