我が青春のユースジャパン!

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本当なら今日は出発前日でのんびりしている余裕などなかった。明日から富士の麓で500人の合宿が行われるはずだった。15年続いたユースジャパン強化合宿がコロナ禍の影響で中止となった。

将来の世界大会日本代表選手を発掘・育成・強化する目的で“伝統継承!”のテーマのもと、15年前組織が満を持してユースジャパンを創った。今ではユースジャパンの中にU-19やU-15もある。U-22は日本代表に最も近い存在で、隔年ではあるが単独で強化合宿を開催している。女子選手に至っては選手の低年齢化もあり、U-選手は日本代表選手とほぼイコールである。15年前に47名で始まったユース合宿も、今では選手450名までに大発展した。ドリーム出場や緑帯以上の選抜条件があってのこの数字である。ユースジャパン希望者は後を絶たない。

緑代表の言葉通り、ユースジャパンの中から男女の世界チャンピオンが生まれた。第10回大会で優勝した将口恵美選手は今日本代表選手団のコーチを務める。第12回大会で優勝した島本雄二選手は道場長になった。共に栄えある1期生である。その島本と共に南原朱里選手が王座を奪還し、史上初めてユースジャパン戦士の手で男女W優勝を成し遂げた。

まさしくユースジャパン戦士達が伝統継承を名実共に成し遂げたのである。

今では日本代表選手に育った多くのユース出身の選手達がユース合宿では選手強化委員会の師範方とともにコーチを務める。いよいよ目前に迫った第52回全日本大会。優勝候補筆頭の加藤大喜選手はユース1期生である。当時中学1年生だった。同じく優勝候補のひとりである島本一二三選手はユース1期で初代主将を務めた。Mr.YouthJapanである。今もユースジャパンをけん引する。自分は島本一二三選手をユースジャパンの総大将と呼んでいる。

15年前に千葉の日本エアロビクスセンターで第1回目の合宿が開催された時の緑代表と三好副代表の挨拶の言葉が今でも忘れられない。緑代表は結団式でこう言われた。

「10年後、この中から必ず世界大会の男女の世界チャンピオンが現れます。この中にワールドカップ軽量級・中量級・重量級の世界チャンピオンがいます。君たちの手でワールドカップ(現世界ウエイト制大会)の全階級制覇を成し遂げて下さい。」

3年前の第6回世界ウエイト制で全階級制覇こそ逃したが、ユースジャパン戦士達が7階級制覇の偉業を成し遂げた。三好副代表は3日間の合宿が終わり解散式でこう言われた。

「まるで朝陽が昇るようだった。」

このように大発展した要因は幾つもある。数えきれないし、どれが欠けても大発展はなかっただろう。ユースジャパンという選手育成のカリキュラム自体が空手界で初めてであり、試行錯誤と失敗を繰り返しながらの険しい道のりだった。勿論まだ完璧ではないが現在の確固たる運営体制が出来上がったのである。色々な事が有り過ぎた。振り返ると感無量の思いである。創立以来携わっている身としては今年の合宿中止は非常に寂しい限りであるが、この苦難でさえも乗り越えてより発展に繋げて行きたいとの覚悟である。

敢えて大発展した要因の中からふたつだけ挙げるとしたら、それは・・・

Youth Japanのワッペンと小学生の参加である。

1回目の合宿の時、三好副代表がこう言われた。

“ユースジャパンの選手達にも日の丸を入れてやろうや!”

最初は青を作った。二年目は、開催年を入れた。3年目・4年目、続けて参加する選手の方が多く、年代を入れたら翌年使えなかった。後の事まで考えていなかった(笑)。1回目は47名、2回目は53名。ほとんど同じメンバーだった。後年の成長を見たら錚々たるメンバーだった。当たり前である。当時のドリームカップの中学生と高校生のチャンピオンクラスばかりを集めた。1回目の時も2回目の時も合宿の時に三好副代表にこう言われた。15年経って、もう時効だと思うので敢えて言う(秘)。

