空手日記 青帯試練編Ⅰ

160923_1843~01

『・・・したがって古代中国にいうところの「武」にせよ「兵」にせよ、その意はむしろ今日いうところのものとは反対に“平和的”な含蓄をふくむ場合のほうが多かった。たとえば「説文解字」によれば「武」とは「戈(ほこ)を止むる」の義、つまり戈をふるって人を殺伐するのではなく、相手が襲いかかってくところの戈を制し止めることが本義とされている。・・・「武」とは本来の語義からすれば「活人剣」(人を活かたすめに用いざるをえない場合の剣)に属するものであったわけである。・・・』大山総裁著書:昭和五輪書 水之巻

(前回より続く)

19歳で上京し夢にまで見た極真空手の道場に入門した。(S56.07.04)

空手バカ一代や映画地上最強のカラテなどの影響でまさに世は極真空手ブーム、入門者が後を絶たず極真全盛の時代だった。当時、道場ではひとつの鉄則があった。それは・・・

白帯は組手禁止だった。

理由ははっきり聞いたことはなかったが、想像は易かった。サポーターなし。保険なんてない、今支部長の立場で考えただけでもぞっとする。やられても、押忍!ありがとうございましたの時代だった。組手の時間になると指導を取る先輩が組手やりたい人と聞いて、手を挙げてよっぽど希望しない限り白帯は組手をさせてもらえなかった。7月4日土曜日に入門の手続きをしたが、初稽古は7月7日だった。今でもその日の衝撃は今でも鮮明に覚えている。初めて見る極真空手の組手に度肝を抜かれた。テレビで見たことがある黒帯の先輩の組手に、内心怖さを感じながらも極真空手の凄さを生で初めて見た瞬間だった。これが極真空手かあ~!!と。怖いよりも興奮したことをよく覚えている。

毎日入門者がいたかもしれない。そして毎日やめていく人がいる時代だった。1週間経つと、知らない人が何人もいた。そして、顔を見なくなる人が何人もいた。喧嘩空手と呼ばれた時代、入門してから毎日が試練だったが、青帯の時に最初の大きな試練がやってきた。

56.09.27 昇級審査

S56.10.05 念願 水色帯 初組手

S56.10.10 組手 竹下先輩

後ろにさがったらだめ!負ける! 回り込む ローキック、ハイ

立て! 立ち上がれ!

まだ寮から道場までの道が分からず、仕事帰りに電車とバスで通っていた時代に、時々JR稲毛駅まで送ってくれる優しい先輩がいた。口もきけない怖い黒帯の先輩達の中で優しく声を掛けてくれた茶帯の先輩だった。昇級して念願の色帯(青帯)になって何日か経ったある日、その茶帯の先輩が指導していた時、師範が降りて来た。当時、師範が帯研や実戦会以外の一般稽古で最初から最後ま出ることはほとんどなかった。いつも後ろのドアを開けて、突然現れた。1階が道場、2階が師範の自宅。後ろのドアが突然開くと、皆恐れながら振り向いたものである(内緒)。師範が後ろの椅子に座ると必ず恐怖の組手が始まった。座らないで出て行くとほっとした。

弱い人は指名されなかった。組手しても直ぐに終わった。師範が組手させる時は時間など関係なかった。連続10分、20分など珍しくなかった。今思えば、初めての試練だった。青帯を取って何日目か、茶帯の先輩と組み手をやらされた。高校生、壮年部の茶帯ではない、20代の一般部の茶帯である。いつもは優しい先輩でも師範の前では違った。まだ3カ月しか経っていないのに極真の茶帯に敵う訳がない。何度も何度も倒された。特にローキックでヒザを何度も付いた。でも終わらない。自分が立ち上がって構えるとまた始まる。そしてまたローキックで倒される。一度効かされた足は意思とは別に弱かった。受け方さえ知らなかった。茶帯の先輩がヒザま付く自分に師範に聞こえないように小声でつぶやく。

“奥村、立つな。もう立つな!もういいから!”

