Category Archives: 師範ブログ

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中国の龍となれ!

今年8月の福岡大会の時、地元の後輩白石君から1枚のDVDを貰った。タイトルを見て驚いた。『上海道場責任者就任パーティー 2013年5月18日 行橋 京都ホテル』それは、弟啓治(師範)が中国上海道場の責任者に任命されて、その旅立ちの直前に壮行会を兼ねた激励とお祝いのパーティーを地元のホテルで開いた時のDVDだった。14年前の映像が残っていたこと自体驚いた。41才の時である。若かった(笑)。
その年の7月に組織名が新極真会になった。その年の10月に第8回世界大会が開催された。その世界大会の日本代表に選ばれた若き日の渡辺大士選手や森健太選手も会場にいた。他にも福岡支部を支える多くの道場生も福岡支部初代師範代の啓治のお祝いに駆け付けた。2013年は組織にとっても意義深い年でもあった。映像を見るまでもなく記憶にはあったが、あらためて緑代表と啓治の絆!啓治の中国に掛ける思いを再認識した。皮肉にも空手着で元気一杯な啓治の姿があった。啓治のそばで寂しそうに立つ母の姿があった。緑代表と自分、そして母の横で最後に啓治が挨拶するシーンは何度見ても泣けた。緑代表と啓治の師弟の絆に泣けてしようがなかった。

啓治は新極真会や地元の仲間に支えられて、福岡(全九州)大会の会場に来れるようになった。飛行機に乗って沖縄大会にも行った。この9月には二回目の沖縄訪問を終えたばかりである。大士や健太の先輩で今は沖縄支部長を務める吉田冨和支部長の昨日のブログを見て感動した。

『奥村啓治師範は僕達の永遠の師範代です。』

これほど人を思う言葉があろうか。緑代表と師範代だった啓治との深い絆と同じように、啓治と代表の愛弟子である富和や大士、健太達とも変わらぬ深い絆があったのである。啓治が裸一貫で中国上海に渡ったように、緑代表もまた極真激動の時代に福岡支部長として右も左も分からぬ福岡の地に来たのであった。それを師範代として支えたのが啓治だったのである。
 

何の因果か?この時期に14年前のDVDが届いた。10月の陽孝の優勝祝賀会と北京遠征の前に。不思議な縁を感じずにはいられなかった。空手の神様が自分に何かを言おうとしているに違いない。そう思えてならなかった。
“啓治の魂を中国に伝えよ!”と。そして、祝賀会を見守ってくれてるような気がしてならない。

何としてでも優勝祝賀会は成功させてみせる。自分自身にとっても一世一代の晴れ舞台でもあるから。後悔はしていない。税務の職場を辞めたことを。でも中途半端に辞めたことには変わりはない。陽孝の祝賀会ではあるけれど、日本選手団7階級制覇も含めて自分自身の空手生活36年の集大成でもある。だから敢えて高校の同期や昔の職場の上司や先輩、仲間達にも祝賀会に誘った。自分の信じる道を歩む姿を見て欲しいと思ったから。

“この道より我を生かす道なし この道を歩く!”
啓治が病に倒れて4年。中国支部長代理となり、もう中国遠征は10回を数える。今回初めて中国の首都北京へ遠征である。14年前、啓治が初めて中国上海の地に降り立った時、どんな思いをしたのだろうか?世界一の中国大陸で不安も正直あっただろう。しかし、その中国で誰もやったことのない事をやる!野望に満ち溢れていたことだろう。それは1回目の中国上海を訪問した時に分かった。啓治が住んでいた古いアパートに足を運んだ時に。部屋中に空手道具や関係書類が散乱し、足の踏み場もない小さな部屋だった。自分も負けていないが(笑)?壁に張られた横断幕の言葉を見て覚悟のほどを知った。師である緑代表から継承した“死力達成!”の言葉である

留守は大丈夫ですよ。桃太郎達に思いを託していますから。心配いりません。千葉の桃太郎達は全員、「心マーク」の意味を知っていますから。師範がもういなくても千葉はもう大丈夫です(笑)。
啓治の魂と自分の武道魂を伝えるため、今日から北京に行って来ます。

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世紀の祝賀会!

