Category Archives: 師範ブログ

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桃太郎クラス10周年!

常設道場を出して数年後、少年部の選手クラスを作った。当時は東京城南川崎支部の主催で等々力アリーナで全日本ジュニア大会が行われていた。この全国大会に出場する選手を育てるために組手中心のクラスを水曜日に作った。稽古時間は倍の2時間。組織が新極真会になって全日本ジュニアが全日本シニアと合同開催、これに型競技が加わりドリームフェスティバルとして大発展した。今年の大会は2600人が出場する最大規模となった。

大した事ではなかったが、ある事件がきっかけで選手クラスをやめることにした。全然大した事ではない。稽古後の掃除時間に喧嘩が始まった。掃除もろくにしないで。長く指導しているとデータではないが大体分かってくることがある。稽古頑張らない人は掃除もちゃんとしない。組手で強い人に向かっていけない人に限って、弱い後輩には強い。昔現役の頃、こういう人が多かった(内緒)。

大した事ではないことが出来ない人は、大した事でないことで負ける。

当時、選手クラスは10人くらいいただろうか?全員が悪い事をした訳ではない。しかし、こういう時は連帯責任である。教わる資格がない!と、選手クラスをやめた。心から反省し心から師範に教わりたい人だけ来週から来るように言い渡した。

“一番弱い白帯になって また一から頑張る人だけ来なさい!”と。

何も分からず謙虚で純粋だった白帯時代を思い出して欲しいと思った。残念ながら全員戻って来なかった。白帯から再出発するにあたって『桃太郎クラス!』と名付けた。昔話に出てくる鬼が島に鬼退治に行ったあの桃太郎さんである。

桃太郎のように強くて優しい人、人から頼りにされる人になって貰いたいとの思いで命名した。

強いだけではなく、先輩から可愛がられ後輩からも慕われる。道場生の模範になる。いわゆる皆の先頭に立つリーダーになって貰いたかった。白帯や幼年部にも道場訓を言わせたり、前で準備運動の号令をかけさせるのはその為でもある。

今日の桃太郎クラスの時、桃太郎クラスを作った目的を訊ねたが誰も答えられなかった。桃太郎クラス卒業生の紫穏も翔太も言えなかった(悲)。欣大はさすがに言えた。将斗に今度訊ねてみよう。

ちなみに桃太郎クラスに入るための条件がある?たった一つだけ!道場訓の暗唱。たったこれだけである(笑)。

1.全日本(全国大会)に通用する選手の育成強化

2.少年部の模範となる道場生の育成

全国の支部道場で大会を目指す選手クラスのない道場はないのではなかろうか。ドリームは日本一を目指して全国から選手が集まる日本一の大会である。確かに厳しいが、出るだけなら簡単である。出るだけならそんなに難しいことではない。それは一般部も同じである。敢えて言えば世界大会も同じである。勝ってこその選手強化稽古である。勝たずして栄光はない。勝たずして次のステップへは進めない。

出るだけなら簡単とは?大会の結果だけではない。出場出来なくても裏方で舞台を支えてくれる人の存在を忘れてはいけない。自分が負けても最後まで仲間の応援が出来るか。会場で師範や応援の人に挨拶が出来るか!大会会場は普段の道場の修行の全てが試される実戦の場なのである。自分が出る事だけや勝つ事だけを考えていないか。そういう人は大きな舞台では勝てない。日本選手団にはいらない。

組織でさえ理屈は同じである。将来の世界大会日本代表選手を育成するためにユースジャパンを創った。U-15、U-19も創った。U-22は日本代表に最も近い存在である。全日本フルコンタクト大会が始まった年に創った。

勝つために創った。

これら全ての根底にあるのが、ある意味ドリームフェスティバルかもしれない。遠い道のりではあるが、ドリームは世界(大会)への道に間違いなく続いている。

今持てる新極真会の総力を持ってしても大阪で全階級制覇は出来なかった。世界チャンピオンが1年も経たない内に4人も負けた。勝負の世界は本当に厳しいものである。しかし、富士の麓で鍛えしユースジャパンやU-22戦士達の奮闘に一筋の光明を見た。これも事実である。

自覚せよ!桃太郎達よ ドリームで終わりではない。

ドリームの翌7月にはオーストラリア大会がある。9月にはシンガポールでアジア大会がある。もう次の山を登り始めている人がいることを知っているだろうか?少年部時代から世界を目指してきた選手達が世界の舞台へと翔たく時が来た。しかし、これも通過点に過ぎない。彼らが目指すのは世界大会である。でも6人全員パスポートさえ持ってなかった(笑)。

桃太郎達よ 後に続け!全国の仲間達と切磋琢磨せよ!そして世界を目指せ!

