千葉の赤鬼が高知で泣いた日!

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ここ10年来で一度も海外遠征がない年となった。海外どころか国内遠征もなく、飛行機すら全く乗らない年となりそうだった。全日本大会は何とか無観客で開催されたものの、合宿は全て中止となった。昨年は、日本代表選手団とユースジャパンの聖地である富士に一度も行かない年となった。

そんな中での年末の高知遠征。静かな年末とはほど遠い賑やかな最高の年末となった。生涯忘れ得ぬ高知旅となった。

遠征では苦い思い出がある。目覚まし時計2個と携帯目覚まし3セットの5重の備えで無事に羽田に到着した。空港は例年の報道で見るような年の瀬の賑わいもなく、羽田行きのリムジンバスも高知行きの便もガラガラだった。しかし、このガラガラ便がその後に奇跡を呼んだ((´∀`))。ひとり旅の時はいつも寝て過ごす空の便。色々な事が走馬灯のように脳裏に蘇り、全く眠れなかった。地上では真冬でも冷たいコーヒーを飲む自分が、雲の上では一変する。空の便で必ず頼む飲み物がある。温かいコンソメスープである。雲の上だと何故かこれが飲みたくなる。美味しいコンソメスープを飲み干して、眠れずボーッとしていた時に奇跡が起こった。今まで何十年何十回も遠征して、起きた事がないことが起こった。綺麗なキャビンアテンダントさんに話掛けられた。

「よかったらお替わりはいかがですか?」

「はい。ありがとうございます。」

いつもはこちらからお替わりのリクエストするのに。787のジャンボで横列が3・4・3シート、周りはガラガラ、よっぽど暇だったんだろう?会話が続く・・・

「高知へは帰省ですか?」

“高知で日本代表選手団の総監督に100回記念の鶏の水炊き会に招待されましてー”なんて言うと話が長くなると思い、思わず「はい。」と応えてしまった(笑)。すると綺麗なキャビンアテンダントさんの言葉が続いた。

「実は私も四国なんですよ。お正月はゆっくりお過ごし下さい。お気を付けて」

「ありがとうございます。」

びっくりした。ゆるみそうになった顔を我慢して・・・

口下手だけど思わず質問した。

「四国のどちらですか?」

「高知です。」

「自分も高知なんですよ。」

「私は市内です。父が市内で空手道場をしていまして・・・」

「えーっ?・・・流派は何処ですか?」

「子供の頃ちょっとかじった程度なので・・・確か、新極真会です。押忍」

「ひいぇー!!」

思わずひっくり返ってしまった。

・・・な~んて続きの会話にはならなかったが、よっぽどオーラを出していたんだろうと思う。お父さんオーラを((´∀`))!極真現役時代に、大学生の頃はお金もなくて食事もままならない時期があったらいい。そんな時、毎週金曜日の厳しい帯研の後に大山総裁が鶏の水炊きを御馳走してくれたという。何度も話を聞いたことがあったが、今回も手振り交えながら話をしてくれた。もう吐きそうになるくらい腹一杯食べたよ。その後にデザートのどら焼き食べさせられるんだよー。喉のこの辺まで食べて出そうになるんだよ。鬼総監督が優しい顔になる瞬間だった。池武の総本部時代の三好副代表に思いを馳せている自分の姿が、お正月を故郷で迎えるために東京から帰省する父親の姿に映ったんだろうと思う。「高知へは帰省ですか?」との言葉は、偶然にも同じ四国出身が重なり、仕事を越えたまさに父を思う娘の言葉だった(涙)。

娘に、鶏の水炊き会です!とは言えなかった。人生初めて女性に嘘を付きました((´∀`))。

三好副代表が「鶏の水炊き会」を道場でしている事は以前から知っていた。時々、〇〇回目の開催誠におめでとうございます!とメッセージを送ったりもした。全四国大会の時に道場ではないが店で御馳走になったことがある。三好ファミリーの方が経営する店で。三好副代表のために鶏の水炊きメニューをわざわざ作ったらしい。レモンぶつ切りの344酎ハイに至っては、市内のあちこちの店にある。他のお客さんも真似して、(三好副代表が飲んでる物と)同じものを下さいと注文されるから((´∀`))。いつの頃からだろうか?自分も千葉で水炊き会をするようになった。福岡は鶏の水炊きの本場である。その自分でさえ千葉で食べた記憶がない。それが今では・・・ひとり水炊きはしょっちゅうである(内緒)。

