師範は買い物に出掛けてます!

113221715_644873476121501_655348562042735110_n

火曜日、事務仕事をしていたら携帯が鳴った。石原(支部長)からだった。とうとう間違いがバレテしまったか!大山総裁の言葉の間違いに気が付いたか!と電話に出た。右に頭をかしげながら人懐っこいいつもの笑顔で、第一声は“間違い気が付きましたあ!”と言うのだろうと構えていたら、ハズレタ。自分が間違い気が付いたか!と言う前に、第一声は・・・

「感動しましたあ!!」

ま!の字ではなく、か!の字だった。

「早船さんのブログ読まさせて頂きました。感動しましたあ。」

千葉南支部の夏合宿の事情も何も知らないのに、初めて見るフェイスブックの投稿で響いたのである。大山総裁の書を贈った時に続いて、またもや石原(支部長)が響いてしまった(笑)。これだけ響く、感動する男も珍しい。石原らしいと言えばそれまでだが。やっぱり石原らしいなと思った。感動するだけならまだしも、わざわざ電話までくれるとは。可愛いヤツである。本家本元の千葉南は響くどころか、くだらない師範のブログなど見てない人の方が多いというのに、つくづく凄い男である。時々思うことがある。世の中にホームページというものがもし無かったら!くだらないけど、師範がブログやらなかったらどうなるんだろう?稽古来ない人や分支部の人は道場の様子が何も分からなくなるんじゃないかな?新極真会の誕生日も知らないままで。ああ~怖ばら!怖ばら(笑)!

サッカーの友の事や塚本が来てくれた事まで話す余裕はなかったが、夏合宿の経緯や歴史などを話したら、なお感動していた。事実にも感動したのだろうが、電話までしてくるくらいだから、やはり一番大きいのは、それは自分と石原のこれまでの人間関係にも由来しているのだと思う。石原もまた塚本や塚越と同じように日本選手団より以前から、大袈裟に言えば空手以外の所でも大きな大きな縁があったのである。

悲しいかな!大山総裁が亡くなり極真会館が分裂。その分裂した組織もまた分裂を繰り返す大動乱の時代があった。新極真会がまだ誕生する前の事である。第8回世界大会を見据え、緑代表が選手達に試練を与えた。即ち、緑代表が一支部長として世界大会の前哨戦として開催した、2002年の第1回国際大会がそれである。自分は組織に復帰したばかりでまだ責任者の身分だった。自分の生まれ故郷の地福岡での開催とあって家族も一緒に帰郷した。懐かしいパンフレットを見ると自分も協賛広告を出していた。

「祝 第1回国際大会 “人類みな兄弟 奥村兄弟!”・・・千葉南道場 責任者 奥村幸一」

つくづくふざけた野郎だと我ながら恥ずかしい限りである(笑)。

第7回世界大会準優勝者のムザファ・バカック選手、若き日のヴァレリー・ディミトロフ選手、ローマン・ネステレンコ選手など錚々たるメンバーが出場する中で激戦を勝ち抜き、見事優勝したのが石原支部長だった。その国際大会の翌日、博多駅近くのロッテリアに家族で立ち寄った時、偶然にも石原も家族連れで来ていた。我が家の三女はまだ生まれてもいなかった。偶然にも我が家の次女と石原家の長女が当時4歳で同じ年だったこともあり、それ以来石原家とは大会などで会う度に家族で可愛い姫君談議などをしたものである。これは内緒の話であるが、その後の我が家と石原家との度重なる奇跡がふたりの距離を一層近づけた。

