無観客試合!

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母は、息子達の送迎のため一日二往復する。多い時は3回。毎年稽古最多日数はふたりの息子が1番、2番を独占する。その甲斐あって長男は全日本選手にまでなった。今年から3番まで独占しそうだ((´∀`))奎太にはこう言った。

「全日本大会に出たかったら、結果出せ。後輩ふたりの全日本選手に(千葉の大会で)勝て!」

無観客試合・・・悲しいかな!母は大会会場に行けない。二人三脚で稽古して来た弟も留守番となった。

母は、10年間息子を送り続けた。あの大雪の日も道場に来た。その帰り道、積雪で車が立ち往生。車を置いて息子とふたり歩いて帰った。高校生になった息子は電車バスを乗り継ぎ、今は自分の足で道場に通う。今年ドリーム初入賞を果たし、いよいよ全日本の舞台に立つ時が来た。

無観客試合・・・悲しいかな!母は大会会場に行けない。

無観客試合!

会場には師範もいない。道場の先輩もいない。セコンドは空手をやっていない父親だけ。少年部時代とは訳が違う。正直、お父さんではウオームアップもセコンドでの適切な指示は難しかろう。まさしく一対一の決闘と同じである。お父さんも戦いである。

“でもお父さん、お母さんの分まで頑張って下さいね!”

昨年の全日本大会。新極真会は惨敗した。男子で、入来選手が優勝したものの諸流派選手がBEST8に4人も入賞した。50年の極真空手の歴史で初めての事だった。勿論、勝った方を褒めるべきである。しかし、新極真会は武道空手界の王者である。大会が終わった週に塚本(支部長)から電話があった。大会の反省から選手強化まで話が及ぶ。今はコロナ禍で強化合宿が行えない。これが一番大きい。

「毎週(土曜日)、組手だけの強化稽古をします。」

大会直後の12月から塚本道場での強化稽古が始まった。関東近県の選手達が集まり、組手のみ2時間の強化稽古である。5月の連休と緊急事態宣言が重なった時に2回ほど休みになったようだが毎週実行。一度も顔を出さず無礼していたが、大阪に行けなくなったので最後の週に初めて塚本道場に行った。最終日も組手だけだった。男子が終わると入れ替わるように女子選手達がやって来た。その稽古を塚本と共に同じく世界チャンピンでもある塚越(支部長)と島本(道場長)が見守る。場所は富士山の麓ではなかったが、全国から集まった選手ではなかったが、其処はユース合宿そのものだった。日本代表選手候補強化合宿だった。塚本の提唱で始まったこの強化稽古は今全国に飛び火して全国で行われている。何人かの選手がユースジャパンの赤いTシャツを着ていたことが嬉しかった。

稽古会の後、選手達に檄を飛ばした。

「中止になってもおかしくない状況で開催されることに感謝して悔いのないよう思いっ切り戦って欲しい。今まで誰が指導して来た。3人の世界チャンピオンと一緒に稽古して来ただろ。こんな恵まれた環境はない。勝ってこその恩返し。誰と当たっても(名前や実績は)関係ない。稽古してきた者が勝つ。新極真会選手の誇りを持って戦って欲しい。勝って自分で道を拓け。この戦いは世界に繋がっているから。」

数日前に島本一二三選手のコメントを見た。

「優勝するのは勿論ですが、新極真会の強さを証明したいです。」

一二三にメールを送った。

「大阪行けなくなったから。新極真会の強さ見せてくれよ。一二三はユースジャパンの、新極真会選手達の総大将だから。頼むぞ!」

「押忍。監督が会場へ来られないのは雄二から聞きました。監督に吉報を届けるべく全力で戦って参ります。熱いメッセージありがとうございました。益々気合いが入りました!押忍」

島本一二一三はユースジャパンの第一期生である。その第一期で初代主将を務めた男である。その一二三にメッセージを送ったという事は、選手全員に送った事と同じである。塚本は日本選手団の筆頭コーチである。塚本道場に行ったという事は、全国の道場に行った事と同じである。勿論、緑代表を始め両副代表、主だったコーチ陣には挨拶(連絡)をした。会場にいなくても出来る事は幾らでもある。いや違う。会場にいなくても一緒に戦っているつもりである。

「しっかりとやらせて来ます!押忍!!」

いよいよ決戦の時が来た。

将来の世界大会日本代表選手を発掘育成するためにユースジャパンやU-22を創った。日本代表選手候補合宿に将来有望な中学三年生や高校生を入れて来た。

つまり、この大阪決戦に勝つために!

伝統継承せよ! 

日本代表選手団 監 督 奥 村 幸 一