70回、80回、90回、97回、98回・・・と節目の100回目が近づいて来た時、昨年の年明けに招待を受けた。

「盟友の奥村と一緒に100回目は飲みたいから、招待するから!」

自分もいつかは行きたいなと内心思っていたので嬉しかった。5月の全世界フルコンタクト選手権大会の翌週に決まっていた。緑代表が中心となって成し遂げたフルコンタクト空手界の大同団結。大山総裁は偉大過ぎて成し得なかったが、その偉業を緑代表と新極真会が先頭になって成し遂げて連盟の全日本大会を開催、そして、夢のまた夢の世界選手権大会が開催されることになった。しかし、コロナ禍で中止となった。タイミングが重なったのは偶然ではあったが、その記念すべき第1回世界大会で日本選手団が全階級制覇を成し遂げ、お祝いを兼ねて100回目の鶏の水炊き会をしたいとの思いだったに違いない。それはフルコンタクト界の世界大会開催も含めて大山総裁に対する三好副代表流の報恩感謝の証だったに違いない。自分はそう思う。悲しいかな!5月開催は中止となった。しかし、第一波が収束した夏頃に年末の開催を決めた。が、秋口から冬場になって第二波がやって来た。今日にも二回目の緊急事態宣言が発令される。

大山総裁の生粋の直弟子として池袋総本部時代は極真黄金時代を築いた。自らは第2回、第3回世界大会にも出場した。日本代表選手団が総監督-監督―コーチ複数制になった時、三好総監督の下で自分が監督となった。ユースジャパンが創設された時、三好副代表の日本代表選手時代の話を聞いて、こういう話を後輩達に伝えて行かねばとユースジャパンのテーマ“伝統継承!”が生まれた。世界の舞台で戦った大先輩達、第4回の緑代表をはじめ同期の4人、そして塚本や新保、石原ら多くの後輩達、その全ての歴史を世界を目指すユースジャパンの選手達に伝えて行かねばと。そして何より、大山総裁の教えを、魂!を伝えて行くのが自分の使命であると。伝統継承が生まれた。

三好副代表との絆がなかったら、伝統継承の言葉は生まれなかった。

日本代表選手団は、第3回カラテワールドカップから、無差別は第9回世界大会から二人三脚で牽引して来た。第12回まで日本の王座を守り続けている。険しい道のりだった。いつも試練が待ち受けていた。その試練を乗り越えて結果を出して来た。大会では組織の副代表として、総監督ではありながら白ブレザーを着て本部席で緑代表と共に大会を見守らなければならない。代わりに手足となって陣頭指揮を執る、ぞの自分と100回目を祝いたかったのだと思う。

ユースジャパンは、その構想から創設、立ち上げ時代から今日に至るまで苦労を共にして来た。第12回世界大会は初めてユースジャパン戦士達が男女W優勝を成し遂げた。15年間共に苦労をし共に歩んで来た(敢えて言う)盟友の自分と100回目を祝いたかったのだと思う。

理由はそれだけではない。一番の理由は、自分が千葉でも大山総裁直伝の「鶏の水炊き会」をやっているからである。厳しい修業時代に大山総裁に稽古の後にふるまわれた鶏の水炊き。それを100回に至るまで自分の道場で続けて来たのは師に対する報恩感謝の思い以外にはない。規模は足元にも及ばないが、それと同じ事を自分が千葉で行っている。その自分の行動が、自分のその同じ思いが嬉しいのである。世界大会の後、孫師範代や中国上海道場1期生の王 玲達が千葉に出稽古に来た時、鶏の水炊きで歓迎した。塚本(支部長)とベルギーのクン師範が来た時も鶏の水炊きで歓迎した。勿論、三好副代表は知っている。そういう同じ事をしている自分と100回目を祝いたかったのだと思う。