先週の日曜日、道場に奥村(雅一)がやって来た。「優祝賀会」の打ち合わせのためである。ひょんなことから話が自分の拙い『書』に及んだ。書(色紙)と言えば、まだ全日本大会にも出場してない頃、運よく大山総裁から直筆のサイン色紙を頂いた。極真空手を志す者にとって、これ以上の宝物が他にあろうか。35年経った今、自分が開いた道場にある。大変失礼な言い方ではあるが、大山総裁とのこの縁(存在)があってこそ今の自分がある。

小学生の頃、実家の隣がお寺だった。そのお寺で週1回の書道塾が始まったので入った。2、3年位はやったかな?初めての習い事だったので最初は楽しかった。徒歩数秒だったので通うことも苦にならなかった(笑)。隣の行橋市で開かれた展覧会で入賞したこともあった。今でも作品を覚えている。当時身長以上の習字紙にブタ(太)筆で『海の幸』『山の幸』と啓治と双子だったので対で書いた。自分がどちらだったかは定かではない。山だったかな?海だったかな?

一番上の娘が小学生の頃、冬休みの宿題で書初めをしていた。勿論、広い道場で。それがきっかけで自分も書道をするようになった。それまでは色紙を黒マジックで書いていたが、筆で書くようになった。二番目と三番目の娘とも毎年書初めをした。お陰様で随分上達した?空手しか能がなく、趣味と言えるものは何もなかったが『書』にはまってしまった。それ以来、少年部のクリスマス会の景品が激変した(笑)。

日曜日、奥村が自分から書いて貰ったというメッセージを(写真)見せてくれた。2枚あった。何せ10年前の事、全く覚えていなかった。昔からこんな事してたんだなあと正直呆れた。1枚は全日本2回目の出場にあたり書いた言葉だった(らしい)。

『チャンスを逃すな 当たって砕けろ! 道は自分で開け』

2枚目は、奥村が総本部で弐段の昇段審査を受ける際に書いた言葉だった(らしい)。

『たった何十年の何日だけ 頑張れ!生涯の空手道を 奥村』

自分自身とて全日本大会や世界大会にも出場した。総本部道場で大山総裁の前で弐段に挑戦した。だからこその、今まさに同じ道を歩もうとしている愛弟子に渾身の思いで掛けた言葉であった。

どちらも間違いなく自分の字だった。2枚目にはちゃんと名前まで書いてあったから間違いない(笑)。自分のメッセージも虚しく全日本大会は1回戦敗退したが、昇段審査は見事合格した。弐段になった。実は、この時自分も受けたが落ちた。四段の挑戦だった。型で落ちた(内緒)。啓治は合格した。新潟支部長の古川師範が当時、泊りで出稽古に来て一緒に稽古して受けた。古川師範は合格して参段になった。自分が千葉で道場を開いて、一番最初に全日本大会に出場したのが、実は奥村だった。今は自分も五段となって参段までは(昇段)審査できるが、総本部道場まで行って昇段審査を受けた一番最初の道場生が奥村だった。今の千葉南支部の黒帯の中には、自分の極真現役時代に一緒に稽古した後輩達がいる。在籍時期は違うが、同じ道場から移籍してきた道場生も何人もいる。しかし、しかし移籍して来た時に白帯で来たのは奥村ただひとりだけである。まだ常設道場がなかった頃である。譬え昔の先輩が開いた道場であろうが、もう名前も流派も違う道場に入門するのである。白帯を締めて来たのはたったひとりだけだった。勿論、奥村道場に移籍する前に相談に来た時、黒帯を許可したのは自分ではあるが。帯研などでも感じるが、黒帯に組織の名前が入っている意味が本当に分かっている道場生が余りにも少ない。自分が出した黒帯ではないが、その空手歴は否定できないからである。まして、中には共に稽古をしてきた後輩もいいたから。それよりも何よりも一番大事な事、それは辞めてきた過去よりも今だと、これからの気持ちだと思ったからである。