来年はいよいよ第12回世界大会である。今年の全日本大会はその代表選手選抜戦として行われる。来年5月大阪の大会が最終選抜戦となる。

6月6日水曜日、桃太郎クラスの日。

日本代表選手がまだ決まっていないが、選手団の強化合宿の日程が今日決まったことを誰も知らない(秘)。

決戦の日まであと17日!

 

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昨日の敵は今日の友!

大阪で開催された第1回フルコンタクト大会。4年前に始まった日本のフルコンタクト空手界300以上の流派・団体が大同団結して空手日本一の覇を争う大会、今年は外国人強豪選手が多数参加し初の国際大会となった。2020年には、同じ大阪で全世界フルコンタクト選手権大会が開催される予定である。今年の大会はあくまでもその前哨戦に過ぎない。

全日本大会初出場の翔太はその洗礼をもろに受けた。国際大会が故に、初戦でロシアナショナルチームの強豪選手と対戦した。初めての一本負けを喫した。しかし、今までのどんな大会、道場稽古でも味わった事のない貴重な経験をした。これを生かすも殺すも翔太自身である。

その大阪の大会で感動の出来事があった。大会初日、会場である人と二十数年振りの再会を果たしたのである。

大会初日、審判控え席でくつろいでいる時の事である。180㎝近くあるスキンヘッドの大男が自分の所へ突然やって来た。年格好は自分より少し上位であろうか?でも若々しさと風格を感じた。同じ全日本フルコンタクト連盟のブレザーを着ていた。

“奥村さん、お久しぶりー!”

正直、最初は誰だか全く分からなかった。暫く経って・・・やっと分かった。

“押忍!水口さんですか?”

髪の毛が無かったので分からなかった(秘)。固い握手を交わし、久しぶりの再会を喜び合い、暫く空手談義に花を咲かせた。大山総裁が亡くなって組織が大分裂し別々の道を歩んだ。少なくとも23年以上の久しぶりの再会だった。

極真会館水口道場の水口敏夫師範。自分より2歳か3歳上。この人もまた白石先輩と同じように、現役時代の自分に多大な影響を与えた選手のひとりだった。初めて出場した第15回全日本大会。子供の頃から夢にまで見た極真の全日本。その4回戦で対戦したのが水口師範だった。

21歳 1級 2年4ヵ月 172㎝ 85㎏ 福岡

23歳 二段 6年 177㎝ 77㎏ 島根

二日目のBEST32に残り、試割りも初めて経験した。オール3枚で12枚割った。無我夢中で戦った。無我夢中!その言葉がぴったりの大会だった。その年の千葉の支部内の全日本選抜戦で準優勝し、念願の全日本大会の切符を手にした。全日本大会は、実は3回目の大会経験だった。千葉の大会は道場で行っていた。1回目は緑帯の時出場した。2回戦で負けた。初出場の全日本大会で、初めて広い体育館で戦った。だから無我夢中だった(笑)。その15回大会は第3回世界大会の日本代表選手の選抜戦でもあった。その大会でまさかの4回戦まで行ったので師範も、道場の先輩も驚いた。本人が一番びっくりした。勝ってたら21歳で世界大会日本代表だった。延長戦で中断逆突きで一本負けした。今も鮮明に覚ええている。腹は効いていなかった。気持ちで負けた。膝を付いて技あり!となった。立てなかった。水口師範は前年の大会で準優勝した選手だった。前回の世界チャンピオンを破り快進撃を続ける南米ブラジルのアデミール・コスタ選手に勝ち、続いて後年には第4回世界チャンピオンになる選手を破っての準優勝だった。だから延長戦に入った時、ここまで戦ったからもういいやという気持ちがあった。情けなかった。世界大会が弱い自分を奮い立たせた。全日本の対戦相手が日の丸を背負い闘ってる姿を見て、極真魂に火が着いた。

19歳青帯の時に初めて全日本大会を会場で見た。いつの日か必ずあの全日本の舞台に立ちたいと思った。誓った!そして2年後、21歳茶帯の時全日本の舞台に立った。偶然にも世界大会の選抜戦だった。4回戦で負けたが、“本気で稽古したら自分でもチャンスはあるんじゃないか!”と思った。全日本を初めて見た青帯の時のように、翌年2月に日本武道館で開催された世界大会を見て、本気で自分も世界大会に出たいと思った。

世界大会が終わり大会会場で水口師範と会った時、開口一番こう言われた。

“燃えた~?”

