Category Archives: 師範ブログ

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「空手日記」初めての帯!

それは36年前の9月7日から始まった。自分が19才で入門して何がきっかけだったか?覚えていないが、入門して2ヶ月後位から付け始めた『空手日記!』である。7月4日に入門した。土曜日だった。当時は、まだ土曜日(の午前中)は役所関係は休みではなかった。

一回目に記した内容は?

〇9月7日 正座:重要~蹴りに有効 中段外受け~胸につけてから 下段払い(半身)~金的カバー。耳を引きちぎるように。・・・たったこれだけだった。正座が重要なのは分かる。でも蹴りに有効とは、意味不明?こうして36年前の空手日記が始まった(笑)!

次の日が凄かった。

〇9月8日 師範「死ぬ気でやれ」極真空手! ※腹筋・背筋・拳立て ※初めて型

師範に初めて声を掛けられた。入門二日目に!しかもいきなり“死ぬ気でやれ!”と(笑)。2カ月経って、初めて型をした(らしい)。それだけ当時は型の稽古はしなかった。審査会の直前に練習する程度だった。喧嘩空手と世間から称され、サポーターなどない時代であった。

9月27日に初めての昇級審査を受けた。そして初めての色帯を貰った。

〇10月5日 念願 水色帯。初組手!

青帯ではなく、水色帯と書いてあった(笑)。帯を貰った日に初めて組手をした(らしい)。白帯にはさせていなかった。それだけ当時の組手は激しかったと言うことだろう。組手をさせて、すぐにやめないように。

あれから36年が経ち、自分が帯を渡す立場になった。昨日、9月の審査会で昇級した道場生達に帯を渡した。少年部稽古のあと、平山君親子が事務所にやって来た。

“師範、凌大の帯に名前を書いて頂けませんか。”

自分が現役時代、黒帯以外の帯に名前の刺繍を入れたことなどなかった。もし、刺繍など入れようものなら・・・・。少年部と女子部の全盛時代である。今はそういう時代ではなくなった。自分の知っている限り、色帯に刺繍させない事を貫いているのは多分三好副代表だけである。その三好副代表は自らが昇級者の帯にマジックで名前を書いている。

道場を出して初めて帯の名前書きを頼まれた。勿論快く引き受けた。魂を込めて名前を書いた。同じ日、初めて色帯を締めた少年部の女の子の純粋で喜びに満ち溢れた顔を見て、36年前の自身のことを思い出した次第である。自分もこんな可愛い笑顔してたのかなあ!

“凌大、昇級おめでとう!ユースジャパン目指して頑張れ!”

“里桜ちゃん、昇級おめでとう!里桜ちゃんが桃太郎クラスに入らないかなあ?”

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中国からの手紙

節目の10回目となる中国遠征は初めて北京となった。経済力でも軍事力でもあらゆる面において、今や世界でも有数の大国となった中国。その中国の首都北京で初めて新極真会の選手権大会が開催された。大会会場で「北京・奥村道場」をはじめ上海、鄭州、南京、蘭州等々の「奥村道場の旗」が居並ぶ光景を見た時、拳を握り締めてしばし立ち尽くした。もう言葉にはならないほどの感動で武者震いさえした。14年前裸一貫で中国に渡り苦労に苦労を重ね、先ず上海の地に新極真空手の種を蒔いた。それが今や少林寺で有名な河南省の鄭州、南京、蘭州、湖南、そして首都北京にまで広がった。14年の時を経て見事な花を咲かせた。啓治の武道魂が途絶えることなく、いや勢いを増して根付いている事に感動した。日本の空手道の力の凄さをあらためて思い知ることが出来た。そして何より師である啓治の名前を冠に付けて、これでもかと言う位に“奥村道場!”の旗が何本も掲げられている光景を見た時、中国支部道場生達の思いを目の当たりにして心で泣けてしようがなかった。

勿論大会は大成功に終わった。極真他派閥の選手や新極真会ロシア支部からも強豪選手が参戦した。孫師範代と交流の深いローマン・ネステレンコ支部長も駆け付けてくれ、大会に花を添えてくれた。ローマン支部長は現役時代、何度も日本選手団の前に立ちはだかった世界最強外国人選手の一人だった。実は今回で7回目となる全中国大会を開催した北京道場の金先生は昨年の暮れに新極真会に移籍して来たばかりである。昨年10月の上海で行った第6回大会の時は他流派として参戦していた。その年の7月に中国支部がローマン支部長を北京に招いてセミナーを開催した。その時に金先生が参加していて孫師範代と知り合い、それから流派の垣根を超えた交流が始まった。勿論、新極真会(WKO)のことも、緑代表のことも知っていた。

