写真集出しました“奥村兄弟!”

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G・Wの真只中、福岡から小包が届いた。贈り主は、いつもFBの投稿で「啓治師範の弟弟子の達哉です!」が決めセリフの福岡支部の星野君からだった。全九州大会や福岡県大会で今や名物となっている気合いのルール説明を演じる伝説の人である。共に演じる能村君と星野君は啓治が20代の頃からの極真時代の直の後輩である。独身時代正月休みで帰省した時は、いつも福岡支部の啓治の後輩の道場生達と一緒に自主トレをしたものである。勿論、稽古場所は犀川続命院の闘魂神社で。そして、夜は座敷にビニールシートを敷いて朝まで大宴会をして盛り上がった((´∀`))

いつも啓治の現役時代の動画や写真をUPしてくれている。今日、『奥村兄弟!』と題した30枚以上にのぼる写真アルバムと2枚のDVDが届いた。写真集かな((´∀`))日本代表最終選抜戦の5月大阪での第24回全日本ウエイト制大会で緑代表の命を受けて、全日本の舞台で初めて兄弟で特別演武をした写真が表紙だった。忘れもしない。第9回世界大会の年である。第3回カラテワールドカップに続き、初めて無差別の世界大会の日本選手団の監督になった。初めて女子の世界大会も開催され、“押忍シリーズ!”と銘打って、日本の伝統文化でもある空手道の押忍の精神を前面に出して大会は開催された。その時に作成された20畳位の大きさはあろうか?“押忍!”の特大バナーの下で兄弟一緒に写った写真だった。大阪の演武が認められ、10月の世界大会でも啓治は緑代表から特別演武の命を受けたのである。押忍の刺繍の入った記念道着は、色々な意味で自分の勝負道着となった。道場稽古では着ることはなかったが、それ以降の大事な行事の時は欠かさずそれを着た。しかし、そんな大事な勝負道着今はもうない。

弟分の大智にあげた。結婚祝いにプレゼントした(内緒)。

アルバムと言うより写真集だった。大会特別演武の写真に始まり、中国上海へ旅立つ時の地元での壮行会の写真。旅立つ息子の横で寂しそうな母の姿が印象的だった。19歳、気取ってスカイラインの前で並ぶ写真。揃いの紺のスーツにサングラス。当時、何社かにスカウトされた((´∀`))とても少年部にはみせられない((´∀`))独身寮での自主トレの写真。啓治はいつもリーゼントだった。全日本大会にもリーゼントで出場した。眉毛剃って((´∀`))今の時代、こんな元気のいい選手見たことがない。緑代表と同じようにいつも兄弟ふたりの事を気に掛けてくれる三好副代表との福岡大会での3ショット。病に倒れて奇跡の復活劇を遂げ、6年振りに中国上海の地に立った時の写真。上海髄一の観光地外灘で肩車をした時の写真。啓治が育てた中国上海の竜虎と謳われた孫師範代と池田君を従えて騎馬を作った。啓治はどんな思いで騎馬に乗ったのだろうか。実家の座敷で撮った写真には、偶然にも武田先生の揮毫した「政治馬カ一代!」の書が写っている。懐かしい限りである。圧巻は、アルバム最後の写真だった。いまだに右半身不随。会話はリハビリで始めた浪曲のお陰で随分滑らかになった。中国新極真会の礎を築いた啓治師範の復活劇を待ちに待った道場生達の前で兄弟で声高らかに唄った。写真集の締め括りは魂の黒田節をふたりで唄う写真だった。思い出しただけでも涙が溢れる。
どの写真を見ても思い出深い写真ばかりである。DVDは、27歳の時の福岡県大会出場。上海で活躍する町会議員とNHKで放送された。生涯の師である緑代表と奄美で一緒に稽古する姿。20年前の千葉南支部の道場開設の時の自主トレの様子などである。今見ても、元気一杯な啓治の気迫に圧倒されるばかりである。病気が嘘のように思えてならない。
選んだ写真を見ただけで、その人の気持ちが伝わって来る。啓治の事を分かってるなあと思った。啓治の事をこれまでも思ってくれる後輩の真心に涙がこぼれた。夢と希望に燃え、熱い青春時代を一緒に過ごした兄弟弟子っていいなあと心から思った。
星野君、本当にありがとう(涙)!
“先日、啓治師範にお渡ししまして、その元気と満面の笑顔に力を頂きました。またお会いできる日を楽しみにしてます。“
仲間に感謝!組織に感謝!!感謝!!!

思い起こせば、自分が世界への切符を手にしたのも大阪だった。前年の全日本大会で6位入賞し内定はしたものの、最終選抜戦の第4回全日本ウエイト制大会(重量級)で決まった。あれから34年の月日が流れた。

いよいよ決戦の日まで、あと28日!

頑張ってるから、そろそろ由香里ちゃんと智博に老いぼれ師範の正体をばらすかな((´∀`))

連休終わったらDVD試写会でもやろうかな!