Category Archives: 師範ブログ

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Another Story 太極其のⅠ

高校野球で一時代を築いたPL学園の桑田・清原選手のKKコンビの特集を見て感激した。栄光の陰で地の滲むような弛まない努力と怒涛の戦いがあった。支えてくれる仲間がいた。一緒に苦楽を共にする盟友がいた。そして、栄光への道のりの過程でその後の野球人生を左右するような分岐点が何度かあった。敗北であったり、人との出会いであったり。実は、KKコンビもさることながら番組のタイトル名に目が留まり見る気になった。

『アナザーストリーズ 運命の分岐点』

もう一つの物語。サブタイトルのように、その栄光の陰で知られていない“運命の分岐点!”がそこにはあった。

今年は決戦の年である。

9月にはアジアで初めてのラグビーワールドカップが東京で開催される。11月の決戦の地と同じ場所「武蔵野の森総合プラザ」で。新極真会に新しい聖地が出来る。新しい戦いの聖地である武蔵野の森から、ラグビーに続いて新極真空手の真髄があらためて世界に発信される時が来た。

暮れに最愛の友との悲しい別れがあった。友が千葉勝浦の国際武道大学でサッカー部監督を務めた時、講演とセミナーを頼まれた。これから世界に翔たかむとする愛弟子達に極真魂を伝えて欲しいと頼まれたのだった。

「これからの長い人生、必ず進むべき道で悩む時があります。その人生の岐路に立った時に忘れないで欲しいことがあります。人生は一度きりです。やらない後悔よりも挑戦して下さい。悔いのない人生を送って下さい!」

人生50年、青春の全てを懸けて空手に打ち込んだ。だからこそ世界大会に出場出来た。大山総裁や緑代表との出会い。公務員をやめて道場を開いた。組織から使命を与えられ、仲間と世界の舞台で戦っている。空手があったからこそ今がある。魂で藤川門下生に訴えた。

“人生は一度きり。男なら勝負。悔いのない人生を!”

自分にも何度かその後の人生を左右するような分岐点があったから、あのタイトルに目が引いたのである。

今年、道場開設20年の佳節を迎える。第7回世界大会の時は組織を離れ、公民館で仲間と同好会みたいな形で空手をしていた。第7回大会は心寂しい観戦だった。不思議なものである。一度は空手をやめたことが自分の人生の分岐点となった(笑)。兄弟で子供の頃からの夢だった極真空手。世界大会にも出場しながらも、どんな理由であれ空手をやめた。しかし、空手の神様が救ってくれた。

人生57年で初めて年賀状を1枚も書かなかった(内緒)。年末に黄泉の世界を彷徨った。レインボーマンのようにヨガの眠りに入ってしまった。レインボーマンは6時間。自分は記録を塗り替えた。三日三晩!正直危なかった(秘)。

自分の周りで今一番幸せな男は誰?と訊かれたら。間違いなくこう答える。

「今、世界で一番幸せな男は初代桃太郎です!」

初代桃太郎の少年とは、空手をやめても関係は続いた。いや!やめてから始まった。三十年間年賀状が届いた。手紙のやり取りが続いた。昨年は人生最高の伴侶を得て、二人で新たな人生を歩み出した。今年のお正月は新しい家族揃って迎えたに違いない。

自分が20年前、近所の小さな公民館で空手を再開した時に、偶然にも初代桃太郎も小さなアパートの6畳一間から会社をひとり立ち上げていた。披露宴の映像で、一人目の社員の給料を払うために深夜の建設現場でアルバイトをする姿を見た時は感動のあまり思わず涙が出た。

初代桃太郎は逞しく成長し、大青年実業家となって世界を駆け巡る。今年7月、初代桃太郎が創った会社ダイチは創立20周年を迎える。

太極(たいきょく)とは、物事の始まりと言う意味である。古代中国の思想で、万物の根源。起源。原点。という意味である。

空手を始めて最初に習う型が『太極其のⅠ』である。理に適っている。

物事を知るには、始まりが大事である。その始まりを知る事が大事である。人も組織も。だから自分は強化合宿で日本代表選手団の歴史を語る。大山総裁の言葉を語るのである。ユースジャパンもまた然りである。その始まりを知らずして戦えない。偉大な歴史を築いた先輩方の戦いの歴史を知らずして伝統継承は有り得ない。

 人は歴史の上に立っているから!

 

Another Story太極其のⅠ

三十数年前に肩車をして遊んだ初代桃太郎と、奇しくも運命の分岐点が同じ年だった。

大智、ダイチグループ創立20周年おめでとう!益々の活躍と会社の発展をいつも祈ってます。真理子さんといつまでもお幸せに!

明日のために其のⅠ・・・打つべし!打つべし!

ひたすら進むべし!

 

 

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新極真会のKKコンビ!

