原点 其のⅠ!

上海法被の (2)

ここに一枚の書初めの書がある。

五年 奥村ゆい 世 界 の 国

我が家の一番上の姫君が書いたものである。小5だからかれこれ12年前の事である。

何の因果か!実家の隣がお寺だった。何年生の時か覚えていないが、そのお寺で週一回書道教室が始まった時に通い始めた。そういう下地があったのかもしれないが、兄弟で書にはまっている。啓治は高校生の頃も“闘魂!”を書いていたから空手ほどではないにしても、もうDNAに他ならない。自分は姫君達のお正月の宿題の書初めが大きなきっかけだった。

3年生で習字が始まるのか?逆算すると自分の書道歴もかれこれ14、5年になる計算である。よく続いたものである。ホームページに写真が残っているが、初期の頃の字は今見れたものじゃない。逆に言えば、少しは上達したかなと思う。筆からして進歩した。100円ショップで揃えた書道セットが、今では本家中国の一流の筆と硯を使っている。筆の違いも分かるまでになった((´∀`))。

書の道へ導いてくれた姫君達には心から感謝している。書道を始めなければ、あの伝統継承の書は生まれなかった。大山総裁の教え・言葉を書で伝えることも出来なかった。昨年の年末の高知遠征、お土産に菓子箱やお酒を持って行っても意味がない。書のオンパレードだった。三好副代表や道場生達に心から喜んで貰えた。年末に大智にも金の書を贈ったら、さっそく幹部会議室に飾りましたと御礼のメールが届いた。これは国家機密になるが、敢えて告白する。昨年、緑代表と一緒に大臣表敬訪問した時も、実は菓子箱ではなく書を持参した。金の「書」を!毎日何十件と陳情に来る大臣に菓子箱を持って行ってもしようがないと思った。勿論、二十数年来の兄弟分の啓治が書が好きなのは知ってるから。その延長で・・・霞が関詣の土産は書にした。

コロナ感染拡大が続く中、二回目の緊急事態宣言が政府より発令された。今回は休業要請による一斉休館はないが、昨年は2カ月間稽古が出来なかった。大変な状況の中ではあったが、後半気を取り直して道場開設での引っ越し以来となる大掃除をした。事務室と更衣室、宝物殿から出るわ!出るわ!宝の数々。現役時代に試合で骨折した時、初代桃太郎の母から贈られた「兜の色紙」に始まり、何年も所在不明になっていた啓治から中国上海で貰った「死力達成の旗」。雑誌や古い写真の数々。宝物が出てきただけではなく、極真現役時代のパワー空手や大山総裁の著書を何冊も読み返した。大山総裁の言葉・教えは、勿論記憶に残っているものばかりだったが、現役時代以上に心に響いた。

出て来た宝物の極め付けが姫君達が書いた数枚の書だった。

1月4日、弟啓治(師範)から届いたメール。4日は、ふたりの兄弟に道を教えてくれた父の誕生日である。

『幸一師範、使命 原点!

 この道より我を生かす道なし この道を歩く! 押忍』

最初は、その日が父の誕生日だと知らないでいた時だったので、父の誕生日や教えを忘れるなよ!との無言のメッセージかと思った。啓治が、メールで原点!などという言葉を送ってきた事などなかったから気に掛かった。原点?・・・今はしゃべれない訳ではないが、敢えて電話して訊くこともしなかった。メールには左手だけで渾身の思いで描いた中国上海の地に立つ兄弟の絵が添えられていた。父の言葉が書かれている龍翔鳳舞の法被を着て、上海髄一の名所である外灘でシンボルの上海タワーを臨む絵だった。

まさしく啓治が17年前に裸一貫で中国上海に渡った時に最初に訪れた原点の地であった。此処から新極真会中国水滸伝の怒涛の歴史が始まったのである。病に倒れてから5年後、奇跡の復活劇だった(涙)。

空手道と同じように、自分には書道の原点があった。

宝物殿から出てきた一番の宝物、それは・・・

姫君達が書いた書初めだった。

父が世界の舞台で戦っている時、偶然にも書いた言葉に驚いた。

“世 界 の 国!”

そして・・・

(世界の舞台で戦っている中で)娘達と安穏と過ごしたお正月のひと時の光景を思い出していた。人生最大の試練コロナ禍の状況ではあったが、大きな大きな大切な宝物を見つけることが出来た。

二回目の大掃除をもうすることはない。ただただ一日も早い収束を願うばかりである。