極真への道!

200903_1613~01

『・・・まるで明日死ぬことが、きまっている人間のように、私は生きてきた。一日、一日に戦いを求めた。なんのために?そのとき、そのときに、理由があった。・・・私の使命は、なんだったのだろう。私はこれから、なにを使命とすべきだろう。その答えが、ここ十数年のあいだに、しみじみと、しかし、しだいに、よくわかってきた。その答えは一つしかない。私は、私がなんのために、生きてきたのか、なんのために戦ってきたのか、それがはじめてわかったのだ。私の使命は、戦うこと、その戦いの逆であった。平和。それにほかならない。私は空手を広めるために、世界に出た・・・』(大山総裁著書:空手一代 極真大道!)

コロナ禍で休館中の時、ある若い支部長に拙い書と一緒に大山総裁の言葉(教え)を贈った。その言葉の書かれた著書のコピーを贈った。御礼の電話の時に聞いた話である。奥さんが、こう言ったそうである。

「奥村師範は本当に几帳面な方だわねえ!」と。

自分では別に几帳面とは思ってもいないが、ただそういう事を几帳面と言うのならば確かにそうかもしれない。

何年前だろうか。空手ライフで「型の分解」の特集をしたことがあった。何人の道場生がそのコピーをしただろうか?コピーまでしなくても直ぐに取り出せるだろうか?今現在も、保存も含めての話である。これは極真魂の時代であるが、道場訓の解説が載ったことがあった。何人の道場生が同じ事をしただろうか?何人の道場生がパソコン(Wards)で打って保存してるだろうか?いやそれを機に道場訓の意味を理解しえたかである。自分に言わせればこれも修業の一環である。道場以外でも、いやこういう事が稽古なのである。自分が思うに、こういう事が道場の組手などの差に表れてくる。

大会でウォーミングアップの時、他人からミットを借りていないか?人に借りてするようでは勝てない。自分はそう思う。審査前に他人から型のDVDを借りていないか?他人に教わるのはいい。借りて覚えるような型は直ぐに忘れてしまうに違いない。大会も審査も、これら全て準備で決まる。その帯の価値を決めるのは本人次第である。他人に準備して貰うか。自分でするか。組織名の入った黒帯締めているだけで満足するか。全て自身の価値観である。

奥村師範は、師範だから!師範だからそういう事を言う、そういう事をすると言う人がいるかもしれない。それは全く違う。大会出るのに、審査受けるのに肩書は全く関係ない。厳しい勝負の世界に、空手道の修業に肩書は全く関係ない。

空手ライフの特集「極真の道!」で、小林副代表が内弟子志願の手紙を大山総裁に書いた記事に感動した。と同時に、こんな人には勝てないと思った。勝てないとは、もちろん大会の勝ち負けだけではない。修学旅行に行かないでそのお金で世界大会を観に行くような人にも勝てないなと思った。全盛時の総本部で僅か1年で黒帯取るような人に、勝てないなと思った。そういう人達だからこそ支部長になったのかもしれない。

だから、師範だからという言葉は全く違う。

思いである。空手に対する、大山総裁に対する思いである。今の時代に、緑代表に年賀状を出すような空手バカがいるだろうか?確かに時代の差はある。いや、いつの世も時代の差はある。今は戦国の世ではないし。空手バカ!要は空手道に対する熱い想いである。探究心もあろう。そういう人が本気で稽古をしたら。戦う前に半分勝負は決しているのかもしれない。陸上の単距離走と同じかもしれない。スタートから違うのかもしれない。

言われてみれば几帳面だったのかもしれない。中学1年生の時から日記付けてたし。交換日記してた(内緒)。感じる言葉があればメモしていた。切り抜きしていた。

大学ノートが昔から宝物だった(笑)。

雨の日も風の日も道場に走って来る白帯がいたらどう思うか?1年後に勝てるか。入門前から大山総裁を思い、著書を読み、教えを学び、通信教育のカセットテープで自主トレするような人がいたらどう思うか?そんな人が本気で稽古したら。

言いたい事はただひとつ。他人に頼ってはいけない。教えを乞うのはいい!自分で出来る事は自分でやる。自分で買う。自分で調べる。ましてや今はIT社会。何でも分かる。想いのない稽古では、熱い想いの稽古の人には勝てない。

想いを掛けよ!熱い想いを掛けた稽古をせよ!

空手人生約40年で後悔している事は色々あるがあえてひとつだけ言うと、入門時から付けていた空手日記を2年半でやめてしまったことである。ある日から突然やめた。せめて世界大会の時まで付ければ良かったと後悔し通しである。残念である。稽古内容やその時その時の思いが汚い字ながら綴られている。情景が直ぐに蘇る。特に師範からの厳しい指導・叱咤の場面は、読み返すだけで今でも涙が込み上げてくる。何故やめてしまったのか全く覚えていない。悔やんでも悔やみきれない。でも、これが現実である。

自分は正真正銘の大山教(極真)信者である(秘)。

と言う訳で、論より証拠!

・・・日記魔でした(笑)。

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