土曜日の一般部稽古の指導が終わり事務所に戻ると、山崎(分支部長)が懐かしい雑誌のコピーを持って来た。これは10年前に師範から頂いたものです。聞けば、2008年11月に道場1階で整体院を始め、新極真会に入門したのが12月。その時にその記事のコピーを入門記念に貰ったらしい。“師範の所に来て10年になりました。”と御礼方々、入門の時に自分から貰った空手ライフの記事を懐かしそうに見せてくれたのである。自分は全く覚えていなかった(内緒)。山崎のことは、それ以前から知っていたからである。自分が極真時代の後輩だったから。10年なんて気にも留めていなかったというのが本音である。

第40回全日本大会特集号の空手LIFE2008年12月号の記事だった。まだB5版だった。昨年陽孝が第50回大会で4位になった。丁度10年である。山田一仁選手が中量級の選手として初めて優勝した。その号の中で特集された『きょうだいで歩む空手道!』の記事だった。ユース1期生の島本兄弟がロシア・ワールドカップで兄弟出場を果たし俄然注目を浴び、兄弟で活躍する道場生の特集が組まれたのである。全日本大会の会場だろうか。新極真会の垂れ幕の前で審判シャツを着て啓治とふたり仲良く肩を組んでいる写真。見出しは二人で一人!”。他には兼光のぞみと秀治の姉弟。木元道場の茂木智之と浩之の兄弟、そして、今や時の人となった愛知山本道場の加藤3兄姉妹が特集された。

 

件の特集号である。

・・・新極真会きっての名コンビ、奥村幸一師範と啓治師範は双子の兄弟。・・・

「僕達は二人で一人ですから。生まれた時も手をつないで出てきたもんな」(幸一)。

「差がつくとケンカをするかもしれない。それはいけないんで、おなかの中で相談して一緒に出て来たんです」(啓治)

見出しが続く。闘魂神社。一緒に戦いたい。後悔と再起。組織のために。

読めば読むほど書かれた全ての記事の内容がはっきりと思い出される。真実は小説より奇なり!ともいう。自分の事だから当たり前と言えば当たり前である。実家近くの闘魂神社で空手の真似事をしながら“いつの日か兄弟でと入門を夢見た日々!”。兄弟で夢の全日本の舞台に立つことが出来た。啓治は第17回全日本大会を最後に空手をやめてしまった。緑代表が福岡県の支部長になって復帰することが出来た。暗黒街で彷徨っている所を緑代表に救われた。全てはっきりと思い出す。中でも一番目に留まったのが「組織のために!」だった。特集の記事はこう結ばれていた。

『・・・子供の頃から、二人で一人。そんな両師範が連絡を取り合う時、必ず言うことがあるという。

  “組織のために頑張ろうな!”

 二人で空手を続けられるのは、緑代表をはじめとした新極真会の組織があってこそ。これからの目標は、自分達を育ててくれた新極真会に恩返しをすることだ。・・・』

山崎の入門10年の御礼もさることながら、奇しくも前日の金曜日にユーチューブで高校野球界のみならずプロの世界でも数々の金字塔を打ち立てた桑田・清原のKKコンビの特集を偶然にも見たばかりだったからである。高校野球界では間違いなく史上最強と謳われたPL高校時代の、KKコンビの燦然と輝く栄光の特集だった。年で言えば自分の方が二つか三つ上である。上京して極真空手をしていたが、PL高校の二人の大活躍は脳裏にはっきりと焼き付いている。

「アナザーストリーズ(運命の分岐点)」題名の通り、当時実力日本一だった天下の池田高校を1年生のKKコンビ擁するPL高校が倒したことが、その後の二人の野球生活の運命の分岐点となったのである。

競争率から言えば、高校野球の日本一は空手の比ではあるまい。何十倍、何百倍の差があろう。その栄光の陰で二人が成した努力は半端ではなかった。空手と野球。道は違えど共通することが多く、30年近くの時を越えて、年も近い二人の特集にしばしのめり込んでしまった。1年生ながらに二人揃って名門PLのレギュラーに抜擢された。先輩達から受ける嫉妬と妨害の嵐。それでも二人の甲子園で奮闘する姿に先輩達も最後には二人を認めるようになった。PLの快進撃が自然とそうさせた。単純である。野球は実力の世界であるから。初出場で優勝する原動力となった二人の力を先輩達が認め、勝利のために小さなプライドや汚い嫉妬を捨てチームワークに徹したのである。二人の力なくして優勝はなかった。

  勝負の世界。それは実力の世界であるから!

ケンカ空手と呼ばれた時代。白帯は希望しない限り組手をさせて貰えなかった。サポーターなど見たこともなかった(笑)。白帯色帯の頃、道場で茶帯黒帯の先輩にこちらから口を利いたことなどなかった。道場に黒帯の先輩がいるだけで黙って不動立ちをしていた。ましてや師範がいようものなら・・・。今は優しい師範だから天国である(秘)。 名門PL高校の野球部の全寮生活。先輩後輩の関係。付き人制度があるような有名強豪校。三桁の部員数からレギュラーを勝ち取らなければならない。試練は想像を絶する。自分の時代も凄かったので全てが重なった。師範の前の組手はもう決闘に近かった。先輩達を追い抜き、最後は蹴落とそうとする先輩達をも応援者にした二人は凄いと思った。素質があろうが強かろうが、やめたら終わりである。全日本大会に出たかったら、先輩に勝つしかなかった。

