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桃太郎と一緒に

祝 世界へ翔たけ!

久しぶりに入門した時からつけていた「道場日記!」を読み返した。ある場面を探し出すために。

2年目の10月16日にあった。茶帯になっていた。20歳!まさに青春謳歌していた頃である。

◆10月16日

事務長さんより、少年部の責任者になってくれと頼まれた。うれしかった。押忍!がんばるぞ。

◆10月17日 実戦会

師範より“少年部の責任者になれ”

腹筋400回、拳立て100回、スクワット100回、ランニング・・・・・・

移動稽古、型平安Ⅰ~Ⅴ表裏、観空・・・肉のハナマサ 押忍!

観空をしていた(笑)。厳しい稽古の後は、焼肉食べ放題に行っていた(笑)。

やっぱり師範がチャンスをくれていた。昔から子供が大好きだった。子供と遊ぶのが好きだったのかもしれない。あの時、師範が少年部の責任者に自分を選ばなかったら、大智と巡り会うことはなかった。いやこんなに深い絆は出来なかったと思う。もしもあの時、自分が少年部の責任者を断っていたら、明日の披露宴出席はなかった(笑)。

ちょっとしたことではあるが、その出来事や出会いが大きな絆を生むものである。今回、つくづくそう思った。36年前の事である。

 小さな出会いが大きな絆を生んだ!

大智は知らない。あの頃、奥村先輩が世界の舞台に立つことを夢見て、日々厳しい修行に明け暮れていたことを。とりわけ緑帯茶帯の頃の実戦会(選手クラス)は苦しかった。緑帯茶帯の苦しくも夢見て頑張った時代があったからこそ今の自分がある。今思えば少年部達との稽古は、ひと時の安らぎだったのかもしれない。

今だから思う事がある。肩車をした少年は自分の肩の上でもう“世界!”を見つめていたのではないだろうか。引っ越して一緒に稽古することはなくなったけれど自分が全日本大会に出場し、夢であった世界の舞台に立つ姿を見て、肩車からの景色をずっと忘れないでいたに違いないと。

いつの頃からか連絡を取り合うようになった。電話の最後でいつもこう言っていた。

『先輩には絶対負けませんから!』

自分はいつもこう応えていた。

『おう!俺も大智に負けないから!』

最近知った事実があった。

大智は1999年の7月、たったひとりで会社を立ち上げた。アパートの6畳一間の一室からの出発だったらしい。自分は2000年の4月に組織から道場責任者の認可を受けた。大智が1年目孤軍奮闘している時、自分は地元の公民館で新たな空手人生を歩き始めていたのである。時を同じくして、偶然にも同じ境遇だった。だからこ、大智の「負けませんから」という言葉が胸に沁みていたのだろうと思う。

知れば知るほど出会いは宿命だったのかなと思えてならない。運命は努力で変えられるけれど、宿命は変えられない。

組織名が新極真会に変わった。第8回世界大会で日本代表選手団のコーチに就任した。2年後のワールドカップ(世界W制大会)で初めて監督になった。そして2007年開催の9回世界大会でも引き続き監督となった。大智と出会った頃、世界の舞台を目指していた20歳の青年が、夢であった無差別の世界大会のまさか日本代表監督に就任したのである。第9回世界大会は武道の挨拶である“押忍!”の言葉を全面に出して「押忍シリーズ」として開催された。

『 押忍。それは尊敬、謙譲、感謝、謙虚を示す武道の心。いかなる苦難も耐え忍び、いかなる瞬間でも前に出よ。押忍。今、言霊が世界を翔ける。』

海外選手で最強と謳われたヴァレリーとドナタスの二人を倒し、日本の王座を守り世界チャンピオンになったのが塚越だった。その第9回世界大会の記念道着がいわゆる「押忍道着」である。それ以来、自分はユース合宿もその後の日本代表強化合宿の時はその押忍道着を着て行った。総本部の鏡開きにも。道場では別の日の丸の付いた道着を着た。

自分が拙い書ではあるが、“押忍!”という言葉を一番好んで書くのには実はこうした理由があった。記念道着は毎回購入したが、いざという大事な時はこれを着た。いわゆる自分にとって一番大事な「勝負道着!」だった。塚本が優勝した第10回世界大会の日本代表合宿もこれだった(内緒)。前年の全日本大会の特別演武もこの勝負道着で行った。

