千葉の那須三兄弟

那須家が家族5人で道場を訪ねて来た日の事ははっきりと覚えている。
我が家と真反対の男3人兄弟だった。元気一杯の悪ガキ小僧3人と言いたい所だが、3人とも無口でおとなしそうな雰囲気だった。空手大丈夫かな?tも思った。これが那須3兄弟の第一印象だった((´∀`))
我が家の姫君達と同じ幼稚園に通っていたらしい。那須さんは幼稚園で空手師範の自分のことを知っていたらしく、それで道場を訪れた次第。翔太は我が家の次女のひとつ下、奎太は三女のひつ上だった。もしかしたら那須さんと一緒に餅つきに参加したかもしれない。瑛太はあまりにも幼な過ぎたので少し待ちましょうと、最初は翔太と奎太だけ入門した。翔太が4年生にあがる春だった。瑛太はその二年後に入門した。そのお母さんまで一緒に入門した。入門した那須家の頑張りは凄かった。特に翔太の稽古姿勢は特に目を見張った。とにかく休まない。入門以来、稽古日数は毎年一番である。とうとう黒帯にまでなった。あの大人しい、話し掛けなければ絶対に話をしなかった少年が全日本選手にまで成長した。反対に奎太はいつも明るかった。少年部時代は桃太郎クラスにはいたが、一度もドリームに出場したことがなかった。それでも翔太と一緒に稽古は続けた。今年3月、初めてドリームに出場した。初めて許可した((´∀`))
全日本大会、少年部はドリーム。大きな目標があれば誰でも頑張る。でもそういう目標がなくても頑張ることは難しい。全日本大会前だったか?或る時、翔太と一緒に自主トレする奎太を見てふと思った事があった。
『一番凄いのは、翔太よりも全日本出れなくても一緒に稽古する奎太かしれない!』
そして、兄達ほど決して目立たなかったが少年部を全うした瑛太。
『その奎太よりも凄いのは、本当は瑛太かもしれない!』
マジにそう思った((´∀`))
4月1日、瑛太が一般部に初めて参加した。少年部時代以来、那須三兄弟が久々に揃った。春は別れと出会いの季節。ましてやコロナ禍感染拡大が続く中、何かと暗い中で瑛太の大成長に心和む一日となった。コロナ禍が収束して中国遠征できるようになったら、翔太を連れて行こうと思っている。
「翔太、中国語とお酒の勉強しとけよ((´∀`))((´∀`*))」
一番凄いのは、黙って3人の息子達を連れて来て自らも黙々と稽古する母である。そして、その家族を支える父である。
お父さんが一番である!(かみさまに超内緒)
他人にどうしたら世界大会に出れますか?と、もし訊かれたら。自分はこう答える。
「それは執念!です!」
執念と野望である。自分はそう思う。
翔太ほど執念を感じる道場生を見たことがない。道場で一番喧嘩が強いのは翔太である。(自分が道場生だったら)だから翔太にだけは喧嘩は売らない((´∀`))
那須家が全員黒帯になって、翔太が世界大会日本代表選手になった時、引退の時かもしれない((´∀`))
少年部時代の仲間は生涯の宝である。