Category Archives: 師範ブログ

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4ヶ月遅れの卒業式!

天地人の地!大地の地!そして、空手の空で!地空と書いて”ちから”と読む。凄い名前である。

宮本武蔵が好きな人が見たら、名前の凄さ、尊さ、重みにびっくりするだろう。そして、こう思うに違いない。地空君のお父さんは宮本武蔵のファンなんですか?って・・・宮本武蔵と言えば、生涯六十数度に及ぶ真剣勝負で一度も負けず、晩年その経験を活かして兵法書を世に著した。それが地・水・火・空・風の五つの巻から成る「五輪書」である。

偶然かどうか?その五輪書の五つの巻の二文字“地と空”から成る名前に驚かずにはいられない。

東日本大震災の被害は遠く千葉県にまで及んだ。スポーツクラブルネサンス幕張も例外ではなかった。建物や設備に甚大な被害を受け、営業継続不能となった。3年の歳月を掛けてビルを建て直し、再建を果たした。その新生ルネサンス幕張道場がオープンした時にふたりの可愛い幼稚園児が入門して来た。そのひとりが地空だった。

入門して数カ月はひとりで並ぶことさえ出来なかった。稽古時間のほとんどをお母さんに抱っこされたままだった。基本どころではなかった。少しづつ少しづつ並ぶ時間が増えて行った。いつの頃からか寄って来るようになった。話もするようになってきた。もうひとりの子は可愛らしい一歳年下の女の子だった。女の子は反対に社交的で声も大きく、すぐに幼年チームのリーダーになった。この女の子がいつも地空の事を気にかけてくれた。並ぶ時から帰る時までまるで指導員のように面倒をみてくれた。おまけに師範の面倒まで見てくれようとは(笑)。その女の子の名前は、麗しい愛と書いて麗愛(れいあ)と言った。

 地空と麗愛の物語!

麗愛ちゃんは型が大好きだった。交流試合にも出場し、優勝したこともある。だから昇級も順調に進む。反対に地空は型どころか1時間稽古を出来るまでに1年、2年と掛かった。10級の審査を受けるのに3年半掛かった。忘れもしない初めての審査会!当日も大変だった。受審を勧めたものの型が出来るかどうかなどの心配所ではない。並べるかどうか?道場に入るかどうか?いや当日道場に来るかどうかのレベルだった。そんな状態だったが、それでも稽古を休むことはなかった。

お母さんに何度相談されたか分からない。二度や三度どころではない。

「もう空手をやめさせようかと思います。」

「地空君が空手をやめたいと言ってるんですか?お母さんがやめさせたいんですか?」

「いえ違います。地空は先生のことも空手も大好きです。稽古に行きたくないと言ったことは一度もありません。私も本当はやめさせたくありません。続けさせたいです。地空ひとりのために先生に面倒かけさせて申し訳ないんです。皆さんに迷惑かけて申し訳ないんです。」

「面倒だとか、迷惑だとか、少しも思っていませんよ。子供達もお母さん方もそんなこと誰も思っていませんよ。空手が嫌いになったんだったら引き止めません。でも空手が好きなのなら続けて下さい。最初から強かったら空手なんかしなくてもいいんです。弱いからやるんです。最初から強い人も、最初から出来る人もいませんから。」

「鉄棒の逆上がりを1回で出来る人もいます。10回で出来る人もいます。100回やっても出来ない人もいます。200回でも300回でも出来るようになるまで(挑戦)するのが空手(道)ですから。他人と比べる必要はありませんから。他人は全く関係ありません。」

「お母さんが諦めたら駄目ですよ。大丈夫ですよ!」

週1回だけのスポーツクラブ、1時間稽古で自主トレもない。道場のような行事もない。大会を目指している訳ではない。大会の存在すら知らない人もいる。家の近くにスポーツクラブがあったから。そのスポーツクラブに空手教室があったから。でも何かしら思いがあって門を叩いたはずである。そこには子の成長を願う父や母の想いがある。空手道のもうひとつの原点が其処には在る。

3年生になって上のクラスになってからはひとりで稽古に来るようになった。入門3年半で10級になったものの、その後は1回しか審査を受けなかった。成長したとはいえ、色々な意味での地空との戦いは続いた。麗愛ちゃんだけではない。多くの仲間が支えてくれた。南ちゃん、どうしてるかなあ?ウサギさん達は元気かなあ?5歳で入門して、いつやめてもおかしくないような子が最後まで空手を続けた。その努力を讃え、ご両親に労いの言葉を掛けてやる・・・はずだった。3月の最終日、自分にとっても今年はかつてない感慨深い卒業式になる・・・はずだった。世界中を襲ったコロナ禍騒動。緊急事態宣言まで発令された。3月から5月までルネサンスも休講となってしまった。