奥村家も石原家も・・・3人娘だった(悲)。

特に長女の凜々ちゃんがジュニアで活躍しユース合宿に参加するようになり、高校生で一般部に出場するようになってからは以前より増して声を掛けるようになった。石原親子との忘れられないエピソ-ドがある。アスタナで開催される第6回世界ウエイト制大会の日本代表選手の最後の選抜戦となった大阪のJFKO大会の時の事である。凜々ちゃんは優勝さえ狙える位置にいた。しかし、準決勝戦で他流派の選手に負けた。普通の選手なら3位入賞しただけでも凄いのに組織や監督の自分に期待されながら結果を出すことが出来なかった。ましてや父は日本選手団のコーチを務めている。負けて自分の所に親子で挨拶に来た。もう言葉にならない位に泣いていた。石原が代わりに言った。“申し訳ありませんでした。”奥様も後ろの方で泣いていた。凜々の涙に泣けた。母の涙に泣けた。審判席の直ぐ横ではあったが、石原の涙に自分も泣いた。こういうのを人前もはばからずと言うのなら、人前もはばからず男泣きした。そして、こうひと言だけ声を掛けた。

「凜々ちゃん、勝負の世界は厳しいなあ!」

石原と固い握手をした。無言だったが、次の戦いへの決意だった。親子鷹は幾多の試練を乗り越え、とうとう親子の長年の夢を叶えた。第12回世界大会日本代表の座を勝ち獲った。世界大会の時だったと思う。石原に言われた。凜々が時々言います。

“(私が負けた時)奥村師範は一緒に泣いてくれた。”

岡山の娘は世界大会の後の第14期ユースジャパン強化合宿で女子主将を務めた。今年も続けて主将を務めるはずだった。悲しいかな!コロナ禍でユース合宿は中止となった。5月WFKO大会も1年延期となった。あの大山総裁の言葉は、石原だけではなく娘の凜々にも伝えたかった言葉だった。それは石原も言わなくても分っている。コロナ禍で道場休館も重なったが、こうしたいきさつがあっての石原のブログであり、昨日の電話だったのである。

第9回世界大会が終わって石原が引退した時、日本選手団のコーチに推薦した。もちろん組織は了承してくれた。日本選手団のコーチ、技術以上に大事なことがある。自分に言わせれば技術などは当たり前である。皆日本代表選手だから技術はそれぞれ持っている。石原も成るべくしてコーチになった。支部長でないただひとりのコーチ、将口恵美。将口を見たら日本選手団のコーチの条件が分かる。

その将口から道場開設にあたって“伝統継承!”の書を頼まれた。ただ単に「書」が欲しいのであれば有名な書家の先生に頼んで書いて貰えばいい。自分より上手な人は世の中たくさんいる。でも将口は、奥村師範の書が欲しいのである。十数年にも及ぶ現役生活の中で日本選手団やユースジャパンで一緒に戦った奥村師範に書いて貰いたかったのである。他の書道の先生の書いた伝統継承など何の価値もないのである。

他の師範方の考えは知らない。ただ今の日本選手団の監督はこう考えている。

日本選手団のコーチの条件・・・それは、世界の舞台で戦う技と魂を伝えることが出来るか!つまり“伝統継承!”出来るかどうかである(極秘)。敢えて言えば、緑代表や三好総監督の下、監督と同じ心で選手団を優勝に導くことが出来るかどうかである。

『先日奥村監督に贈っていただいた大山総裁の大変心に沁みるお言葉

しっかり、毎日希望の朝を迎え今できることを精一杯努力し

刀をいつも研ぎ澄まして感謝の気持ちを忘れず稽古精進してまいります。』

間違えて書いて贈った大山総裁の言葉(教え)の「書」!もう間違えることは二度とないと思う。しつこいくらいに書いたから(笑)。

今日、岡山に正しい「書」を内緒で贈った。他に泣いて喜ぶものを付けて。

このところ石原のお陰で総裁の言葉が夢にまで出て来るようになった(笑)。“武は備えなり!武は備えなり!・・・。剣!剣!・・・剣は、鞘!鞘!鞘の中に納めておくべし!”

九十九里海岸へ向かう途中、ダイソーに寄った。いつも行く店の3倍~4倍の広さはあった。思わず衝動買いしてしまった物とは・・・

おもちゃコーナーで刀をついつい買ってしまった。

レジ袋はどうされますか?

いりません。

悲しいかな!我が家は三人娘 姫に刀は要らず 袋の中に納めておくべし!

※対象年齢6歳以上

恥ずかしいから、茶封筒とジュースを一緒に買いました(笑)。