乾坤一擲!

五輪書

『これは私がよく門弟たちに言って聞かせるところである。君たちは昭和のサムライなのだ。そしてサムライたるもの常々剣を磨いておかなければならぬ。義のあるところ、いついかなるときにも抜き合わせ、応じることが可能なように心がけておかねばならない。抜き放った刀が錆ておれば、それこそ武士たるものの恥辱、常日頃おさおさ手入れを怠らぬよう努めねばなるまい。だがしかし、そのように手入れを怠らず、磨き上げた剣なればこそ、鞘の中におさめて抜かざる気構えが必要なのである。・・・』大山倍達総裁著書「昭和五輪書 風之巻」

中学高校と部活動はしなかった。高校1・2年生の時、全校生が必ず入らなければならない毎週木曜日1時間だけの必修クラブというのがあった。部活にはなかったが、「空手部(クラブ)」があった。多分全空連だったと思う。有段者の先生が赴任して来て、新しく出来た。4月に入学して、極真空手ではなかったが迷わず空手部に申し込んだ。電車に乗って隣の行橋市まで母と一緒に空手着を買いに行った。スポーツ店で買ったのは勿論寸止め空手の道着だった。胸に流派の刺繍もない純白道着に心躍った。この道着を着て闘魂神社で稽古した。しかし、高校の空手部では一度も稽古することはなかった。何故なら・・・

柔道部(クラブ)に入った((´∀`))

柔道部の先生にスカウトされた。

弟啓治(師範)は中学時代サッカー部に所属していた。2年生の時は地区大会を勝ち抜き県大会にも出場した。当時、部活で県大会出場は快挙だった。田舎の犀川中学校、大会の時だけ寄せ集めで出るなんて珍しくなかった。自分は陸上と駅伝大会に借り出された。走るのが早かった((´∀`))。在校中は一学年4クラスあったが、今は一クラスだけらしい。部活もままならない状況だという。寂しい限りである。

自分が後に進学することになる豊津高校の柔道部とサッカー部の顧問の先生が中学にスカウトに来た。何名かの部活に入っている生徒が応接室に呼ばれ面会した。啓治も呼ばれた。その時の柔道部の先生が、寺西先生と言った。小倉南高校時代は番長で柔道部主将、国士館大学では副主将を務めた猛者だった。啓治は豊津高校柔道部もサッカー部も断った。と言うか、豊津高校自体に行かなかった。豊津高校は、当時で既に100年以上の歴史があった。小さな町ではあったが地元では有名な〇〇藩の藩校で進学校だった。豊津は実家のある犀川の隣町で、豊津だったら自転車通学出来るのに、啓治は豊津に行かなかった。豊津に行くだけの学力はあったが、電車で通う苅田町にある工業高校に行った。豊津は普通科しかなく、豊津イコール勉強!豊津イコーツ真面目!それが嫌だったんだと思う。男らしい?工業を選んだ。此処が奥村兄弟の分かれ道だった。啓治はズバリ!硬派だった。自分は・・・・

部活もしないで交換日記に明け暮れていた(内緒)。

昔から日記が好きだった((´∀`))。だから、空手入門後の空手日記も今の師範ブログもすらすら書けるのはこの時のお陰である((´∀`))。

入学後、直ぐには週一の必修クラブは始まらなかった。体育の時間に週1回だけ柔道の時間があった。4月に柔道の最初の授業の時、寺西先生に言われた。自分のことは犀川中学訪問で啓治のこともあり知っていた。初対面なのに久し振りに会ったような感じで・・・

『おぉ~!奥村。(必修)クラブは何に入ったあ?』

「はい、空手です。」

『空手かあ。駄目だよ。奥村は柔道をしなきゃ駄目だよー。』

「・・・(小さな声で)はい。」

『自分の方から(空手クラブ顧問の)〇〇先生に断っておくから。』

「・・・(もっと小さな声で)はい。」

もう空手着も買ってますのでと断れなかった。当時の自分の空手好き!所詮はこの程度のものだった。今思えば、寺西先生の大きな体格以上に大きな大きな人を包み込むよぷな魅力に魅かれたような気がする。怖くて断れなかったのではない。ただ少しだけ思うことがある。もしあの時、もしも空手クラブに入っていたらどうなっていたんだろう?週1回だけでも、極真空手でなかったとしても、空手に打ち込んでいたら?少しは違う人生、高校生活を送っていたかもしれない。寺西先生の名前は憶えているが、その空手クラブの先生の名前も顔すら思い出せない。

寺西先生とも兄弟で運命の出会いであった。

啓治が高校2年の時、自分の高校の柔道部と喧嘩になったことがあった。その時、喧嘩の仲裁で我が家に来たのが寺西先生だった。啓治と久し振りの再会だった(笑)。最後は話がまとまって和やかなムードになった時、寺西先生が服を脱いだ。サラシを巻いていた。奥村(啓治)と喧嘩する覚悟で来たんだよと笑ってた。サラシを巻く時、濡らした新聞紙を挟むとドス(短刀)が通らないと教わった。啓治が、“先生、サインお願いします。何か書いて下さい。”と色紙サインをお願いした。今でもはっきりと覚えている。その時に寺西先生が書いた言葉を。

“乾坤一擲!”