日本一になったが故のプレッシャーや苦悩。それらを乗り越えて掴んだ栄光。久しぶりに感動するTVを見た。自分がKKコンビの特集で最も感動したのは、桑田選手の最後の最後のコメントだった。盟友清原選手に宛てたメッセージだった。

『自分とキヨ(清原)二人は特別なんです。野球から他人(ひと)よりもたくさん幸せを貰いました。だから他人よりも特に野球界に恩返しをしなくてはいけないと思います。自分は自分のやり方で恩返しをしています。色々な方法があります。だからキヨにも彼のやり方でいつか野球界に恩返しをして欲しいと思います。』

自分が10年前に雑誌のインタビューで応えた事と全く一緒だった。自分の今の原動力の源も其処にある。大山総裁との出会い。世界大会出場。道場の仲間との出会い。師範への恩。啓治も自分も一度は空手をやめた。緑代表と組織のお陰で復帰し今がある。全ては組織あってこその事である。空手がなかったら今の自分はない。全ては空手である。

組織に“使命!”を授かったのである。

“報恩感謝!”の思いが自分の闘争心を駆り立てるのである。

敢えて言う。選手達よ 勝って恩返しをせよ。

感謝の心で、恩に報いよ!

日本代表選手団に課せられた使命は永遠に日本が王座を死守することである。組織の大発展の源、それは空手母国として強い日本のリーダーシップがあってこその成せる事でもある。

“山ちゃん、新極真会入門10周年おめでとう!整体20周年おめでとう!これからも一緒に組織のために頑張ろう!”

今度、応接ミラマーレで二人でお祝いだな(笑)。

 

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啓ちゃん鍋

日曜日、友のお別れ会に行って来た。場所は東京随一の「青山葬儀所」。南青山2丁目。近いのでお別れ会の後はいつものメンバーでいつもの場所でお清めをするだろうと覚悟していた。その店は南青山3丁目だったので、その通りになった(笑)。場所は勿論、新極真会の夜の聖地鹿児島地鶏の名店「きばいやんせ」である。

2丁目から3丁目の移動。某師範がスマホに向かってひと言。

“鹿児島地鶏の「きばいやんせ」”

凄い時代である。これでスマホに地図が出る。800mだから歩いて行こう。南青山の高層ビル群の谷間。直線距離とは違う。随分歩いても店に辿り着かない。途中で諦めて,

結局タクシーに乗った。開店前だったが、大将が快く入れてくれた。メンバーも同じ。頼む料理も同じ。座る場所(椅子)まで同じ。強化合宿と全く同じである。部屋も同じ。座る場所も、寝る場所(位置)まで同じ。いつものメンバーで行って友の事を偲びながら来たる決戦への勝利を誓った。

久しぶりの「きばいやんせ」で、新メニューのもつ鍋を食べたら最高だった。鶏の水炊きともつ鍋も実は福岡有数の郷土料理である。実家の隣がお寺だった。闘魂神社は歩いて数分。公園など田舎にはなかったから、子供の頃はお寺と神社が遊び場だった。お寺の境内でコマ回しや野球をした。墓場でかくれんぼをした。神社は隠れ道場、高校時代は決闘の場所だった。神社の名前も何の神様を祭っているのか当時も今も知らない。啓治が勝手に名付けた。

喧嘩の神様を祭っている「闘魂神社!」じゃあ!

お寺の境内で近所の人がよく軍鶏の喧嘩させていた。負けた方の軍鶏はその場で水炊きの材料になった(笑)。今、自分が作っている水炊きとは全く違う。日曜日にきばいやんせでもつ鍋を食べながら啓治の事を思い出していた。啓治が元気な頃は、帰省して人が集まる時は必ずもつ鍋をして振る舞った。超特大の圧力鍋に数十人分のもつ鍋を啓治が朝から仕込んで、座敷にビニールシートを敷いて朝まで大宴会をしたものである。人は啓治が作る特製のもつ鍋のことを“啓ちゃん鍋”と呼んでいた。啓治の作るもつ鍋が大好きだった。

冷蔵庫開けたら、冬合宿の残りのレモンだらけ。迷わず344酎ハイを作った。344ハイ飲んでたら鶏の水炊きが無性に食べたくなって・・・直ぐに実行。もう病気かもしれない。鶏インフルエンザかも(笑)!O型だな。

ヴェルディ作曲の大好きな椿姫を聞きながら、造花ではあるがこれまた大好きな椿の花を見ながら飲む344ハイは格別だ。

今度、浮気して啓ちゃん鍋に挑戦してみようかな(内緒)。

偲ぶ夜 沈む心に 花一輪

   真冬に咲く花 椿かな (椿 太郎)

ひとり水炊きの写真UPしてブログ書いてたら、田舎の後輩で啓治の一番弟子の白石君から凄い写真が届きました。

啓ちゃん鍋、ビールかけ、懐かしいですね。
藤川さんが、緑代表と店に来て下さった時も、もつ鍋を食べて頂きました。
藤川さんの笑顔が忘れられません。
藤川さん、ありがとうございました。
押忍

 

もう言葉になりません(涙)!卓巳君、ありがとう。