Category Archives: 師範ブログ

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準備万端!大勝利を信じて

いよいよ祝賀会前日となった。会場となるホテルと日にちが決まってからは怒涛のように日が流れた。それも全日本大会の1週後に決まり、尚更そう感じた。いや22日しか空いた日がなかった(笑)。そうしたら世間の情勢も変わり、衆議院選挙まで重なってしまった。国を挙げて22日にお祝いしてくれることとなった。お祝いがそれでも足りないのか?台風まで駆け付けてくれるではないか(笑)。今はこう思っている。

“何かが起きても、人生に意味がない事は何もない!”

(自分が主催する)優勝祝賀会など初めてのことである。それも世界大会の。空手人生でもう二度とないだろう。持論はある!大会も合宿も全ては、準備で決まる。

“戦いは全て支度で決まる!”

その思いで道場生達と支度をしてきたつもりである。今日は道場から備品を運んだ。最初で最後の演武のリハーサルもした。夜は道場で最後の打ち合わせを行った。もう全てやり尽くした感はある。「人事を尽くして天命を待つ!」の心境である。これまで携わってくれた全ての方に感謝の言葉しかない。

大会の時に選手達に言った。

『(空手の試合で)舞台の上で戦っているのは選手だけだけど。舞台を支えるために戦っているのは他にもっといるぞ!代表は一番戦っているんぞ!試合さえ見れないスタッフもいるんだぞ!』って。

特に今週は、大会の時に自分が言ったその言葉を思い出す1週間だったような気がする。自分が道場生達と祝賀会の準備をしている時、同じ日の選挙のために頑張っている仲間達の姿が励みにもなった。皆、大勝利(当選)を信じて戦っているのである。自分達も出席してくれる全ての皆さんが喜んでもらえる事、それだけを励みに今日まで準備をしてきた。

いよいよ祝賀会当日を迎える。

幼い頃からの親子の夢を実現した陽孝と家族に心からお祝いをしたい。激戦激闘の末に軽量級を制し、世界の頂点に立った陽孝に心から労いの言葉を掛けてやりたい。アスタナで世界一になり表彰台に立つ陽孝と一番高い所に日の丸が掲げられた瞬間を見た時のあの感動を、今度は道場生達と共に味わいたい。大歓喜の瞬間を出席者全員で分かち合いたい。

出席して下さる皆さんを心からお迎えしたい。

『犀川のご自宅まで緑代表と出向きまして、お母さんの美味しいおにきりも頂きました!啓治師範は、これからも私の大切な兄弟ですので、末永くお付き合いして参ります!』

『とんでもない。岡崎が軽量級世界一、カザフスタンの英雄モリセイエフを破っての世界チャンピオン。
選手強化委員長として行くのは当たり前だよ。私の生涯の盟友日本代表監督の弟子だし

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盟友!

二人の兄弟の人生を決定づけた実家の座敷にあった額縁。

“この道より我を生かす道なし この道を歩く!”

啓治が結婚した時、家の改装をして無くなってしまった。支部長になって『道!』を意識するまでは無くなったことを知らなかった。帰省しても飾っていない事すら全く気が付かなかった。所詮そんなものである(笑)。しかし、いつの頃からか、やはり座敷に畳一畳位の大きさの「書」が飾られていることに気付いた。

『政治馬カ一代!・・・武田良太』と書かれてあった。

地元の選挙区から出ている衆議員の先生である。武田先生の叔父さんは自民党幹事長などを務めた党内や地元でも力のある政治家だった。その叔父さんが亡くなった後、武田先生が地盤を引き継いだ。啓治と武田先生が知り合ったのはお互いが20代の頃であろうか。衆議院選挙に初めて立候補した時、共通の知人から啓治が選挙応援を頼まれたのが最初だった。地盤を引き継いだとはいえ、天下の国政を担う国会議員の選挙である。戦いはそんなに甘いものではない。自分の知る限りでは3回落選したと思う。“良ちゃん!啓ちゃん!”と呼び合う仲。義兄弟の契りを結び、どんな苦境に立った時も啓治は応援し続けた。4回目の挑戦で初当選してからは、揺るぎない確固たる地盤を築いた。これまでにも防衛副大臣、幹事長補佐など要職を歴任している。今は福岡大会の大会会長、全日本大会の顧問を務めている。新極真会の重鎮である。

自分の母は武田先生が経営するゴルフ場で暫く働いていた。母のことを「かあちゃん!かあちゃん!」と呼んで慕い、面倒をみてくれていた。啓治が中国へ渡っている時、自分も千葉に住んで地元にはいない。福岡大会で二人が揃って帰った時など、武田先生は緑代表にこう嘆いていた。

“この兄弟二人はちっとも地元におらんで、かあちゃんを俺に丸投げやあ!”

