Category Archives: 師範ブログ

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団結あるのみ!

世界大会の応援Tシャツが出来上がりました。少年部もご父兄の皆さんにも喜んで貰えました。あらためて“団結!”・・・いい言葉です。

日本代表選手団は勿論のこと、全国の支部道場生が団結して世界大会の応援を宜しくお願い致します。

という訳で、さっそく記念撮影しました。ハイ ポーズ!

撮影中に変なおじさんが現われた事をカメラマン以外誰も知りません(内緒)。

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地上最強のカラテ!

突然飛び込んで来た悲しい知らせ!

“熊殺し!”の異名で空手界は勿論のこと格闘技界でその名を轟かせた元極真会館アメリカ支部のウィリー・ウィリアムスさんが亡くなられた。

国は違えど、決戦の年に同じ世界の舞台で戦った世界戦士の先輩の突然の訃報に驚いた。偶然にも世界大会の年に・・・。過去11回を数える世界大会で、「最強の外国人選手は誰ですか?」と尋ねられたらこう答える。

第4回のアデミール・ダ・コスタ選手か、第2回大会のウィリー・ウィリアムス選手ですと。ウィリー選手はそれ位強かった。第2回大会では強豪日本選手が多数入る中で3位入賞を果たした。一度は引退したが、第3回大会にも出場した。広島支部の田原敬三選手と死闘を演じて惜しくも敗れた。初出場を果たした第15回全日本大会の翌年、初めて見る日本武道館での世界大会だった。自分の運命を変えた大会だった。ウィリー選手に勝った田原選手は7位入賞したが、鎖骨骨折でドクターストップとなった。試合後、控室か何処か場所は忘れてしまったが?田原選手にお疲れ様でしたと声を掛けたら、「白石さんはお元気ですか?」と逆に声を掛けられた。実は後年になって分かった事であるが、大智が広島に転居した時、広島で入門した道場の先生が田原さんだったのである。事情あって田原選手が極真会館を去り、独自で流派を立ち上げた時、大智は師である田原選手と共に同じ道を選んだ。そして高校卒業まで空手を続け黒帯を取った。

ウィリー選手の訃報を聞いて驚いたのにはもう一つ訳があった。決戦の年の幕開けを控え、年末から正月にかけて聞いた大山総裁のレコード(カセットテープ)にウィリー選手が登場していたからだった。元全日本チャンピオンでさえも倒し、快進撃を進めるウィリー選手は日本選手団にとって一番の脅威だった。即ち、第2回世界大会の優勝候補筆頭で一番の台風がウィリー選手だったのである。

日本代表選手団強化合宿を間近に控えて、ウィリー選手の戦いの模様をCDで何度聞いたことか。だからこのタイミングの訃報にただただ驚くばかりであった。

極真会館の発展の一番の要因は、世界大会の成功があってこそのことである。海外勢の脅威、日本選手団と海外強豪選手との死闘。優勝を脅かすほど強い海外強豪選手の存在が皮肉にも世界大会を成功させ、組織を発展させてきた。その歴史ある世界大会で、日本選手団の最強のライバルとして一時代を築いたウィリー選手のご冥福を心からお祈りするばかりである。

3月の日本代表(候補)合宿のバスの中で選手達に聞かせた大山総裁の声(CD)。

大山総裁は語る。

喉の乾いた牛を小川へ連れて行くのは人間の役目。しかし、牛が水を飲むか飲まないかは牛自身の問題である。別に極真空手に来たからといって強くなるとは限らない。極真空手に来なくても強くなれる。強くなるかならないかは本人の努力である。』

悲しいかな!それが現実となった。5月大阪のJFKO大会で要の男子重量級で負けた。無差別の世界大会の頂点に一番近い重量級のチャンピオンを、初めて他流派が獲った。日本選手団の中に男子で初めて他流派選手が入った。

勝った選手をほめるべきであるが・・・もう言葉にならない(悔)。

結果が全てである。

全ては11月勝つだけである。

令和新時代となり、今回で節目の12回目となる世界大会。第1回大会の開催にあたって、大山総裁はこう言われた。

『もし日本が負けるようなことがあったら私は腹を斬る!』

 第2回目の時は

『チャンピオンの座を海外に持って行かれるようなことがあったら、選手諸君、君たちが腹を斬れ!』

と言われた。

厳しい勝負の世界にあって、これほど厳しい言葉は他にない。また、逆に師が弟子を信頼しているからこその言葉でもある(自分はそう思う)。十数年間、この言葉を肝に銘じて日本選手団に身を置いて来たつもりである。

こうして始まった世界大会だった。日本選手団にとって優勝が絶対の世界大会であった。第3回大会までは総本部全盛時代であった。代表選手のほとんどが大山総裁の直弟子であった。だから監督もコーチもいらなかった(と自分はそう思う)。第4回大会は代表選手15名の内、12名が初出場だった。総本部出身の選手は二人だけだった。ましてや海外選手の台頭・・・大山総裁が大号令を掛けた。初めて代表選手全員を集めての強化合宿が行われることとなった。選手団に初めて監督とコーチが出来た。