第12回世界大会の時、選手団の有力選手数人とコーチの塚越と共に日本選手団必勝祈願の滝行をすることになった。正直に言うと、勝負道着が濡れるし痛むかな?と思って使わなかった。保身に走った(秘)。第12回の新しい記念道着で行った。

第9回、第10回で一緒に戦い世界の頂点に立った二人の弟分が、今は選手団でコーチとなって自分を支えている。肩車をした少年の後輩でもある陽孝が軽量級世界チャンピオンになった。この3名の世界チャンピオンと世界大会に勝るとも劣らない人生最高の晴れの舞台で、明日演武をする。

二人の新しい門出のお祝いの“魂の演武!”を披露する。

演武のクライマックス・・・

あの肩車をした少年が大成長し・・・・明日は主役の新郎となり・・・

演武の最後に登場します。4回目のお色直しをして(笑)!

最後の正拳中段突きの締めは・・・勿論、押忍道着を着た主役の新郎です。

昔の数々の思い出が走馬灯のように蘇って来る。こんな日が来ようとは。涙しか出ん。

“大智、真理子さん、結婚おめでとう。心からおめでとう!!”

今はこの言葉しかない。感謝!感謝!

そして大智の益々の活躍とダイチグループの益々の発展を祈りつつ

大智、世界へ翔たけ!

 

 

49全日本大智と

絆!30年の時を越えて

ここに1枚の集合写真がある。

3年前の世界大会と同じく、やっぱり白髪頭の眼鏡おじいさんが中心にいる(笑)。ただし、ALLJAPANの赤いユニフォームは着ていない。支部長の制服である青い審判シャツ姿である。隣には陽孝がいる。同じく支部長で日本選手団のコーチを務める塚本と塚越もいる。全員が歓喜に満ち溢れた顔をしている。50人はいようか。皆が満面の笑みで溢れんばかりのエネルギッシュな顔をしている。場所は東京体育館。時は昨年の10月、第49回全日本大会の表彰式後の写真である。写っている集団はダイチグループの皆さんである。陽孝を自分と挟むように並んでいるのが、このダイチグループの創立者で代表の野田大智氏。自分が36年前、極真時代に少年部の指導員をしている頃に教えた桃太郎!その人である。

いつだったか?大智から電話があった。記憶が正しければ、5月に陽孝が大阪でJFKOの第1回国際大会で優勝した時、それは見事なお祝いの胡蝶蘭の花が届いた。その御礼の電話をした時のことだったと思う。

『先輩、もっと凄い物が届きますよ!』

年明けに結婚する報告は受けて知ってはいたが。披露宴の招待状が届いた時、凄い物はこれだったのかと思った。しかし、違った。

大智が9日の日曜日に挨拶に来た。披露宴を今週土曜日に控えて一番忙しい時に、わざわざ千葉の道場まで足を運んでくれた。その時に持参した贈り物が、実はあの時に言っていた”凄い物!”だったのである。あの第49回全日本大会の時にダイチグループの皆さんと一緒に撮った集合写真を素材にした縦120㎝、横180㎝の特大サイズの写真(ポスター?)だった。ただの写真ではない。手の指の爪のサイズ位の写真が散り蒔かれた特殊加工の写真だった。その数は万単位である。数万枚に及ぶ写真を繋ぎ、組み合わせて全日本大会と同じ写真を創っているのである。近くで見ると小さな写真ばかり。離れた所から見ると、それは見事に写真が再現されていた。1年掛かりで作成したそうである。その熱い想いとスケールの大きさにただただ感服するばかりである。自分だけではなく、一緒に写っている塚本や塚越、陽孝の分まで作ってくれていた。それも二枚!ただただ感動し感謝の言葉しかない。

写真の一枚一枚が全て歴史である。自分と道場の、いや写っている道場生全員の新極真会での歩みでもある。千葉南支部のホームページや自分のFBを中心に写真を集めたそうである。塚本や塚越の写真もたくさんある。こんな凄い物を今迄見たこともない。きっと道場の永遠の宝物になるであろう。