今では日本代表選手団やU-22、ユースジャパン強化合宿でも二日目の打ち上げで鶏の水炊きを行っている。初めての時、合宿地富士緑の休暇村の羽田さんから同じように作りますからレシピを教えて下さいと依頼された。レシピは三好副代表に直接聞いた。生姜とにんにく!これが大山総裁直伝の味付けである。勿論、三好副代表から合宿で鶏の水炊きをしろと言われた訳ではない。自分の独断である。単なる鶏の水炊き(の料理)を味わせたかったのではない。極真の技と同じように、大山総裁の弟子に対する思いを伝えたかったのである。日本代表強化合宿で初めて鶏の水炊きをしますと言った時、三好副代表は驚き心から喜んでくれた。大山総裁に対して同じ思いでいる自分と一緒に100回目を祝いたかったのだと思う。自分はそう思う(涙)。

第10回世界大会で塚本と将口が男女W優勝を成し遂げた。その年のユース合宿で三好副代表の誕生日祝いをサプライズでしたことがあった。ケーキを用意して食堂の灯りまで消して、皆でHappyBirthdaySongを歌った。三好副代表の満面の笑みを今でも忘れられない。三好副代表が後で傍にいる藤原師範にポツリと言っていた。

「奥村は機微の分かる男だなあ!」

行動は言われてするものではない。Give &Takeでするものでもない。真心でするものである。

あの写真の笑顔を見たらそれが分かる。正月明けにメールが来た。100回目を盟友の奥村と一緒に飲めて幸せだったよ!とあった。泣けた。いつの頃からか強化合宿で赤のALL JAPANのジャンパーで写真を撮るようになった。鏡開き稽古会では大山総裁の墓前でも撮るようになった。この赤のユニフォームはサッカーの友の形見でもある。

「俺と奥村のふたりの人生のユニフォ-ムだから!」

だから言われるまでもなく、赤のALL JAPANのジャンパーを持って参加した。下の赤のTシャツは敢えてユースジャパンにした。自分が唯一デザインにこだわった富士山から新極真会の太陽が昇るあのTシャツにした。大山総裁の言葉に富士の貼り絵をしたあの「書」を三好副代表にもプレゼントした。渡す時にジャンパーを脱いで、遠山の金さんみたいにジャーンと皆に背中をみせようと思っていたけど、本番で忘れてしまった(笑)。千葉ではワンパターンでもう飽き飽きされてしまっているが、「書」のプレゼントに三好副代表をはじめ支部長・道場生達から大変喜んでもらえた。家族がいるのに年末にもかかわらず来てくれた支部長3人には金の道場訓をプレゼントした。ユース赤ワッペンの道場生にはもちろん伝統継承の書を。床の間に飾らせて頂きましたと御礼のメールが来た。嬉しい限りである。

三好ファミリーの池田さんと山本さんには二日間特にお世話になった。池田さんは道場生で三好道場の広報担当でもある。今回、写真を350枚撮ったそうである。奥村ワールドですと、翌日には写真を何十枚も送ってくれた。山本さんは三好ファミリーのマドンナ的存在で三好副代表の妹分である。二人には全四国大会の度にお世話になっている。大会前日も当日も。今回も空港の出迎えから、ホテルの送迎、31日は朝から市内観光案内をして頂いた。プレゼントを用意したが、それ以上にお土産は山ほど貰った。帰りの方がボストンバッグが重かった。坂本竜馬生誕の地、三好道場(分支部)、高知城、昼食は観光名所のひろめ市場で昼間から御馳走尽くしで生ビール1杯に酎ハイ5杯も飲んでしまった。鰹のたたきと高知名産のミョウガの握り寿司は絶品だった。毎年四国高知に行っても観光で行ってる訳ではない。初めての桂浜には感動した。桂浜に立つ有名な坂本竜馬の銅像を見た時、多少歴史は知ってはいながらもあらためて坂本竜馬という人が為した偉大な功績にただただ敬服するばかりであった。悲しいかな!33歳という早い死ではあったが、こういう尊い命の上に日本の夜明けや今の平和な日本があるのだと痛感した次第である。

人は歴史の上に立っている!