先輩は優しかった。茶帯のプライドもあったろう。青帯の自分を気遣ってくれたのだろう。師範の前でなかったら終わっていただろう。勝負は決していた。この日の組手のことは、はっきりと記憶にある。先輩に立つなと言われて尚火が付いた。何度でも立ち上がって向かって行った。5分か、10分か?時間は記憶にない。もしかしたら2分、3分だったかもしれない。ローキックで何度も倒されて中断もあったので長く感じたのは確かである。多分10分位だろう。何度目かのダウンでまた立ち上がった時、師範から終わりの指令が出た。始まりにも、師範お決まりの組手開始の合図があった。道場後ろの師範専用の椅子(ソファー)にどかっと腰を下ろし、右手を横に振って左右に分かれろと先ず合図する。無言の。道場生が左右に分かれると、来ている道場生達を見回し、また右手で対戦する二人を指さすのである。今思い出しただけでもぞっとする(怖内緒)。終わりは、止め!とは言わない。

“もういいだろ!”

組手が終わった時、師範がこう言った事も鮮明に覚えている。

「君は強くなるよ!」

褒められて嬉しかった。多分その頃は、自分の名前さえ知らなかったと思う。これも今でも記憶がある。弱い人は組手をさせなかった(指名して)。へなちょこ組手はすぐにやめさせた(笑)。激しければ激しいほど長くさせた。今だから思い当たることがある。師範と同じ支部長になった今だからこそ分かる事がある。組手をさせてその人を見極めようとしていたに違いない。全日本大会で入賞した白石先輩に続く選手を探していたのだろうと思う。緑帯の時、少年部の指導員をやらないかと言われた。茶帯の時、当時毎週日曜日の夕方に行われていた「帯研」に出るように言われた。茶帯で許されたのは自分が初めてだった。自分が緑帯になった時に復活した全日本選手の強化稽古「実戦会」は自分の方から申し出た。茶帯すらいなかった。記念すべき実戦会初稽古はたった4人だけだった。師範が他支部の黒帯の先輩に言った。自分の方を指さしながら

「この子は(組手)思いっ切りやって構わん!」

日記に記してあった。初めての日、ダウン10数回!今はっきりと分かる。師範は試していた。自分にだけではない。道場生達に(組手で)試練を与えていた。全日本選手を育てようとしていたのである。ほとんどの人は道半ばでやめて行った。特にサポーターもない決闘方式の組手で負けると、大抵の人はやめていった。そのやり方に不満を持って止める人もいた。負けたら、また稽古頑張ればいいのに。自分にはそんな小さなプライドなんか全くなかった。なまじっか小さなプライドのある茶帯や黒帯の先輩は実戦会には出なかった(秘)。それは極真空手が真剣勝負だったからに他ならない。組手で負けたら負けた分だけ、火が付いた。そんじょやちょっとの稽古で勝てる極真空手ではない。負けるほどに極真空手だあと思った。

自分は何をしに上京したか?本物の極真空手をするためだったから!だから耐えることが出来た。

勿論当時も、少年部も壮年部もあった。老若男女誰でも入門出来た。あくまでも全日本大会など選手を目指す人には厳しかった話である。要は其処に身を置くかどうかの話である。師範は弱い人には(指名しての)組手をさせなかった。師範がどんなに厳しかろうが、厳しい道場だろうが、最後は道場生自身で決まる。試練を乗り越えるか。いや試練を与えてもらえるかどうか。師範の思いに応えるか。どういう思いで稽古しているか。どんなに師範が厳しかろうが、自身が自分に厳しくなかったら精進はない。自分に甘い人にとっては極真もただの空手である。組手をさせる師範が、怖い師範と思うだけである(笑)。

師範と同じような事をしようとは全く思わない。時代も違う。ただ自分のやり方で当時の師範と同じくらい厳しく指導しているつもりである。自分に言わせれば自身に、己に厳しくない人は誰に教わっても強くなれない。師範の指導に響かない人も強くなれない。日本代表強化合宿などで3日間厳しい強化稽古を課す。厳しい言葉で叱咤する。解散式で挨拶する時、使う言葉がある。