あまりにも泣き虫だったのでお母さんの勧めで小学校1年生の時に入門したそうである。3年生で黄色帯まで取った。4年生に進級する前に広島に引っ越したそうである。自分が覚えていたのは肩車と帯の色だけだった。30数年ぶりに一緒に稽古をした。自分が現役時代に締めていた黄色帯を大智に締めさせた。一緒に稽古しながら、肩車をして遊んだあの時の大智少年を思い出していた。心で泣いた。涙を堪えるのがやっとだった。

夜遅く大智から貰ったメールにも同じ事が書いてあった。

『・・・少年部の頃、カッコ良いと思っていたのは本当でした。今日の奥村先輩は強くてカッコ良かったです。・・・黒帯取ったのに、帯も道着も失くしてしまって。今日、奥村先輩に大事な道着を貰って感動しました。家宝にします。母が泣いていました。撮影した動画を何度も見ていて昔を思い出すばかりです。感謝しかありません。・・・』

ある道場生から、大智と一緒に稽古している姿を見て“あんな嬉しそうな師範の顔を見たことがないです!”と言われた。その通りである。大智のことを道場生達も皆一緒にお祝いしてくれた。こんな嬉しい事はない。

大智から贈られたあの写真にもこの言葉が勿論あった。

 空手 この道より我を生かす道なし この道を歩く!

空手をやって本当に良かった。

千葉に来て本当に良かった。

あの時、師範に言われて少年部の指導員を引き受けて本当に良かった。

“大智、ありがとう!本当にありがとう!!”

“良いご縁をありがとうございます!押忍”

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絆!初代桃太郎

36年前の話である。
まだ緑帯か茶帯で少年部の指導員をしていた頃の話である。小学1年生で少し泣き虫で、とても人懐っこい少年部がいた。空手の稽古のことは何も覚えていない。でも一緒に遊んだことだけはよく覚えている。肩車をして遊んだ事だけは(笑)!3年生で黄色帯の時、お父さんの転勤で千葉から引っ越した。
しかし、その少年との“絆!”は36年経っても続いた。少年は大成長し、今では大青年実業家となって世界中を駆け巡り活躍している。世界大会や全日本大会には社員総出で応援に来てくれる。奥村道場の応援Tシャツを着て。今日は千葉の道場まで挨拶に来てくれた。自分がお祝いしなければいけないのに最高の贈り物を戴いた。スケールの大きさ、その思いに感動した。36年振りに一緒に稽古をした。桃太郎や道場生達と一緒に。当時のまま黄色帯を締めて・・・その姿に涙が出た。
今週土曜日、少年は人生最大最高の晴れの舞台に立つ。勿論、最高の伴侶を伴って。
“大智、今日は一番忙しい時なのにわざわざ千葉まで来てくれて本当にありがとう。道場の宝物にするからね。”…
“大智、真理子さん、結婚おめでとう!いつまでもお幸せに!!”

嬉しい事って重なるものである。

昼飯も食べずにいたのでお腹が空いたので弁当を買おうと、閉店前のトップマートに急いで向かっていたら・・・携帯電話が鳴った。自分の一番お気に入りの「椿姫 乾杯の歌♪」が流れた。

日曜日のこんな時間、急用か!車を止めて・・・。この着信音だけは総本部事務局と、世界に3人しかいない(笑)。・・・緑代表だった。

『奥村さん、珍しい人に変わりますからね~!』

受話器の向こうは騒がしかった。渋谷か青山か、何処かの居酒屋かな?誰だろうと?楽しみに出たら・・・まさか九州福岡からだった。まさかまさか愛する弟だった(笑)。

今日は福岡支部の昇級審査会の日だったらしい。

木曜日は木更津で新極真会のゴルフコンペ。金曜日は理事会。日曜日はもう福岡。相変わらず緑代表は多忙の毎日である。

勿論、緑代表も啓治も今日の千葉南支部の出来事は知らない。

奥村師範が涙をこらえて「初代桃太郎の手紙」を読んだ事を知る由もない。

今日は最高の一日だったのに。それでもまだいい事があった。

絆!って、こんなものかもしれない。

変わらぬ絆に感謝!感謝!