「奥村、せっかく千葉で合宿して、監督なんだし、千葉から選手連れてくればいいじゃないか!」

まだ道場を開設して間もなかったが。とんでもないです。こんな(レベルの高い)所に連れて来れる(全日本クラスの)強い選手は千葉にいませんからと、三好副代表の言葉に感謝しながらも手と首を振ったことを思い出す。二回目の合宿で思った。このままトップクラスだけの選抜を続けたら、ユース合宿参加の選手としない選手の間に益々差がついてしまうと危機感を感じた。ユース合宿のコーチは、選手強化委員会の師範(全員日本代表)と塚本や塚越など当時現役の日本代表選手だったから。そういうコーチ陣に指導を受けた選手と受けない選手に益々差がつくと思ったのである。三好副代表の言葉は大変有難かったし、以降ユースジャパンの新しい施策や方針のヒントとなった。ユースジャパン創立以来、まさしく二人三脚で歩んで来た。ユースジャパンがもしなかったら赤鬼コンビは誕生しなかったかもしれない。そうした経緯もあり、ユースジャパンをランク制にしたり、小学生を参加させることを思いついた次第である。

すなわち、第3回目の合宿で

1.A・Bの2ランク制として、赤ワッペンを作った。

2.小学6年生の参加

第3期は第9回世界大会の後だったので中量級世界チャンピオンでブルガリアのヴァレりー選手をユース合宿に特別コーチとして招聘した。合宿の後、後年に結婚するゲルガナ選手と泊りで千葉に出稽古に来てくれた。姫達の通う幼稚園や千葉城に行ったりと懐かしい思い出である。

6年生の加入で、4回目は一気に倍以上の150名近くとなった。6年生が頑張ったのともっと中学生に繋げるために、翌年は5年生まで拡大した。今は赤のAランクの上のゴールドの特Aランクまである。やっぱり昔から赤とゴールドが大好きだった(内緒)。

今思い付くものを挙げただけでも

・班長制導入 ・型選手の参加 ・ユースTシャツ作成 ・選手の合宿反省レポート ・緑代表、各種講話 ・ナイトトレーニング ・早朝タイムレース ・ユース認定証

ユース選手が全日本入賞の結果を出し始めた時、ユース特別賞を作って結団式で表彰した。ユース大発展はJTBさんや合宿所「富士緑の休暇村」の協力と恵まれた環境のお陰である。休暇村での開催10回目の時、理事会に提案して休暇村さんに感謝状と記念品を贈った。ユースTシャツに有名な書家の先生が書いた伝統継承のロゴを10年目に入れた。パンフレットに至っては大の大の進化を遂げた。その充実した内容たるや一番の証拠である。世界一の組織、世界一の大会、そして、世界最強の日本選手団。その陰には世界一の事務局の存在があることを忘れてはならない。勿論15年の歴史の中で失敗もあった。暗いニュースもある。参加選手が増えるが故のマイナス面は多々ある。朝食のバイキングと風呂は4グループの交代制である。休憩時間が短い。今では小学生が半数近くを占めている。選手レベルの低下は否めない。Bランク選考基準を明確に厳しくした。ただこの点は選手強化委員長を務める三好副代表と自分の共通意見でもある。マイナス面やリスクはあっても参加人数が増えるプラス面の方に重きを置くことが一番。何故ならそれは合宿開催地にそびえる日本一の山富士と同じだからである。

裾野が広がってこそ 山の頂上は高くなる!

今週末のユース合宿は中止となった。この試練をも乗り越えてユ-スジャパンも日本代表選手団もより強固な絆と力を身に着け、益々大発展を遂げるに違いない。いよいよ目前に迫った無観客での第52回全日本大会色々な意味で楽しみである。

今年はユースジャパンの一番の選考となるドリームフェスティバルもなかった。厳密に言えば、16期目となる今年はユースジャパン強化選手はいないこととなる。今道着に付けているユースジャパンのワッペンは去年のドリームや選考でのものである。勿論、20歳になってユースを卒業する選手もいよう。あの日の丸入りのワッペンはユースジャパン一番の象徴であり、付けることは選手の一番の目標である。しかし、こだわって欲しいけど、形だけにこだわって欲しくないとも思う。ドリーム入賞を逃し赤から青ワッパンになると、ユース合宿に来なくなる選手がいる。ユース合宿参加しないのに、前に参加した時のワッペンをいつまでも付けている選手がいる。中には20歳過ぎても。450名の中で日本代表になれる選手はほんのひと握りである。世界の舞台に立つ道は厳しい。しかし、ユースジャパンから日本代表が誕生しているのは紛れもない事実である。ユース合宿に行ったから空手をやめてはいけないということはない。日本代表選手でさえやめる時もある。優秀な多くの選手が去って行ったのも事実である。いや違う!空手道を習い、ユ-スジャパンから色々な世界へ翔たいて行ったのである。自分はそう思っている。初代桃太郎の大智少年に教えられた。