“過去よりも今!今よりも未来!”なのである。

10月22日に陽孝の優勝祝賀会開催が決まった。一旦は別のホテルに決まっていたが、会場の広さなど諸事情により変更する必要があった。日曜日に開催場所が決まった。はっきり言えば、自分の素早い決断力と奥村の素早い行動力で決まった。緑代表、三好副代表も祝賀会のお伺いをしたら二人とも快く引き受けて下さった。全日本大会の翌週である。お二方とも世界中を駆け回っている方である。公私共にお忙しい所恐縮至極である。選手団コーチとして一緒に戦ってきた塚本支部長や塚越支部長も来てくれる。陽孝が出稽古でお世話になった谷川支部長も来てくれる。自分が初めて日本代表選手団の監督に就任したのが、2005年大坂で開催された第3回カラテワールドカップだった。その大会で、重量級で優勝したのが塚越支部長。軽量級で優勝したのが谷川支部長だった。陽孝の優勝は、12年振りの男子軽量級王座の奪還だったのである。軽量級だけではない。重量級も島本雄二が12年振りに奪還した。女子重量級は6回の歴史で初めての王座獲得だった。だから、だから日本選手団の今大会7階級制覇達成は歴史を知っている人から見ると、想像を絶する過酷な試練の中で勝ち獲った大偉業なのである!残念ながら中量級だけ、第1回大会で優勝の石原支部長以来の奪還は出来なかった、4年後の第7回大会のポーランドでは中量級も奪還する。優輝が必ずやってくれる。そしてその時こそ組織の、日本選手団の悲願の8階級制覇を成し遂げたい!

今まで数々の優勝祝賀会に自分自身も支部長として、また日本選手団の監督として出席してきた。だが今度ばかりは訳が違う。組織ではない、千葉南支部の主催である。自分が主催者である(笑)。新極真会だけではない。世界のフルコンタクト空手界の頂点に立つ(でだろう)緑代表が出席される。その緑代表をそばで一番支える副代表で日本選手団を率いている日本代表総監督の三好副代表も出席される。世界チャンピオンの3名も出席する。空手人生36年で初めての事である。陽孝に二連覇して欲しいが、もう二度とないであろう。試合は7月に終わったが、まだ戦いは終わっていない。10月22日の優勝祝賀会、道場生の皆さんにとっても人生最高の舞台の一つになるに違いない。限られた日にちではあるが、心して準備に取り組みたい。万全を期して臨みたい。

“戦(いくさ)は支度で決まる!”

自分が白帯の頃、空手のイロハヲ教えてクれた黒帯の先輩の息子さんが縁あって自分の道場に入門した。日の丸を背負い世界の舞台で堂々と戦った。想像を絶する厳しい戦いの末に長年の親子の夢を、そして師弟の夢を自らの手で叶えた。組織や家族の存在なしに、陽孝ひとりだけの力では成し遂げられなかった。そして一番の力になってくれたのが同じ道場の仲間達の存在だった。

『この優勝の喜びを是非祝賀会に出席して分かちあって下さい。陽孝と家族の皆さんにお祝いと労いの言葉を会場で掛けてやって下さい。空手人生でお互いもう二度とない舞台に一緒に立ち、これからの空手修行の糧にして下さい。皆様の祝賀会出席を心からお願い申し上げます。』

空手人生36年!人生55年!自分はこう思う。自然に繋がる縁もあろう。目に見えないような絆で繋がっている縁を感じる時もある。宿命か?運命か?どうしようもない縁もある。しかし、自らの力で築いて行けるのも縁である。

同じ日曜日、(初代)桃太郎から電話が来た。祝賀会の招待の電話をしたが留守多忙でずっと繋がらなかったが、折り返しの電話だった。世界一の祝賀会、空手人生最高の舞台の招待をしたら。桃太郎もまた人生最高の舞台に立つ話を逆にされた。近々道場に挨拶に来たいと言う。偶然と縁にお互い驚いた。お互いが同時に最高の舞台を贈るなんて・・・暫くの間大笑いして盛り上がった。何処までこの桃太郎とは固い縁で結ばれているのだろうと、感動の一日となった。

“大智、優勝祝賀会は生涯の伴侶となる方と一緒に来てくれよ。会うの楽しみにしてるから。心からおめでとう!”