地空の卒業式は幻となってしまった。

8年で8級青帯。なんの実績もない。でもこの8年間全うした努力がこれからの人生の大きな財産となるに違いない。これから先苦難や試練が目の前に立ちはだかった時、立ち向かう勇気を奮い立たせくれるに違いない。自分はそう信じている。そういう思いでいつも指導して来たつもりである。

6年生の進級時に茶帯になるのを楽しみにしていた麗愛ちゃんの審査も流れてしまった。色帯になることを目標に1年間頑張ってきた地空と麗愛ちゃんの後輩達も6月再開後は元気に戻って来てくれた。

19歳で上京し、税大の短期研修所を出て最初に赴任した署が幕張にあった。まだ埋め立てが途中で今のような幕張大都心に発展するなんて想像もつかなかった。50CCバイクか自転車で幕張近辺や遠くは管内の習志野や八千代まで出張したものである。とりわけ勤務先の署のあったJR幕張駅は寮のあった西千葉駅同様に自分の心の故郷となった。ここでお酒が強くなった。空手は中間の稲毛駅!数十年後、この縁ある幕張の地で空手をする日が来ようとは夢のようである。

20年後の幕張駅の某焼き鳥店。逞しく成長した青年と綺麗な女性のふたりがなつかしそうに楽しいお酒を飲み交わしている。夫婦ではない。恋人同士でもなさそうである。

「麗愛先輩、あの時空手やめなくて本当に良かった。子供の頃、空手続けれたから大学まで行けたし、仕事していて辛い事あっても頑張れるんだ。」

「そうだね。私もよ。空手があったから今があるのよ。実はね、来年子供が5歳になるからルネサンスで空手教室入れようと思って。」

「凄いね。空手のお陰だね。師範は面白くて優しかったね。鬼ごっこ楽しかったね。」

「お正月に師範とナゾナゾするの楽しかったね。師範がいたらルネサンスに親子クラス作ってもらうのにね。」

「師範、お酒も強かったみたいよ。梅干し入れた酎ハイが好きだって瑠偉先輩に訊いたことがあったわ。」

「それ、385(みやこ)酎ハイって言うんだよ!師範が福岡の京都(みやこ)郡みやこ町出身だからだって。」

「地空、よく知ってるね!凄いね。」

「当たり前だよ。僕は奥村師範の息子だから!」

「師範と385酎ハイに乾杯!!」

生まれて初めてホッピー飲んだ時は感動した。世の中にこんな美味しいものがあるなんて・・・子供と大人の違いを知った。大人はいいなあと思った(笑)。それが幕張だった。

コロナ禍で全ての歯車が狂った。でも変わらない絆を知った。空手に対する変わらない思いも幾つも知った。今週末、九十九里海岸で夏合宿の予定だったが中止した。断った時の女将さんの寂しそうな声が辛かった。残念でたまらない。だから、その予定が空いた19日に特別昇級審査会を行うこととした。空手が大好きなルネサンス幕張道場生達のために。そして審査会後、4ヶ月遅れの卒業式をすることとした。

手作りではあるが、8年間空手道を全うしたという証をどうしても渡してやりたかった。郵送ではなく、直接。中学生になった姿も見たかった。一番卒業を待ち望み成長を喜んでいるご両親にお祝いと労いの言葉を掛けてやりたいと心から思った。仲間に支えられて卒業したこのルネサンス幕張道場の終了証書がこれからの人生の歩みの中で大きな武器となってくれると信じている。決して鞘から抜くことはないけれど、磨きあげた刀となって人生の守り刀となると信じている。

終了証書の裏にはこう記した。

“空手道で鍛えた身体と培った精神でどんな荒波をも乗り越えて欲しい。お父さんとお母さんを大切にしてこれからも強く逞しく人生を歩んで欲しい。”

そして

“世界へ翔たけ!”

1年で茶帯になって2年半で全日本出た生意気な若造と10級取るのに3年半掛かって8年間全うして少年部を元気一杯に卒業して行った少年と、どちらが凄いと思いますか?答えは聞くまでもないですね。

地空、卒業おめでとう!中学入学おめでとう!!

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新極真会誕生秘話!