空手母国の威信に掛けて戦う日本選手団の姿を見て、奥村さん燃えたかい?と。それから何人かの代表選手の先輩方と握手を交わし記念写真を撮った。そして水口師範にこう言われた。

“次は奥村さん達の番だよ。頼むねー!”

その世界大会の年、筋金色の黒帯を締めることを許された。その年の4月、道場で行っていた大会が、千葉県総合運動内にある千葉県武道館で千葉県大会として初めて大々的に開催された。黒帯にもなり、全日本選手として戦う初めての大会となった。優勝した。緑帯の時から日曜日の選手特別稽古で一度も勝てなかった分支部の先輩に初めて勝つことが出来た。

全日本の舞台と大きな経験が、自分を変えてくれた。たった一度上がった全日本の大舞台、初めて見た世界大会、このふたつが魂の髄の髄まで響き渡った。世界大会に本気で出たいとの思いが・・・

大きな目標が自分を変えた。壁を越えられた。

黒帯となり、二回目の挑戦となった、第16回全日本大会。運命のいたずらか?またもや3回戦で水口師範と当たった(笑)。最終延長戦まで行ったが決着が着かず、試割りの枚数で負けた。自分は12枚だった。これが悪夢の始まりだった。師範が怒った(笑)。二年連続で同じ選手に負けたこと。自分より体重の軽い人に負けたことに激怒した。試割り強化のため、千葉県大会で試割りをすることになった。自分が原因だった(内緒)。千葉県大会で二連覇を達成した。試割りで右手拳の甲の骨折した。次の年から千葉県大会で試割りはなくなった。自分が原因だった(内緒)。

第16回全日本大会で弟啓治(師範)と念願の兄弟W出場を果たした。啓治は茶帯で4回戦まで進み「新人賞!」を受賞した。“奥村兄弟!”が全国区デビューした。水口師範はその大会で引退し、当時では最年少の支部長になった。

自分が大会で拳を骨折した時、少年部指導員時代に教えていた少年部のお母さんからお見舞いの手紙と兜の折り紙を頂いた。その少年こそ、広島に引っ越してからもずっと年賀状などのやり取りが続いた初代桃太郎の大智少年だったのである。

試練はまだまだ続いた。3回目の出場となった第17回全日本大会。初出場した年の準優勝の日本代表でも選手と2回戦で対戦し、勝った。次の日の試割りでまた骨折した。またもや4回戦で負けた。思い起こせば世界大会も4回戦で負けた。

4回戦は鬼門となった。

悲しいかな大山総裁が亡くなり組織は幾つもの派閥に分裂した。今あるフルコンタクト空手の流派・道場の源流は大山総裁が創った極真空手である。その大山総裁でさえ成し得なかった空手界の大同団結、4年前全日本フルコンタクト連盟が結成された。この組織がなかったら水口師範との再会はなかった。2度も負けはしたが、ライバルがいたからこそ自分も世界の舞台に立つことが出来た。今振り返れば、一時代人生を掛けて世界大会を目指したように思う。大阪の国際大会で女子軽量級の5連覇を阻んだ新チャンピオンが勝因を尋ねられてこう答えていた。

“執念です!”

自分も同じだった。31年前の大阪決戦、最後の最後で世界大会日本代表の座を掴むことが出来た。

『・・・昨年の18回全日本にあたって、奥村はそれまでの大会とは違う意気込みを持って臨んだ。かつてない「執念」と「野望」に燃えていた。ベスト8入賞という執念と世界大会出場という野望である。その執念は実を結び6位入賞、曲折はあったにしても世界大会代表の野望も実現した。・・・』

夢などという綺麗いごとの言葉ではない。“身のほど知らず!”という言葉があるが、田舎から出て来た19歳の青年は、しかも青帯が、初めて見る全日本大会の時あの舞台に立ちたいと思った。全日本の夢を叶えたが、今度は世界大会を見て世界大会に出たいと思った。怖いもの知らずと言うか、まさしく身のほどを越えた大きな望みを抱いたのである。そして、それを何としてでも成し遂げようとの恐ろしいまでの執拗な思いである(笑)。

 執念と野望

このふたつがあったからこそ自分は世界大会に出場することが出来た。厳しい修行に耐え抜くことが出来た。

それは現役時代も今も何ら変わらない。今はもっと大きな山を登っている。目指すは、その頂きである。

“王座死守!全階級制覇!”