縁を感じる一日となった。以前、緑代表が語っていた言葉を思い出さずにはいられなかった。

『小才は縁に出会って縁に気付かず!

    中才は縁に出会って縁を生かさず!

        大才は袖振る縁をも生かす!』 

自分は縁あって空手の師範になった。世界何十億の人口がいる中で、世界の新極真会の仲間と出会った。縁あって千葉で道場を持ち、多くの道場生達に巡り合えた。これからもこの空手の縁を大切にして生きて行きたい。

 

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出会いは奇跡を起こす!中国と福岡、師弟の虹の懸け橋

コーン・スピテールス師範、新極真会ベルギー支部長。
第5回世界大会に出場し、4回戦で緑代表と対戦した。善戦するも上段回し蹴りで一本負けを喫した。それ以来、緑代表との交流・友情は続く。昨年は自らがヨーロッパのフルコンタクト空手界の諸流派を集め、サマーキャンプを主催した。日本からは緑代表と第6回・第10回世界チャンピオンの塚本支部長が参加した。塚本支部長はクン師範を兄とも慕う仲である。K1でも有名なオランダのシェーム・シュルト選手や多くの諸流派選手も参加し欧州フルコンタク空手界大同団結に繋がり大成功を納めた。2020年東京オリンピックの年に全世界フルコンタクト大会が大阪開催される。その中心は勿論新極真会である。
自分は第4回世界大会で、同じ4回戦で後ろ上段回し蹴りで同じくノックアウトされた。二人とも負けた試合が派手だっただけに、その後の大会告知用の映像でよく使われた。いつの頃からか大会などで二人が会うと、
 『Brother、We are very famous. We are same story!Wah ha ha!』
と笑いながら抱き合い再会を喜ぶようになった。お互いに倒れるジェスチャーをしながら(笑)!クン師範が昨年の夏に来日した時、千葉まで出稽古に来てくれた。案内してくれたのは勿論弟分の塚本支部長である。道場生達と一緒に稽古して、夜は三好副代表から教わった伝統の「鶏の水炊き会」をして朝まで大いに盛り上がった。
 ある時、クン師範といつも交流しているFBで凄い事実が分かった。クン師範にはお嬢さんが二人いた。それも、な、な、何と双子だったのである。ビックリした。そして昨年の夏、道場に来た時に聞いた話。息子さんが、な、な、何と上海に住んでいると。またびっくりした。お嬢さんが双子!息子さんが上海!ここまでも我が家と似ているとは縁を感じずにはいられなかった。
 この夏、緑代表がクン師範を昨年のサマーキャンプの御礼の意味を込めて福岡大会に招待した。弟啓治(師範)とも久しぶりの再会を果たした。二人とも大変に喜んでいた。福岡に来たのは初めてではない。昔、福岡大会に二回出場したことがあるらしい。な、な、何と当時福岡支部師範代を務めていた啓治に誘われ、緑代表と一緒に我が家の実家に行ったこともあるそうである。今回話を聞いてまたまた驚いた。
 