2月の埼玉県大会以来だから、何もかも半年振りとなった。クールビズでスーツこそ着ないがYシャツ着ることも。バスと電車に乗ることも。千葉から出ることも・・・今日は総本部で関東地区の支部長会議が開催された。半年振りの組織行事。半年振りに組織の仲間に会った。緊急事態宣言が解除で道場稽古も再開となり皆で集まりましょうということになり、会議と言うより懇親会の形で実現した。3月以降は組織行事は何もない。日本代表強化合宿中止。中国遠征中止。WFKO世界大会は1年延期。1時間程度だったが、やっぱり志を同じくする仲間に会えることはいいものだとつくづく感じた。

思えば組織も自分も波瀾万丈の道のりだった。悲しいかな大山総裁が亡くなり、後継者問題で組織は大分裂してしまった。中でも一番の問題は商標争いだった。大山総裁が創り、今のフルコンタクト空手界の大隆盛の祖ともなって世界中に広がった“極真会館!の商標。とりわけ空手で生きる支部長達にとっては死活問題だった。幾つもの組織に大分裂し、どの組織に属するかで商標の使用可否が決まった。当時はホームページなどない時代である。生命線とも言える宣伝広告、中でもNTTタウンページに掲載出来るかどうか?そういう所にまで影響し、支部長方の進む道が大きく分かれた時代だった。

空手道着の(胸の)名前が使えるかどうか?空手家にとって命に係わる問題だった。

大山総裁が亡くなられた時、自分は一介の道場生だった。第7回世界大会の時は、組織にも属していなかった。しかし、大山総裁を思う気持ちも極真空手を想う気持ちは支部長師範方と何ら変わらなかった。日本が大分裂したという事は、それに伴い世界も大分裂してしまった。後継者問題の遺言と商標問題は最高裁まで争われた。当時の最終見解は、大山総裁に生前支部長に認可された師範方だけが極真会館の商標を使用出来ることになった。(判決ではない。)

或る者は、極真会館の商標が使える。そのためにだけで組織を離れた。或る者は、独立しひとりで極真会館を名乗った。また或る者は、組織の代表者問題で組織を離れて行った。空手の世界、ただでさえも先輩後輩の上下関係が厳しい世界である。人間関係も一因として大きかった。空手道に対する考え方も。理由は何であれ、新極真会がまだ支部長協議会派とマスコミに呼ばれていた前身の組織も分裂して行った。

最後の分かれ道・・・・

我々の組織は商標よりも人を取った。極真会館を使えなくても今いる仲間を大事にした。極真会館の名前よりも人を取った。絆を取り、新しい道を歩むことを選んだ。まだサラリーマンをしていたが組織に復帰した。緊急支部長会議の連続だった。会社にばれないように会議に出席するのが大変だった。

三好副代表がこう言われた事を今でもはっきりと覚えている。

『もう争う時代じゃないよ。たとえ極真会館が使えなくても、緑代表を中心に今いる仲間で新しい組織を作ろうよ。』

緑代表が言われた。

『大山総裁の遺志を新しい組織で引き継いで行きましょう。そのためにも来たる第八回世界大会は何としてでも日本が王座を守り成功させましょう!』

マスコミや極真他派から噂では泥船とさえ言われた。しかし、多くの仲間と支えてくれる理解者の皆さんの力で新しい組織は誕生した。

緑代表と長渕 剛さんの友情で「新極真会の歌」が生まれた。道着を始めとする新しい組織名の揮毫は書家の柿沼康二先生に託された。選手団の強化合宿には生涯の盟友藤川さんが駆け付けてくれた。

7月11日、多くの苦難と試練を乗り越えて新極真会は誕生した。

7月11日、当時の支部長責任者と日本代表選手が集まり第8回世界大会の記者会見が行われ、同時に新しい組織名が発表された。自分自身もあの当時は激動の時代だった。極真空手を止めた時期もあった。責任者で復帰したが、1年も経たない内に人生最大の試練が待ち受けていた。まだ公務員だった。ある時上層部に呼び出され、空手を取るか仕事を取るか!迫られた。人生最大の岐路だった。何日もかみさまと泣きながら相談した。子供も小さかった。何日も何日も悩んだ。しかし、心の奥底では肚は決まっていた。最後はかみさまも許してくれた(涙)。

予定よりも20年も早く退職辞令の交付を受けた。(定期異動の日は、)7月10日だった。

そういう時に天命を与えられた。三好副代表の下で選手強化副委員長に任命された。日本代表選手団のコーチに任命された。緑代表にひと事ぽつりと言われた。

“奥村さん、押忍!ですよ。”

長渕さんの新極真会の歌無くして、柿沼先生の新極真会の魂の揮毫無くして、藤川さんの日本選手団への貢献無くして、第8回世界大会の日本の優勝はなかった。そして第8回世界大会での優勝なくして・・・今日に至る組織の大発展はなかったのである。

7月11日は、組織「新極真会」の誕生日である。

“心極める!”を組織理念に最強の武道空手を求め、新たなる旅立ちをした日である。

極真魂2003.8月号「新極真会の歌」

極真魂2003.8月号「新極真会(ロゴ)誕生秘話」

 

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強い男こそ価値がある魅力がある

大山総裁曰く

「皆さんがいまやらなければならないことは、強くなることだけだ。強くなるために道場に来ているんだから。何に強くなるか?・・・」

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