全日本の舞台で世界の切符を懸けしのぎを削るライバル達。戦い終われば最高の仲間となる。それが日本代表選手団である。大阪は厳しい戦いとなった。アスタナで日本選手団は7階級制覇したが、大阪で4人の世界チャンピオンが負けた。しかし、宿命とも言えるライバル達との激闘を見ていて、もっと強い日本選手団が生まれることを確信した。

昨日の敵は今日の友!

最強の日本代表選手団を結成して世界大会に臨む。

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心して支度をせよ!

厳しい戦いだった。

特に女子は厳しい戦いだった。アスタナで日本選手団は7階級を制覇した。世界中に日本選手団の実力をまざまざと知らしめた。将口はグランドスラムを達成し引退した。大阪の戦い!6人の世界チャンピオンを擁し日本選手団の総力を以てしても全階級制覇は成し遂げられなかった。優勝は4階級に留まった。女子は南原が中量級を制したのみ。男子はアスタナと同じく中量級を逃した。

“厳しい戦いだった!”と言ってるのは、4階級を獲れなかったからではない。勿論それもある。だが一番の理由は、アスタナで世界の頂点に立った6人の世界チャンピオンのうち4人が負けてしまったことである。グランドスラムを達成し、不動のチャンピオンの道を歩み出すかと期待していた島本さえも負けた。全日本大会では建武を最も追い込み、当分は軽重量級で死角なしかと思っていた前田勝汰は加藤大喜に負けた。二人の世界チャンピオンを倒した建武も大喜も、いつも決勝の舞台で二人と覇を争って来た永遠のライバルだった。全日本では無敵だった優輝も負けた。他流派ではあるが、女子軽量級4連覇を達成した菊川選手も負けた。

世界チャンピオンが1年も経たない内に、4人も負けたことに勝負の世界の厳しさを感じたのである。

チャンピオン達が精進を怠った訳ではない。チャンピオンとして更に精進してきたはずである。しかし、彼らに決勝で勝ったライバル達は、それ以上に精進を積んできたに違いない。

“負け!”が彼らを強くしたのである。

〇〇の世界の話ではないが、『狙われるものより、狙うものの方が強い!』のである。

大会後の打ち上げパーティーで建武に言った。

『今日の優勝は、偉大な先輩のお陰だな。強いライバルの存在で勝てたんだな。』

昨年の全日本の敗北が更に強くした。勝汰と大喜も全く同じである。緑代表も、塚本さえも全く同じである。宿命のライバルの存在があった。栄光の大勝利の前には必ず敗北があった。負けたからこそ、ライバルとの切磋琢磨があってこその栄光の座を掴んだ。

4人の世界チャンピオン達が負ける中で陽孝は再び頂点に立った。他流派強豪選手との激闘に次ぐ激闘を勝ち上がり、決勝戦は宿命のライバル河瀬敦志に勝って再び軽量級を制した。陽孝の試合も全てが厳しい戦いだった。正直、河瀬敦志の方が調子は良かったかもしれない。しかし、陽孝は勝った。会場を最も沸かせた中量級の前田優輝と後迫龍希の試合にも言える。自分ら選手団の中でも最も注目していた対戦カードだった。優輝がそうであったように、日の出の勢いが如く、後迫の方が勢いがあった。二人の繰り広げる空中戦に会場は大いに沸いた。しかし、自分は逆に優輝の技の正確さの衰えを感じた。延長戦までは互角か、やや後迫に分があったように思う。最終延長戦は優輝が勝った。後迫は何度も飛んで転んだ。冷静さがなかった。勝ち急いだ。対戦相手が普通の選手だったら、そうはなっていなかったと思う。対戦相手があの偉大な中量級絶対王者の前田優輝だったから。気合いが入り過ぎた。気負い過ぎ冷静さに欠けた。

ズバリ!経験の差で負けた。

軽量級決勝戦も同じだった。一本勝ちの山を築き絶好調だった河瀬の方が崩れた。気負い過ぎた。反則で負けた。大会会場、パーティー会場で陽孝の勝因を聞かれた。技の正確さ。ミスをしない。落ちないスタミナ。勝因は色々あったが、たったひと言。

“どんな場面になっても(心と技が)崩れませんでした!”