今年の福岡大会には、啓治が単身中国上海に渡り裸一貫で創った中国支部から選手が初めて参加した。20名出場し、6名入賞した。異国の地で、しかもレベルの高い大会に初参戦。堂々たる戦いぶりで見事な成績を収めた。大会以上に道場生達が喜んだこと、それは師である啓治と数年振りの再会を果たした事であった。いまだ病と闘う師との涙!涙の再会だった。北京道場生は新極真会に移籍したばかりである。啓治師範と初めての対面だった。来日も初めて。新極真会の大会を見るのも、出場するのも初めてだった。その大会会場で世界の新極真会の会長である緑代表に言葉を掛けて貰い、最高の想い出となった。中には涙する道場生やご父兄もいた。感動!感動!の福岡大会となった。いつの頃からか福岡(全九州)大会の度に啓治から龍画や武の書をプレゼントされるようになった。左手一本で描いた魂の書画である。大会には支部長の制服姿で来る。今は空手が出来なくても心は支部長なのである。魂は空手師範のままなのである。大会会場に来るようになって益々元気になったような気がする。新極真会の仲間と会うこと、緑代表と会うことが一番の薬になっているような気がする。6月には地元の仲間達の手助けもあり、初めて飛行機に乗り沖縄大会に出席することが出来た。奇跡である。夢のようである。
 
7月カザフスタンで日本代表選手団が7階級制覇の偉業を成し遂げた。8月カラテドリームフェスティバルで千葉の桃太郎達が大活躍した。またその母達も同じ夢の舞台に立ち大暴れした。飛び跳ねた(笑)!我が故郷福岡で師弟の再会があった。師と弟子の涙の初対面もあった。
 今年の夏は感動!感動の連続だった。
感動はまだまだ終わらない。奇跡はこれから始まる。“出会いは奇跡を起こす!”
いつも啓治がお世話になっている地元の後輩白石君から一本のDVDを会場でプレゼントされた。そのタイトルを見て驚いた。
『上海道場責任者就任パーティー 2013年5月18日 行橋 京都ホテル』
それは啓治が中国上海道場責任者の任命を受け、地元のホテルで盛大に行った壮行会を記録したものだった。当時の写真は見たことがあったが、DVDの映像で残っているとはびっくりした。
アスタナとドリームフェスティバルで大勝利に沸いたこの夏。同じ夏、我が故郷で開催された福岡大会に中国支部道場生が初めて出場した。啓治と道場生達が感動の再会(初対面)を果たした、まさにその会場で上海に旅立つ時のDVDを貰ったのである。
2013年は組織が新極真会に名称を刷新した年である。また新極真会になって初めて開催した第8回世界大会の年でもあった。自分が日本選手団のコーチとなった年である。ここから10年以上に渡って連戦連戦の“地獄と天国が紙一重の日々!”が怒涛のように始まって行ったのである。宿命かなあ(笑)?こんな意義深い年に空手の神様から命を授かった道場生がいる。2013年の誕生だから、今年で14歳になる。中学2年生。しかも、偶然にも5月生まれ。何か持ってるかも?新極真会誕生の年、自分が日本選手団に入った年に生まれるなんて何処まで俺の人生に関わるのやら(笑)?陽孝に続いて何としてでも世界の舞台に立って欲しいと願うばかりである。
 DVDを見た。14年前の上海壮行会。次から次へと出てくる想い出の数々。緑代表との出会い!師範代就任。中国へ旅立つ決意。仲間達からの激励。笑いあり!涙あり!の映像だった。あの時は二人とも41歳。若かった(笑)。気合いは世界一の元気な姿と今の啓治の姿が交錯し泣けた。二人して家を出て親孝行も出来なかった日々が悔やまれ泣けた。啓治の旅立ちなど、本心は少しも嬉しくなかったはずである。その心情が分かっていただけに、今の年老いた母の姿が思い出されまた泣けた。千葉に呼んでせめて一度でも自分の空手着姿を見せてあげれば良かったかなと、後悔しきりだった。映像で母の悲しそうな姿を見て涙が止まらなかった。
昨日、弟啓治から1通のメールが来た。
 『上海 12月2日(土)~4日 奥村啓治、三芳浩司 押忍!』
まさしくこの夏、様々の出会いで奇跡を起こった。
 初めての北京遠征直前に届いた14年前のDVD。間違いなく空手の神様からのメッセージである。
 “中国の首都北京で、啓治の魂を伝えよ!!”
そのDVDの内容とは・・・?