人のために火をともせば 我がまえあきらかなるがごとし

富士山書 (1)

世界を襲ったコロナ禍。いまだ全く終息の気配はない。終息に向かうどころか、緊急事態宣言解除後よりも感染者が拡大している。経済活動や人の行き来が通常に戻り仕方がないと言えば仕方ないが、ふんどしを締め直して今まで以上に感染防止対策を徹底し道場運営にあたりたい。

人に物をほどこせば 我が身のたすけとなる、

譬えば 人のために火をともせば 我がまえあきらかなるがごとし

通算で約2か月の間、道場休館を余儀なくされた。二度とあっては困るしマイナス面は多々あったが、これまでの空手人生を見つめ直すいい機会になった。あらためて組織や仲間の素晴らしさ・強さ・有難さを再認識する機会になった。公務員住宅から引っ越して以来の大掃除をした。事務所と更衣室の整理をした。出るわ!出るわ!懐かしい品の数々。宝物がたくさん出て来た。事務所は宝物殿だった。初代桃太郎の母からの兜の色紙。弟啓治(師範)から初めての上海遠征の時にプレゼントされた死力達成の横断幕。書を始めるきっかけともなった姫君の小学生時代の書初めが出て来たのには驚いた。取っておいて良かった。休館中の一番は、やはり極真現役時代の機関紙「パワー空手」や大山総裁の著書を読み返した事だった。蘇る大山総裁の言葉に、師の教えに何度も救われた。今思えば“時!”だったのかもしれない。

 希望の朝を迎えよ そして、感謝の夕を迎えよ!

何人もの支部長から電話があった。中には“喝を入れて下さい!”とこんな自分に本気で頼ってきた若い支部長もいた。自身が途方に暮れる日々さえあった。他人を励ます身分ではなかったが、あらん限りの励ましの言葉を掛けた。

“お互い自分で選んだ道じゃないか。今は充電中だけど前に進むしかないな。試練乗り越えて。やるしかないな!”

励ました自分の方が励まされた。仲間と話をしているだけで元気が出て来た。愚痴を言い合っている訳ではない。大山総裁の言葉とはまた別の意味で仲間に何度も救われた。あの時は、お互いがそうだったに違いない。

時間は有り余っていたが、書なんてする気分じゃなかった。或る時、書く気になった。そんな時、徳島に嫁いだ娘から道場開設の嬉しい知らせが届いた。そして、とんでもないお願いをされた。これで火が点いてしまった(笑)。娘のお願いがきっかけで、横書き⇨黒の台紙⇨額縁⇨金粉・・・と止まらなくなった。最後に、貼り紙!に行き着いた。

徳島の娘には頼まれて贈ったが、何人もの支部長に心魂込めて書いた「書」を勝手に贈った。勝手の極めつけは、あの貼り絵第一号となったあの富士山の書を図々しくも富士山に贈った。3月の日本代表強化合宿と15年続いたユース合宿が初めて中止となった。富士に行かない事自体が初めての年かもしれない。10年以上コンビを組んでお世話になった現地宿舎の担当者に初めて書いた手紙と一緒に贈った。日本代表選手団とユースジャパンの聖地が気になってしようがなかった。

そんなつもりは毛頭ないが、或る時に初代桃太郎の母が桃太郎ににこう言っていたそうである。正月に何か書を送った時の事である。

“奥村先輩は、他人(ひと)を励ます人かもしれないね!”

GIVE&TAKEでやっている訳ではない。見返りを期待している訳ではない。気が付いたら贈っているだけである。書いたから貰ってくれるかなって渡しているだけである。押し売りの時もある(笑)。でも渡す人を意識して心魂込めて書く時もある。6月に道場が再開した時、ある道場生に言われた。昔師範に頂いた書「希望の朝・・・」に辛い時救われましたと。嬉しい限りである。高校の時、啓治が青少年育成グループ「闘魂会」を結成した。大事な遠征の前に、自らが闘魂と書いた色紙を皆に渡していた。“(喧嘩に)負けるんじゃねえぞ!”って気合い入れていたことを思い出す。今同じ事やっている自分がいて、血筋だなあって思った。(笑)。

審査会の後、ルネサンスの道場生全員に書を渡した。尽かさず整体の先生がフォローしてくれた。

“(師範から書なんか)なかなか貰えないんだぞ!”

つい先日も、岡山の姪っ子の事が気になり書を贈った。本家高知と同じように岡山にも生涯の盟友がいるから。

『千葉南支部長

日本代表監督

奥村 幸一師範より激励の書を頂きました。

誰も思いもしなかったこのようなコロナ禍で大変身に染みる大山倍達総裁のお言葉です。

道場に掲出させて頂き大山総裁を知らない世代の道場生に伝えてまいります。

奥村監督、誠にありがとうございます。押忍』

  

『監督!!本当に救われました!お言葉・書を胸に刻み稽古精進致します。ありがとうございました。押忍!』

“人に物を施せば、かえって我が身を助けることに繋がる。

例えば、人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなるようなものである。”