緑代表と武田先生、そして奥村兄弟、4人の間で一時期「丸投げ!」が流行語となった。要は、実の息子二人は家に居ないでちっとも面倒みない。他人の俺(武田先生)が面倒みてるというのである。全くその通りだった(笑)。啓治が4年前病に倒れた時にも大変お世話になった。日本で有数の温泉地大分県の由布院に温泉を使ったリハビリ治療で有名な施設があると聞き、申し込んだら何カ月も先になると言われたらしい。武田先生に頼んだら、地元の先生を通じて直ぐに入れた(秘)。。

空手と政治で違う道を歩む二人であったが、高い志を持つ者同士が惹かれ合った。深い絆が出来た。まさしく盟友と呼ぶに相応しい二人である。10月22日は陽孝の優勝祝賀会の日。そんな日に衆議院選挙が行われることとなった。いまだ右半身不随で歩行も会話も満足に出来ない身体ではあるが、啓治は盟友武田良太先生の応援に毎日駆け付けている。それは20代に知り合った頃と全く変わらない。

盟友!!三好副代表がよく使っている言葉でもある。日本選手団とユースジャパンで10数年にも及び二人で歩んで来た。二人三脚で選手団を率いて来た。大先輩の三好副代表がそんな自分のことを盟友奥村と呼んで下さるのである。恐縮至極である。昨日、三好副代表が地元高知で選挙応援に行っていたブログを見た。「政党ではなく、人柄で応援しています。」との言葉に感動した。自分も「同感です。大事な日に祝賀会が重なり申し訳ないです。」とFBでメールを送ったら、こんなメールが返ってきた。

『22日は、盟友奥村監督の愛弟子岡崎君のの祝勝会、喜んで参加するよ!!』

大先輩の心に沁みる言葉に心で泣けた。こんな嬉しいことはない。10数年命を懸けて一緒に戦ってきて良かったなあとつくづく思った。道場生達と準備に準備を重ねてきた優勝祝賀会。いよいよ来週末に迫っている。まだまだ準備は完了していない。出席してくれる方を真心で迎えたい。だから最後の最後まで、万全を期して臨みたい。

いよいよ世紀の瞬間が訪れる。その瞬間を皆で大歓喜で迎えたいものである。日本の国政の舵取りを決める大決戦の日、その同じに世界の舞台で二人三脚で戦ってきた鬼(総監督)と仏(監督)が初めて千葉の地で並び立つ。

千葉で鬼と仏が揃うことはもう二度とないですよ。

“武田良太先生の大勝利を信じて止まない。啓治、良ちゃんのこと頼んだぞ!”

その前に、愛弟子4人が挑む大決戦が明日から行われる。愛弟子の戦いをしっかり見守りたい。そして、次の日本代表選手団になるであろう選手達の熱き戦いをしっかり見届けたい。

今から、盟友の待つ東京体育館に行って来ます。

あなたの清き一票をお願いします(笑)!

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千葉南支部奥村道場 応援団!

全員が喜びに満ち溢れた顔をしている。突き上げた拳は間違いなく何か大きな事を成し遂げ、それを鼓舞しているかのようである。喜びを全員で分かち合っている。まさしく大歓喜の瞬間!である。これは、2年前の第11回世界大会、閉会式後に撮った写真である。悲願の男女W優勝こそ成し遂げられなかたっが、日本選手団は大勝利した。その世界大会に、30年前自分が茶帯で少年部の指導員をしていた頃に教えていた少年部が応援に来てくれた。社員50名を連れてお父さんと一緒に来てくれた。全員が「この道より・・・」の奥村道場の応援Tシャツを着ての応援だった。陽孝と日本選手団の応援にきてくれたのである。

いや30年前の少年部は、初代桃太郎はお互いがどんな立場になろうが肩書きなど関係なく、ただ“奥村先輩!”の応援に来てくれたのである。だから社長になろうが、師範になろうが、代表監督になろうが、今でも「大智」、「先輩」と呼び合う。

昭和56年の7月に入門した。翌年の6月に茶帯になった。その年の10月に少年部の指導員になった。入門時から3年間つけた『空手日記』にはこう記してあった。

〇57年10月16日

事務長さんより、少年部の責任者になってくれと頼まれる。うれしかった。押忍!がんばるぞ。

〇10月17日 実戦会

師範より「少年部の責任者になれ。」

腹筋44回、拳立て100回、スクワット100回、ランニング、片足ジャンプ、倒立腕立て100回、サンドバッグ2分×2回

帯研 移動稽古、型平安Ⅰ~Ⅴ表裏、観空。肉のハナマサ  押忍!