来週末の全日本大会、ユースジャパンのワッペンを付けた若き選手達が全日本の舞台で大暴れするに違いない。特に全日本初出場の選手にエールを送りたい。でもひとりくらいは、ドリームもユース合宿もなかったのだからユースジャパンのワッペンを外した選手がいて欲しいと密かに思っている。大会だけではない。ひとりくらいはワッペン付けないで稽古している道場生が全国の何処かにいて欲しい。そんな細かい事考えているのは多分自分くらいであろう。もしかして世田谷にもうひとりいるかも。

日本代表選手団の候補合宿にまだBランク選手や中学生が参加しない初期の頃は、日本代表経験者には(候補)合宿でもALL JAPNのユニフォームを着させ、日本代表のゴールドのワッペンを付けさせた。この(候補)合宿を決定後の(最終)合宿だと思って、日本代表選手のつもりで合宿に臨んで貰いたいからとの思いであった。7階級制覇を成し遂げたカザフスタンからの帰途、成田空港到着ロビーでの解散式で自分は選手達にこう言った。偉業を成し遂げたけれど栄光など一瞬のことだから。永遠に勝ち続けることなどないから。勝って魔も襲って来よう。しばしの休憩も必要である。帰ってから道場で職場で学校では暫くの間は祝勝ムードが続くだろう。大勝利の余韻に暫くは浸るに違いないから。だから敢えて厳しい言葉を掛けた。

勝って兜の緒を締めよ!

日本代表選手不在ではあったが、同じ年の全日本フルコンタクト大会で新極真会は惨敗した。全階級制覇どころか、全階級を諸流派選手に獲られた。諸流派や若手選手の台頭。その年の全日本大会や一年後のウエイト制では、アスタナのチャンピオン達でさえも負けた。

第3回から世界大会を観てきた。第4回は、自身で出場し、大山総裁の薫陶を受けた。世界ウエイト制大会は第3回から、無差別の世界大会は第8回から日本代表選手団の一員として戦って来たから。日本選手団の歴史を全て知っているから。アスタナ以降の日本代表(候補)やU-22の強化合宿では、たとえ前回・過去に世界大会出場していても日本代表に決定していない選手にはALL JAPANのユニフォームもワッペンも禁止しとした。自分の言葉が厳しいのではない。

勝負の世界が厳しいのである!

今年はコロナ禍で大会も合宿も中止だから特別なのかもしれない。だから自分は公には言うつもりはない。理事会に諮る必要もあるだろうし、大混乱するだろうからそーっとして置こうと思う。自分の道場生に外せと言うつもりはない。ワッペン付けてそれで稽古頑張ってくれるならそれでいいし。外してもたった一年のことだけど。だから、コロナ禍を理由にワッペン付けたままの選手が大会で負けた時にはこう言って慰めてやる。今年はコロナだったから負けても仕方がないよねって 。

収束の目途すら立たないコロナ禍の影響は各界に及ぶ。観光業を主とする富士緑の休暇村さんもJTBさんも、その影響は計り知れない。想像に難くない。長年お世話になっているまさしく盟友のお二人に、休暇村の担当羽田さんとJTBの担当高橋さんに心魂込めて書いた「書」に富士の貼り絵を添えて贈ったら、拙い書にもかかわらず大変喜んでくれた。羽田さんから、御礼の返事と宿舎から臨む富士山の写真が送られて来た。いつも選手団を迎えてくれる絶景の富士山だった。来年こそは羽田さんと高橋さんと一緒に富士の山を望みたいと切に願うばかりである。緑代表の号令で、500人のユースジャパン選手団が富士山を背に正拳中段突きをする様を全国に届けたい。