今思えば、大会後の打ち上げパーティーで“新極真会で一緒にやりませんか!”と話をしたのが丁度1年前であるから驚くばかりである。今年の3月の上海遠征の時、金先生は昇段審査を受けたのである。北京から何度も上海の孫師範代の道場に出稽古に赴き、新極真の型も立派に習得していた。譬え他流派の何段を持っていようが、昇段審査の日まで新極真会の白帯を締めていたのは言うまでもない。

縁とは、こういうものかもしれない。小さな出会いが幾つも重なり、偶然が偶然でなくなり。そして大きな縁!固い絆!となって行くのである。

孫師範代とローマン支部長が出会った。そのローマン支部長のセミナーが縁で孫師範代と金先生が出会った。そして自分と出会った。自分は新極真会のありのままの姿を語っただけである。ただ敢えて一つだけ言うならば、“世界!”を強調した。世界中に広がる新極真空手の素晴らしさを。フルコンタクト空手界をリードする緑代表の話を。新極真会が世界一の組織であることを。その舞台で貴方の指導している道場生を立たせてやって下さいと熱く語った。一度、日本に来て世界大会を見て下さいと心から語った。

自分と孫師範代の魂の言葉が金先生の魂に響いた。

12月に100人以上の道場生全員を連れて移籍して来た。今年の8月には道場生や父兄を連れて福岡大会にやって来た。選手は20名出場した。行動が早かった。凄い!福岡で緑代表と師となる啓治と初めて会った。涙する道場生もおり、大感動の対面となった。

“出会いは奇跡を起こす!”縁を生かすも殺すも、それは自分次第である。

今回の北京遠征、実はもう一つ大感動の再会があった。

金先生の道場生の中に台湾出身の双子の兄弟がいた。昨年10月の全中国大会の時、小学6年生の部で兄弟で決勝戦を戦った。新極真会の選手より強かった。大会後の打ち上げパーティーで自分をもてなすために兄弟で漫才をしてくれた。啓治の元弟子で台湾支部長になった池田君と「もし台湾に帰った時は、新極真会に入門しないかなあ!」と話していたものである。それが1年で現実となった。双子同士の縁で赤い糸で結ばれていたのかもしれない(笑)。今年8月の福岡大会も出場した。今回の全中国大会の打ち上げパーティーの会場で二人の兄弟が自分の席にやって来た。通訳の方からこう言われた。

『二人が師範にお渡ししたいものがあるそうです。』

二人から渡されたのは『奥村啓治 師範』と宛名書きされた一通の手紙だった。謝謝!と御礼を言って握手した。通訳の人に3人の写真を撮って貰った。(その写真が手元にないのが残念である)まだ中学生の幼い二人が、たった一度しか会ったことのない空手の師範に、いまだ病と闘う日本の師範に宛てた手紙である。内容は聞かずとも、読まずとも分かる。大会会場で奥村道場の旗を見た時と同じように、いやそれ以上に感動した。心で泣けてしようがなかった。お互いが双子だという偶然はあるにはあったが、それ以上に初対面の時から感じ合うものが実は有った。13才!我が家の3番目の御姫様と同じ年だった(笑)。まだ名前すら憶えていないこの双子の兄弟。いつの日か、全日本の舞台に立たせてやりたい。いつの日か、中国代表として世界の舞台に立つ日が来ることを・・・願わずにはいられなかった。いや違う。中国支部長代理である自分の手で世界の舞台に立たせてやる!と誓った遠征になった。

帰国後、封印されていない「中国からの手紙!」を読んだ?・・・見た?漢字だけだった。漢字は読めなかったが、感じは掴めた(笑)。

北京道場の双子の兄弟と再会した8月の福岡大会で、地元の後輩から啓治が上海道場責任者に就任した時の壮行会を兼ねた就任披露の祝賀会のDVDを偶然にも貰った。北京遠征と陽孝の優勝祝賀会の直前だっただけに、この偶然に驚いた。啓治は最後の挨拶で、緑代表との出会い!緑代表から一番教わったもの!それは「世界!」であると語った。自分が1年前に金先生と会い、新極真会に誘った時に掛けた言葉も「世界!」だった。自分が一度は空手をやめ、道場責任者として組織に復帰し公民館で活動を始めた時、誓ったこと。それも「世界!」だった。それが「世界へ翔たけ!」である。

いよいよ10月、決戦の時がやって来る。連続で大きな舞台が続く。後の舞台は自分にとっても一世一代の晴れ舞台になる。陽孝の優勝のお祝いの宴ではある。しかし、道場生達全員にとっても二度とない大舞台である。大歓喜の出会い!瞬間があるに違いない。

人生には、後の人生を左右するような出会いが必ず何度かある。

来たる優勝祝賀会が道場生の皆さんにとってそうなるものと確信して止まない。35年前、自分が色帯時代に指導した初代桃太郎と千葉奥村道場の桃太郎達との対面が楽しみである。

願わくばこの祝賀会に出席して、これからの空手修行の糧にして貰いたい。親子で夢を叶えた先輩の姿を祝い、その雄姿を脳裏に焼き付け、自身の夢を叶えるための原点にして貰いたい。

世界へ翔たく躍動の力を得る原点の場として貰いたい。

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中国の龍となれ!