師範からはたった一言だけだった。稽古のあと焼肉に行った(笑)。あの時、師範に少年部の責任者になれと言われなければ、あの少年部との出会いはなかった。同じ道場だから出会いはあったとしても、稽古や指導を通してこのような深い絆は生まれなかった。もし、自分が仕事や自身の稽古の集中など理由を付けて断っていたら・・・やはり同じで、あの初代桃太郎とは出会うことはなかったのである。30年前の日記に少年部の責任者になるように言われて、自分が「嬉しかった!」と書いていたことが、嬉しかった(笑)。

どんな絆も最初の出会いから始まる。それが縁!である。出会っても終わる縁もある。出会いがどんな絆に変わるか?これが大事なのである。

入門して1年後茶帯になり、その3カ月後に少年部の責任者になった。その次の年の8月に本部道場で行われた全日本大会の選抜戦で準優勝し、夢にまで見た全日本大会の出場権を獲得した。当時は支部から2名しか出場出来なかった。だから全日本に出場したかったら結果を出すしかなかった。茶帯だったので、いつも指導してくれる黒帯の先輩に勝たなければ自分が全日本大会に出場出来なかった。今は師範が許可すれば誰でも出場出来る。128名いないから。道場の先輩に勝てなくても、道場で3番でも、4番目でも出場出来る。昨年は千葉南支部から6名出場した。小さな支部の6番が全日本の舞台で勝ち上がることが出来るだろうか?道場の先輩に勝てずして、師も弟子もない!親も兄弟関係な真剣勝負の舞台で勝てるだろうか?だから先輩より先に行って稽古するのである。先輩より後に帰るのである。一度も全日本に出場出来なかった林先生は羨ましいなあ!といつも言っている。師範が優しくて、奥村道場の選手は恵まれてますねと言っている(笑)。

その初出場した全日本直前の日記である。

〇昭和58年10月8日

『少年部』:少年部においては、強さのみではなく礼儀を特に教えたい。返事は大きく“押忍!”

“元気よく。子供らしく。”事務長さんより、さんまといわしを頂く。押忍 ありがとうございました。

昔から偉そうな事ばかり言っていた(ようである)。独身寮生活で栄養バランスを考えてか?魚を貰った(らしい)。自分が55才になって、空手歴36年が経ち、多少は色々な経験をしたから言える。当時のたった2年の空手歴の茶帯がろくな指導などしていなかったと思う。いい加減な自分自身のことだから尚分かる。はっきり覚えている指導?は肩車くらいである(笑)。ただこれだけははっきり言える。譬え経験がなくても、持ってる限りのもので本気で教えていた。自分なりに魂を込めて教えていた。魂で教えたら、相手の心に響くこともある。

“30年前、奥村先輩は少年部と本気で遊んでいた。自分が一番楽しんでいた(内緒)。”

道場を持つ身になり、子供の書初めがきっかけで書をたしなむようになった。玄関ロビーの受付に置いた少年部達へのメッセージがこれである。

   『大きな声であいさつ “押忍”』

経験積んでも世界の舞台で数々の修羅場を潜って来たつもりだったが、35年前の茶帯の頃と全く変わっていなかった。師範になっても成長していなかった。発想が同じだった(笑)。しかし、この板の指導のお陰で日曜日の朝練の時、寝坊しないで済んだ。9時過ぎ道場に一番に来た紫穏の大きな挨拶「押忍!」に何度か助けられた。桃太郎に起こされた(笑)。

昨日、総本部から届いた全日本大会のパンフレット。そこにカラー1ページで、あの第11回世界大会の時の、大歓喜の瞬間の写真があった。

『私たちは千葉南支部奥村道場を応援しています。がんばれ、岡﨑陽孝選手!!』

ダイチグループ代表 野田大智

9月、初めての上海遠征で双子の中学生の兄弟から手紙を貰った。夏には初代桃太郎から陽孝優勝と日本選手団大勝利のお祝いと共に大感動の手紙が届いた。今はIT時代、メール全盛時代である。そんな中での真心の手紙に人の温かさを感じたものである。

『・・・奥村先輩の自慢の愛弟子でもある岡﨑選手が世界チャンピオンとして晴れの大舞台の頂点に立たれました事、誠におめでとうございます。塚本徳臣師範と塚越孝行師範の元両世界王者が、世界最強のコーチ陣として奥村先輩と共に全日本を勝利に導かれたことに感動しております。そして、岡﨑選手を新世界王者に導いた奥村師範の指導者として、そして人としての偉大さに尊敬の念を抱くと共に、私の誇りの大先輩であることを心より感謝申し上げます。幼い頃から私に温かく激励をし、稽古をつけてくれ、社会人になった今も人としての温かさ、強さ、優しさを沢山与えて下さる大先輩が世界を舞台に大活躍され、人生をかけて多くの人材育成にも尽力して下さるお姿を私にしっかりと見せて下さる事に心から感謝しております。私自身先輩に続き、世界の戴きを目指し挑戦していく決意を新たにさせていただきました。・・・・』

何度も何度も涙して読んだ。30年前に肩車をして一緒に稽古した初代桃太郎が大成長し、今や青年実業家になって世界中を舞台に駆け巡り活躍している。いよいよ来週末に迫った15日の全日本大会にも社員を連れて応援に来てくれる。勿論、22日の優勝祝賀会にも馳せ参じてくれる。ただただ奥村先輩の一世一代の晴れ姿を見に、心からお祝いに駆け付けてくれるのである。

優勝祝賀会、大歓喜の瞬間が待っている。

“大智、いつも本当にありがとう。2年振りの再会楽しみにしてるよ!”