かくして32年前の夏、日本代表選手全員が集結し大山総裁の陣頭指揮の5泊6日の強化合宿が挙行された。

師から弟子への“直伝!”であった。

それから延々と続く日本選手団の戦いの歴史と伝統。男子は一度も王座を海外に渡したことはない。女子は第10回大会以来の王座奪還である。第4回大会での大山総裁が日本選手団の優勝のためにされたことと同じように、我が組織も数々の策を講じて来た。最初に打った手こそ選手強化委員会の設立だった。今やユースジャパンは15期目を数え、選手は400名を超える規模にまで大発展した。U-22を初めとするU-制度は日本代表選手への登竜門となった。選手団コーチは今では7人いる。全員世界戦士である。女子専属コーチさえいる。組織は選手育成にも最も力を注いで来たのある。

日本選手団に身を置いて16年が経った。厳しい戦いばかりであった。負けたこともあった。しかし、どんな試練をも日本選手団は乗り越えて来た。

伝統継承!!

11月、必ず勝つ!

南国鹿児島での強化合宿。これまでの合宿で最も厳しい合宿になるであろう。全ては11月の大勝利のために。戦いは支度で決まる。選手団の団結こそが大勝利へ道である。

 王座死守!王座奪還!

空手母国日本の威信に懸けて何としてでも成し遂げてみせる。

日本選手団は地上最強である。

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幸風とカブト虫!

大阪から帰った日の夜、灯りを付けたまま小野幸風がソファーで横になってのんびりくつろいでいると一匹のカブト虫が飛んで来た。加曾利の山郷ではなく、遠くは九州から飛んで来たカブト虫だった(笑)。

大阪の話から世界大会の話、新極真会移籍の話まで・・・延々と話が続いた。話をしながら、第11回世界大会の翌年の総本部鏡開きで初めて会った時の事を思い出していた。第一印象は塚本から聞いていたとおりだった。

“熱い男だなあ!”と思った。

そしてもう一つ、思い出していた事があった。同じく世界大会の翌年、2016年2月に千葉で行われたU-22強化合宿の光景だった。第11回大会で男子は島本が優勝したが、女子は惜しくも準優勝に終わった。4年後の第12回大会に向けて、組織として最初に始動したのがU-22強化合宿だった。世界チャンピオンの島本をコーチに加えて、4年後を見据えて当時の22歳以下の精鋭を募った。その25名の強化指定選手の中に九州のカブト虫の愛弟子がいたのである。まだ弱冠16歳の高校生だった。他流派から移籍して来たばかりで新極真会のTOP選手との組手はとても辛そうだった。千葉から陽孝と翔希も選ばれた。

あの日から3年が経ち努力と精進が実り、愛弟子は日本代表選手に選ばれた。師弟であり、親子でもある。新極真会に来て師弟で、親子で世界大会の夢を掴んだ。

大阪から帰った日の夜、会話が弾み最後にこんなお願いをされた。

『監督、総裁のCDを頂けないでしょうか。』

3月の強化合宿で流した大山総裁のCD。天の声。自分の想いが響いた。自分の合宿に懸けた熱い想いを受け止めてくれた男がいた。

「合宿から帰った夜、興奮してCDの話をするんですよ。」

“心魂の空手!が響いたらしい。

CDには原版レコードのジャケットの大山総裁の写真を付けた。他にも第4回世界大会のDVDや第9回世界大会の時の特集記事を同封した。彼にとっては原点になるであろうU-22強化合宿の写真や自分の宝である白石先輩との死闘の写真も入れた。これでもかこれでもかと言うくらいに!極めつけは20歳茶帯時代のあの拡大写真まで・・・“勝負だ~!”って。封筒開けてひっくり返るくらいまとめて贈った(笑)。

今日金曜日は休館日だったが、予感がしたので1階の灯りをつけていたら、案の定あの九州のカブト虫が飛んで来た。CDが届きましたとの御礼にはるばるやって来た。第一声はもう言葉になっていなかった。感動しまくりだった。特にあの拡大写真が効いたらしい(笑)。

「何歳の時の写真ですか?」

「息子と同じ20歳だよ。入門して1年半くらいかなあ!」

“ひいぇっ~!”電話の向こうでひっくり返る音がした。

暫く自分の現役時代の話が続いた。他流派から来たので何もかもが新鮮なんだろう。自分の言葉全てに感動していた。総裁の座右銘も白石先輩も知らなかった。新極真会の道場生にとって当たり前の事が当たり前でない人もいる。恵まれた環境にいるのに活かせないでいる。いや活かそうとしないでいる。まさにCDの大山総裁のあの言葉である。

『喉の乾いた牛を小川へ連れて行くのは人間の役目、しかし、水を飲むか飲まないかは牛自身の問題である。空手を教えるのは私の役目、強くなるかどうかは君達自身の問題だよ。極真空手をしたからと言って強くなるとは限らない。あとは本人の努力だよ!』

たった4年で世界大会日本代表選手を二人も出した。凄い男である。緑代表や塚本が可愛がるのがよく分かる。

指導に情熱を持っている。求道心が凄い。熱い男である。さっそく座右銘をメールしてやった。

3年前のU-22強化合宿のFファイルを出して名簿を見てびっくりした。何人も今回日本代表になっていた。いや!そのための合宿だったのである。アルバムを見て、正直もっと驚いたことがあった。一枚の写真のコメントに身震いした。

“必ず世界へ連れて行く!”