今年8月の福岡大会の時、地元の後輩白石君から1枚のDVDを貰った。タイトルを見て驚いた。『上海道場責任者就任パーティー 2013年5月18日 行橋 京都ホテル』それは、弟啓治(師範)が中国上海道場の責任者に任命されて、その旅立ちの直前に壮行会を兼ねた激励とお祝いのパーティーを地元のホテルで開いた時のDVDだった。14年前の映像が残っていたこと自体驚いた。41才の時である。若かった(笑)。
その年の7月に組織名が新極真会になった。その年の10月に第8回世界大会が開催された。その世界大会の日本代表に選ばれた若き日の渡辺大士選手や森健太選手も会場にいた。他にも福岡支部を支える多くの道場生も福岡支部初代師範代の啓治のお祝いに駆け付けた。2013年は組織にとっても意義深い年でもあった。映像を見るまでもなく記憶にはあったが、あらためて緑代表と啓治の絆!啓治の中国に掛ける思いを再認識した。皮肉にも空手着で元気一杯な啓治の姿があった。啓治のそばで寂しそうに立つ母の姿があった。緑代表と自分、そして母の横で最後に啓治が挨拶するシーンは何度見ても泣けた。緑代表と啓治の師弟の絆に泣けてしようがなかった。

啓治は新極真会や地元の仲間に支えられて、福岡(全九州)大会の会場に来れるようになった。飛行機に乗って沖縄大会にも行った。この9月には二回目の沖縄訪問を終えたばかりである。大士や健太の先輩で今は沖縄支部長を務める吉田冨和支部長の昨日のブログを見て感動した。

『奥村啓治師範は僕達の永遠の師範代です。』

これほど人を思う言葉があろうか。緑代表と師範代だった啓治との深い絆と同じように、啓治と代表の愛弟子である富和や大士、健太達とも変わらぬ深い絆があったのである。啓治が裸一貫で中国上海に渡ったように、緑代表もまた極真激動の時代に福岡支部長として右も左も分からぬ福岡の地に来たのであった。それを師範代として支えたのが啓治だったのである。
 

何の因果か?この時期に14年前のDVDが届いた。10月の陽孝の優勝祝賀会と北京遠征の前に。不思議な縁を感じずにはいられなかった。空手の神様が自分に何かを言おうとしているに違いない。そう思えてならなかった。
“啓治の魂を中国に伝えよ!”と。そして、祝賀会を見守ってくれてるような気がしてならない。

何としてでも優勝祝賀会は成功させてみせる。自分自身にとっても一世一代の晴れ舞台でもあるから。後悔はしていない。税務の職場を辞めたことを。でも中途半端に辞めたことには変わりはない。陽孝の祝賀会ではあるけれど、日本選手団7階級制覇も含めて自分自身の空手生活36年の集大成でもある。だから敢えて高校の同期や昔の職場の上司や先輩、仲間達にも祝賀会に誘った。自分の信じる道を歩む姿を見て欲しいと思ったから。

“この道より我を生かす道なし この道を歩く!”
啓治が病に倒れて4年。中国支部長代理となり、もう中国遠征は10回を数える。今回初めて中国の首都北京へ遠征である。14年前、啓治が初めて中国上海の地に降り立った時、どんな思いをしたのだろうか?世界一の中国大陸で不安も正直あっただろう。しかし、その中国で誰もやったことのない事をやる!野望に満ち溢れていたことだろう。それは1回目の中国上海を訪問した時に分かった。啓治が住んでいた古いアパートに足を運んだ時に。部屋中に空手道具や関係書類が散乱し、足の踏み場もない小さな部屋だった。自分も負けていないが(笑)?壁に張られた横断幕の言葉を見て覚悟のほどを知った。師である緑代表から継承した“死力達成!”の言葉である

留守は大丈夫ですよ。桃太郎達に思いを託していますから。心配いりません。千葉の桃太郎達は全員、「心マーク」の意味を知っていますから。師範がもういなくても千葉はもう大丈夫です(笑)。
啓治の魂と自分の武道魂を伝えるため、今日から北京に行って来ます。