アスタナで世界一の頂点に立った。そのたった一度の経験は当たり前であるが伊達ではなかった。詳しく訊ねてくる人にはこう言った。

“過去の負けを必ず生かしている。”

アスタナの時も、今回も、直前の大会で負けている。その負けがあったからこその勝ちに繋げている。

“例えば、あの下段膝蹴り。強化合宿でも出稽古でも、コーチや師範からアドバイスされたら、その吸収力が凄い。そして適応力が凄い。”

陽孝と河瀬の戦いは紙一重だった。重量級・軽重量級の決勝戦も次の対戦はどうなるか全く分からない。この紙一重の差でさえ、ひっくり返すことは並大抵の稽古では出来ない。頂点を獲った者同士の戦いでさえこうである。山の麓には来たものの入り口で立ち往生している人、もう一度支度(したく)して臨むほかない。遥か彼方にそびえ立つ険しい山の頂を目指す支度である。

その支度とは何か?

舞台に上がったら帯の色も肩書きも何も関係ない!とは言う。しかし、肩書きの中の実績だけは少し参考になる。少しどころか大いに分かる。それがどんな山を登って来たか?である。ドリームの申込みで、大会実績に千葉錬成大会入賞を堂々と書いた人がいた。嬉しいが日本一の山を登る大会で錬成大会は全く意味がない。千葉のなだらかな丘の上の話など論外である(笑)。世界大会出るのに支部は関係ない。日本の代表だから。実績で言えば、県も関東も関係ない。全日本大会の実績しか意味がない。今回は実はそれに近い国際大会だったのである。

舞台に立つだけで満足するか?より険しい山(道)を登って行くか?それは自分次第である。しかし、支度が出来ていなかったら何度挑戦しても結果は同じである。

小さな山を登って来い。一度でなく何度も。麓のトレーニングは所詮トレーニングである。県大会優勝したら、勘違いしてすぐ卒業する。連覇せよ。実はこれが大きい。連覇ほど難しいことはない。錬成大会100回勝っても錬成は錬成である。地区大会優勝。これが最低条件である。

挑む時と守る時、全く心境が違う!

大阪からの新幹線、塚本と日本選手団の話になった。1年後の大阪の帰り、日本選手団全員が決まっている。今回の入賞者は9合目に来ているかな。1年前、もう登る前から登り切る人が分かっている。この日が来る事は3年前から、いや7年前から分かっていたことである。中学生の将斗と紫穏が応援に来た。応援ではない。いつの日か自分が登る日のために、支度をしに大阪に来たのである。会場に来ただけで、まだ小さいが一歩になった。大きな一歩にして欲しい。大きな一歩にしなければ来た意味がない。

ドリームで結果を出せ!

全階級制覇は成し得なかった。反省すべきは反省する。しかし、誰も悲観的になっていなかった。島本が負けて、前田兄弟が負けて良かったとさえ言う師範もいた。自分もそう思う。今回負けた彼らが負けをバネに更に強くなって帰って来ることを皆知っているからである。彼ら日本代表選手ですら、あらためて支度をして臨むのである。だから日本代表選手でない人の支度たるや、想像を絶する。

心して支度せよ!心して臨め!

富士で見つけた幾つかの金の卵が結果を出した。わずか2か月前まで中学生だった15歳の少年少女がいきなり結果を出した。また、負けはしたが偉大な日本代表の先輩達に果敢に挑んで行くユースジャパン戦士の姿に一筋の光明を見た。

U-19を創って良かった。U-15を創って良かった。

最大の山場となった準決勝戦。試合開始直後に先に放った左中段廻し蹴りを見た時、勝ちを確信した。たった数秒で。今回はアスタナの時のように全く吼えなかった。黙ってじっと試合を見ているだけだった(笑)。

会場では答えなかったが、勝因はまだある。

“礼儀正しい所。素直な所かもしれない。”

たった5分しか時間がなかったが、打ち上げ会場に挨拶に来た。身体はボロボロで足を引きづりながらでも大会翌日に道場に挨拶に来た。崩れなかった技と心!こういう所が実は繋がっているような気がする。

3年前にも負けない最強の日本選手団を結成して世界の頂点を目指す!

決意の大阪決戦となった。

“陽孝、お前も入ってるぞ!”