“自分の言葉が厳しいのではない。勝負の世界が厳しいから!”(厳しい言葉を掛けるのだと)

ルネサンスで指導する奥村師範と一般稽古で指導する師範と、選手クラスで指導する奥村師範、指導の厳しさ?が違う。当たり前である。でも同じ人である。笑って優しい言葉遣いの奥村師範と一緒に笑いながら稽古しているようでは強くならない。実は笑いながら厳しい指導をしている。響く!とは、そういう事が分かることでもある。

自分に厳しく!

名刀は、(名)鉄を名匠が打ってこそ名刀となる。どんな名匠がどんな名鉄を打とうが、その鉄が熱くなっていなければ名刀を作ることは出来ない。何千度という炉の中で熱く焼けた鉄でないと名刀にならない。冷めた鉄は名刀どころか刀にもならない。鉄のままである。熱く焼けた鉄を名匠が心魂込めて打ち、心魂込めて磨くからこそ名刀と成り得るのである。先ずは、自分自身が厳しい環境に身を置くことである。己に厳しくすることである。冷めた稽古はでは強くなれない。厳しい環境に自ら身を置くことが、名刀と成り得る熱い鉄となることなのである。自分はそう思う。そして、もひとつ。刀は刀鍛冶が磨いてくれる。しかし、空手道は、己の技は己が磨くしかない。

熱い思いを掛けた熱い稽古をせよ!

入門することだけが夢だった。青帯の時初めて全日本大会を観た。道場の先輩が4位に入賞した。全日本の舞台に立つ事が夢となった。全日本大会に出場して、今度は全日本大会入賞と世界大会出場が夢になった。試練が果てしなく続いたが、その試練を乗り越える度に夢が膨らんだ。叶えるには相応する努力が必要である。夢に値しない努力もしないで大きな夢を語るのはホラ吹きである。

もしもあの青帯時代の組手で倒された時に立ち上がっていなかったら、今の自分はない。厳しい師範と厳しくも優しい先輩がいなかったら、今の自分はない。

茶帯の先輩が昇段審査で5人組手(2分×5人)に挑戦する時、対戦相手で緑帯の自分もいた。組手自体は自分の方が強かったが、審査会の後に先輩がこう言った。「奥村は強くなるよ!だからやめないで頑張れよ。全日本目指せよ!」白石先輩が一番の目標だったが、道場には尊敬出来る先輩が何人もいた。気合いが大きいだけで可愛がってくれた。稽古頑張るだけで食事やお酒飲みに連れて行ってくれた。全日本大会や世界大会に出た時、その多くの先輩(後輩)が応援に来てくれた。そういう先輩(後輩)達の分まで戦った。

“尊敬される先輩になれ!可愛がられる後輩になれ!”

青帯の時の試練も緑帯の時の試練に比べたら屁みたいなものだった。緑帯の時の試練も茶帯時代の試練に比べたら屁みたいなものだった。茶帯こそ命である。

どんな黒帯になるか。それは、どんな茶帯だったかで決まる。

茶帯時代の試練、半端じゃなかった。

茶帯時代の最初の試練がやって来た。当時の本部道場で全日本選手以外で一番強いと思っていた茶帯の先輩と戦う時が来た。

S58.02.11

組手 VS奥貫さんと 約10分間  ダウン 1回づつ 互いに

ここをクリック☞空手日記 茶帯57.02.11

今何度読んでも師範の事を思い出すと自然と涙が出てくる。

そしてこう思う。(こんな日記書いた奴は)気違いだ(笑)!

「武」の意味分かるか?と訊いて、奥村と安達はちゃんと答えた。さすが元道場の後輩。だからこんな言葉も知ってるんだな。でもそれを師範に書いて下さいとお願いするとは図々しい奴だ(笑)!