日本代表選手団も、ユースジャパンも。組織でさえも。だから誰かがそれを伝えて行かなければならないのである。

稽古納めの日に小山さん親子から親書を預かった((´∀`))瑠偉がユース合宿で友達になった高知支部の咲和ちゃんと涼葉ちゃんにプレゼントを渡して欲しいと頼まれた。もちろん、ふたりとも良く知っていた。兄弟姉妹で。全四国大会やユース合宿でいつも挨拶に来てくれるから。赤鬼の娘同士も親の知らない所で娘同士も友情と絆を築いていたと、三好副代表も大変喜んでおられた。

何年前だったか?高知本部が移転した年に全四国大会の時、池田さんに本部道場に案内してもらった。写真では見たことがあったが、道場正面に飾られた大山総裁と緑代表の等身大のパネル写真に驚いたものである。三好副代表のふたりの師に対する思いをつづく感じた。と同時に三好副代表の人間の大きさに度肝を抜かれた。そして、そのふたりの写真パネルの間にふたりで揃って組織から受賞した新極真賞の盾と金の伝統継承の書が飾られているのを見た時の衝撃と感激を今でもはっきり覚えている。感動を通り越して、拳を握り締めて何分も前で立ち尽くしたことを思い出す。三好副代表のユースジャパンや自分に対する思いを知り、心で泣いた。

感染拡大が続く厳しいコロナ禍の状況の中で、静かな年末年始をと呼びかけられた年末ではあったが、自分にとっては大事な高知遠征だった。三好副代表とて100回目でなければ中止していたと思う。自分がいなければ中止していただろう。当日、空港まで迎えに来てくれた池田さんと山本さんと一緒にホテルへ行く前に道場に挨拶に行った。前日から自ら買い出しに行き、朝から自ら鍋奉行をして準備万端、赤のジャージ姿で三好副代表がニコニコ顔で出迎えてくれた。選手団ユニフォームを着ていたが、そこにはいつもの鬼の姿は全くなかった。副代表の部屋でコーヒー飲んで寛いでいる時に三好副代表が池田さんにポツリと言った。

「もう来年からは年に一回、年末だけにするから。」

このひと言で決死の覚悟を知った。自分への思いをあらためて知った。昼間でまだ始まってもいないのに心で泣けた。本番の夜はもう感動の連続だった。何度、杯を交わしたか分からない。大山総裁の墓前で赤のジャンパー姿の赤鬼コンビの写真をあしらったケーキが登場した時、可愛いふたりの愛弟子からの花束贈呈の時は涙が出そうになった。どんな言葉を並べても100回目に招待されたことへの感謝の思いは語り尽くせない。感謝の思いを心魂込めて5年振りに三好副代表のためだけに金の伝統継承の書を書いた。感謝の思いが有り過ぎて、道場では書けなかった。額縁の裏には何も書かずに高知に行った。言葉にならないから、最初は師範ブログ「赤鬼誕生物語り!」を添えて渡そうと思っていた。

ホテルにテェックインして1時間ほど時間があった。シャワーでも浴びようかと少し思ったが、出迎えてくれた時の三好副代表の姿を見て、また色々な思いが込み上げて来た。千葉に居る時は何も書けなかったが、高知に来たら自然と筆が走った。

『大山総裁直伝の100回目の鶏の水炊き会を記念して 千葉の赤鬼より

三好副代表へ

三好副代表から世界大会前のアメリカ遠征の修業の話を聞いて、あの言葉を思い付きました。日本代表選手団とユースジャパンの創設時から二人三脚で歩んで来ました。これからも三好副代表の背中を追って、何処までも地獄の果てまでも付いて行きます。オールジャパンの赤の人生のユニフォームを着て。』

 “伝統継承!”

令和二年十二月三十日 日本代表選手団 監 督 奥 村 幸 一

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