高校生の自分は初めて聞く言葉だった。その時、言葉の意味も先生は説明してくれた。寺西先生は自分が3年に進級する時、他校へ赴任して行った。二年生の3学期の終業式、転任する先生方の挨拶があった。寺西先生は柔道着姿だった。自分を空手から柔道に引き釣り込んだ強引さと豪快さをもった先生だった。一度は寺西先生の仲裁で喧嘩は収まったが、啓治の快進撃はその後も続いた((´∀`))。何度、高校に来たか分からない。或る時、応援団を一日で占めた。文化祭の時、校庭を学校中の先生や生徒が囲って何かを見てる。よく見たら啓治だった。啓治がいつもの出で立ちでバイクに乗って拳を突き上げながらながらグランドを周回していた。見て知らぬふりした。3年になったら、啓治はもう来なくなった。2年生の時、豊津も含め周辺の高校遠征は卒業していた。

19歳で入門した。7月に入門して9月に青帯になった。お盆に帰省して、間違いなく闘魂神社に行って啓治と稽古したと思う。白帯はその1回きりである。アルバムに白帯時代の写真がある。必修クラブの空手部には入らなかったが、空手着で稽古した。白帯と刺繍のない上衣が恥ずかしくて、下のズボンだけで稽古した時の方が多かった。白帯時代の裸の写真、実は高校時代か入門後かよく分からない。

啓治が町会議員をやめてまで中国へ行くことになり、行橋市の京都ホテルで盛大な壮行会を開催した。その会にな、な、何と寺西先生が来てくれたのである。会場入り口で緑代表と啓治と一緒に来賓の方を迎えている時に突然会って超驚いた。啓治が後で教えてくれた。

『寺西先生は良ちゃんが呼んでくれたんだよ!』

当時から福岡支部の大会会長を務めていた武田先生が呼んでくれたのだった。寺西先生が小倉高校の柔道部顧問をしている時に武田先生が部員だったらしい。凄い縁である。緑代表が支部長になって福岡に来た時、最初の大会を啓治のわがままで地元行橋で開催した。その時に啓治の強い推薦で会長になったのが武田先生だった。その大会の開会式、大会会長は道着姿だった(笑)。その武田先生は、寺西先生が豊津高校を転任する時に柔道着姿で挨拶したことを勿論知らない。二人とも本当に豪快な人である。自分や啓治はこういう凄い人達と運命の出会いをした。そして、深い深い絆を築いた。新極真会の仲間然りである。

漫画「空手バカ一代」に憧れ、その漫画の主人公が実在する人物だと知った。大山総裁に憧れて極真空手が好きになった。大山総裁の著書を読めば読むほどにその思いは強くなった。大山総裁の全ての言葉が好きである。極真空手の強さが一番だったが、大山総裁の言葉・教えが心に響き渡った。入門前からも、入門してからも。大山総裁の言葉の中で昔から一番好きだった言葉がある。

“武は備えなり。剣は磨いて鞘の中に納めておくべし。みだりに剣を抜くは武に非ず!”

自分は大山総裁の直弟子ではない。世界大会は1回しか出ていない。だから、合宿は1回だけである。池袋総本部の鏡開きは3回だけ行った。あとは、大山総裁に会うとしたら、全日本大会や世界大会の大会会場である。これらのどれかの講話で聞いたんだろうと思う。“武士はみだりに刀を抜いちゃいけない。しかし、刀を錆らしてはいけない。刀は常に磨いておくものだ”何故一番好きか?と訊ねられても理由は分からない。ただ一番好きなのである。一番心に響くのである。身振り手振りしながら眼光鋭く語る大山総裁の姿が忘れられないのである。

コロナ禍で昨年の2カ月の休館中、大山総裁の著書を何冊も読み返した。昔の雑誌の整理をした。昭和五輪書の地之巻にこの件があった。この件の総裁講話も見つけることが出来た。空手の神様からの贈り物。昭和五輪書の残り四巻を授かった。ようやく第四巻目の「風之巻」を年が明けて読み終えた。その風之巻の最後の最後で、地之巻以上に詳しく“武士の刀”について書かれてあった。そんなに難しい言葉ではない。子供でも分かるような言葉でもある。しかし、奥の深い大山総裁ならではの洞察がある。昭和の宮本武蔵ならむと世界中を旅し、世界中の格闘家や武道家と戦い、実戦の中で極真空手を創設した大山総裁の言葉だからこそ響くのである。その極真空手が地上最強と謳われ強いから、心に響くのである。自分らは宗教家ではないから。

武は備えなり!の言葉を口ずさむ時、何故か?高校時代の柔道の寺西先生が啓治の乞いに応えて色紙に書いてくれたあの言葉を思い出すのである。寺西先生と武田先生は師弟関係にあった。奇しくも昨年12月、緑代表と霞が関大臣表敬訪問に言ったばかりである。そしてこの1月、風之巻で大山総裁の言葉にまた巡り合う機会を得て、寺西先生に思いを馳せた次第。偶然とはいえ、目には見えない縁(えにし)、絆を感じるばかりである。

“乾坤一擲(けんこんいってき)!”

運命をかけて、のるかそるかの勝負をすること。

「乾」は天を意味し、「坤」は地を意味する。天が出るか、地が出るか?「一擲」とはサイコロを1回だけ投げて決めること。まさしく大山総裁の、“男が刀を抜く時は一生に一度あるかないか!”という言葉と同じとまでは言わないが似ていて、大きな言葉だった。40年以上経った今でも、いまだに心に残っている。

『・・・抜く時は最後のとき、抜いた以上は一刀両断相手を斬らねばならない。・・・しかし抜かざる。そこにこそ「押忍」の精神がある。・・・刀は常に磨いておけ。そしてしかも抜かないところに価値があり「武」の精神がある。』

いよいよ昭和五輪書最後の章、空之巻へ